すべてが規格外のスケール 東日本大震災から立ち上がれ日本

想定外の規模の大地震
2011年3月11日(金)午後2時46分頃、想像を絶する規模の大地震が三陸沖から関東に及ぶ広い範囲で起きた。震源は三陸沖。その規模は、マグ ニチュード9.0。しかもその地震のメカニズムは、広い範囲を及び、三陸沖、福島沖、茨城沖という順番で起こったと考えられている。太平洋プレートが断層付近で沈み 込む範囲はタテに400キロ、横に200キロにも及ぶ。想定外のスケールだ。

その直後、複数の沿岸部の町を津波が襲った。死者の数は、刻々と増加 し、つい先ほど、宮城県警の竹内直人本部長は犠牲者について「万人単位になる」と語っている。最後に、どれほどの犠牲者になるか、3月13日の現在では、予想がつかない。今回の大規模地震と津波は、「東日本大震災」と命名されている。

これまで、宮城や岩手の三陸沖付近で、マグニチュード8を越える規模の地震が20年以内に起こるということは、ひろく知られていた。その為に、官民 挙げて、地震には備えていたはずだった。ところが今回起きた地震は、その予想を遙かに越えるスケールで起きた。地震とは、基本的に揺れである。内陸で起こる場合は、山崩れ、崖崩れで、土石流の被害が起こる。2008年の岩手宮城内陸地震は、内陸地震の典型で、栗駒山が大きく崩落して、土石流となり、下流の 温泉を呑み込むなどした。

ところが、今回の地震の特徴は、地震の後に起きた津波による被害だった。しかも震源が沿岸部に近かったことで、津波が、煥発を置かず近くの沿岸部を襲ったことで、今回のような大災害に繋がった。

三陸沖の町では、外国で起きたチリ地震津波(1960)などで、大きな被害を経験を持つ高齢者も多い。この地方では、この歴史を経験に、津波を防ぐ 防波堤などを設置するなど、備えはそれなりにできていたはずだった。ただ今回は、震源が余りにも近かったこともあって、時間を置かず、最大で10mもの高 波が、町そのものを浚って行ったのである。

岩手の陸前高田のケースを見て驚いてしまった。まさに津波が狭い入り江を通過することで、波の力を増幅し、一気に町を呑み込んでしまったのである。 「相馬野馬追い」で有名な相馬の場合、なだらかな浜を白波がやってきて、次々と野菜のビニールハウスを呑み込みながら、遠浅の内陸まで進行して、民家を呑 み込んでいく様が映像に取られた。

アメリカでは東日本大地震が9.11以降最大ニュースに!?
アメリカでは、今回の大地震は、単なる外国で起こった出来事というよりは、あの「9.11テロ」以降、最大の規模で放送されているようだ。三大ネットワーク(ABC、CBS、NBC)やニュース専門局CNNなど、記者を現地に送って、丹念に今回の地震を報道している。

アメリカの関心は、地震や津波に加え原子力発電所のトラブルにもあるようだ。地震直後、クリントン国務長官は、アメリカから冷却水を送ると発言して いる。どうもこれは、日本側の関係者が、断ったようだが、福島原発(東電)のその後の動向を考えると、クリントン長官の直観の方が、正しかったと言えそう だ。

オバマ大統領は、被災当日、菅首相に電話をし、どんなことでもする、と語り、最大限の協力を約束した。直ぐさま、空母ロナルド・レーガンを気仙沼沖に送った。

東日本大地震が日本人の内向き志向を変える
今回の想定外大震災を、どのように捉えるべきか。この時期に不謹慎と思われるかもしれないが、筆者は、今回史上空前の大地震と大津波が襲ったことを契機として、日本人が長い眠りから目覚めるチャンスにすべきと考える。それはバブル崩壊した1990年以降、すっかり内向き志向となった心情からの脱却に他ならない。

かつて日本は、壊滅的な打撃を受けた日米戦争の敗戦から10年余りで「奇跡の復興」と世界から称賛を浴びた快挙を経験している。すべてのものを失った被災地の 人々は、戦後の日本人と同じだ。筆者自身、この地震と津波で安否を確認できない親族、友人、知人がいる。心配で仕方ない。しかしこの地震に遭って以降、何故か気が高ぶってしょうがない。一緒に復興を果たしたい。そんな気持ちだ。それはきっと、筆者の中にある日本人の無意識が、今本気で 立ち上がらねば、復興はないよ、と勇気づけてくれているような気がするのだ。

2011..3.15 佐藤弘弥

義経伝説
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