一瞬にある真実
雪舟の達磨の絵
さてここに一枚の絵がある。この絵は、雪舟が室町時代(1496年)に描いた作品である。一人の修行者に、別の僧侶が、何か話しかけているところの絵である。この絵をよく見て、あなたはどんなことを想像するだろうか? おそらくこの二人の間ではこのような会話が交わされたであろうか…。 「教えてください」 「何をだ?」 「心を落ち着ける方法です」 「そんなこと自分で考えろ」 「考えました。考えて、考えて、考え続けて、こうして、あなたのところへ来たのです」 「じゃー、もっと考えろ」 「分からないから、お聞きしているのです」 「わしだって、分からない。無駄だ。帰れ。」 「帰りません。是非、教えてください」 「うるさい。物事を頭で考えているようなものに興味はない」 僧侶は、自分が本気であることを、示すために、必死で言った。 「達磨(だるま)様、私は本気です。お願いです。弟子にしてください」 それまで深い瞑想状態にあった達磨は、目をかっとばかりに見開いて、振り返った。この絵は、まさにその瞬間をとらえた劇的な絵なのである。 「そんなに落ち着かない心ならば、ここにそなたの落ち着かない心とやらを出してみよ。」 「…・・?」 「どうだ。それが出来たならば、お前の望みを叶えてあげよう」 何か、僧侶の頭の中で、ひらめくものがあった。 「?…!!ありがとうございます。分かりました。分かりました」 「どうだ。分かった後の気分は?」 「何も変わりません。ただ考えすぎていた自分の愚かさを知りました」 「元々心は、この空と同じで何もない。それこそ真っ青なままだ。人間が、やたらと考えすぎるから心の中にも雲がでる。すると心という空は、にわかにかき曇り、嵐が起きて雨がふる。これがすなわちそなたのこれまでじゃ」 このようにして二人は、師弟の関係になった。師は、すなわち菩提達磨(ボダイダルマ)というインドの禅僧である。弟子は、慧可(えか)という中国の僧である。この時、すでに慧可は60歳を越えていたと言われる。このふたりの出会いがあって、禅の教えはインドから中国にもたらされたのである。 もしもこの出会いがなかったら、道元も一休のような思想家も、茶道や華道や能楽のような日本文化も、「わび」とか「さび」と言われる日本文化独特の風情(ふぜい)も、まったく違ったものになっていた可能性がある。それほど、人と人の出会いというものは、歴史まで変えてしまうほどの力を持つ瞬間があるのだ。 達磨は、この時、心の中に、一つの覚悟を持って、この岩の前に9年間も坐っていた。その覚悟とは、「もしも、この私の教えというものを、伝えるべき人物が現れなければ、ここで自分は岩とともに、朽ち果ててもよい」というものだった。我々もこの絵の一瞬の中に、自分の心を置くことによって、達磨の伝えようとした禅なるものの真髄に触れることができるはずである。 * * * * * * さて最後にこの絵をよく凝視して貰いたい。何と弟子となる慧可は左腕を切り落として達磨に渡そうとしている。覚悟のほどを師になる人物に示そうとしたのであろうか。するとこの慧可は、まったく何を言っても身じろぎもしない達磨の心を揺さぶるために、今できる精一杯のことをなしたのである。凄まじい悟りへの情熱ではないか…。だからこの絵の題は、雪舟の「慧可断臂図(だんぴず)」となる。佐藤 |
2000/01/12 Hsato