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ケビン・コスナー小論
ケビン・コスナーという役者がいる。数年前までは、確かにアメリカ映画界でもトップスターであった。ところが最近、彼の評価は下がる一方だ。アカデミー賞7部門を総なめした傑作「ダンス・ウイズ・ウルブス」以降、彼の作品には見るべきものがまったくない。最新作「ポストマン」は、自分の子供たちを出演させた自信作のようであったが、方々から聞くも無惨な酷評を受ける始末だ。人間の評価とは、これほどに一変してしまうものだろうか? 80年代後半、日本では二人のアメリカ人俳優が人気を二分していた。一人は「ナイン・ハーフ」のミッキー・ローク、そしてもう一人が、「アンタッチャブル」(1987年)でエリオット・ネス役を好演したケビン・コスナーであった。 個人的に私は、精悍で地味なイメージのケビン・コスナーの方が役者として伸びると確信していた。私が彼を評価していた第一の理由は、その目つきが何かしらの目標をしっかりと持っている人物の目だったからだ。
この頃、ケビン・コスナーは、インディアンを描いた物語を映画化することを考えていた。そして翌年1990年、ついにその彼が、胸の中で何年も暖め続けた作品「ダンス・ウイズ・ウルブス」が発表された。その年は、まさにケビン・コスナーにとって、人生最良の年となった。アカデミー賞七部門独占。そして彼は、矢継ぎ早に作品を作り始めた。 まず、「ロビン・フッド」である。心ある人間は、少し彼の変化に首をかしげ始めた。しかし、おそらく自分の子供に夢を与えるための作品だろう、と否定的な観客は、まだ少なかった。ケネディー暗殺を取り上げたオリバー・ストーン監督の問題作「JFK」も、ヒットさせ、さらにポップス界のアイドル ホイットニー・ヒューストンとの「ボディー・ガード」(1992年)は空前の世界的ヒットとなった。 当時の彼は、まさに飛ぶ鳥も落とす勢いがあった。一気にアメリカン・ドリームを手にしたかに見えた。しかし彼の作品には、大きな変化が見られた。「パーフェクト・ワールド」(1993年)は、散々な酷評を受け、1994年制作の西部劇「ワイアット・アープ」も思ったような興行収入は得られなかった。更に1995年、駄作の中の駄作と言われる未来活劇「ウォーターワールド」が、翌年には、まるで武田鉄也のゴルフ映画を彷彿とさせる駄作「ティン・カップ」を発表し、今日に至っているのである。 これは明らかに人間の堕落の過程である。俳優であり、芸術家である彼の堕落の根源には、撮るべきテーマが無い、という決定的な問題が含まれている。大体最新作「ポストマン」では、家族を多く登場させて、「こんなに楽しく映画を撮影したのは初めて…」というコメントを出している位だから、芸術家として話にならない。貧乏な男が、成功したことによって、逆に駄目になってしまうことはよくある話だ。残念だが、大きなリスクを負いながら「ダンス・ウイズ・ウルブス」を世に問うた時のケビン・コスナーはもういない。 これは他人ごとではない。人は目標と緊張感を失ったら、堕落するしかないのだ…。そう肝に銘じて真剣に生きよう。佐藤
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1998.4.7