鈴木大拙師の思想に学ぶ

東洋と西洋の違い


 
世界的な仏教学者で禅の研究者とし名高い鈴木大拙(1870−1966)  という人物がいる。その人の1963年の講演テープを聴いた。師は27才でアメリカに渡り、東洋思想の翻訳と講義を通じて、禅の思想を始めとする東洋の考え方を欧米各国に広めた大人物である。その話し出しが実に面白い。私は耳が聞こえないので、何を紹介されたか、分からないがとにかく話しましょう、と言って講演を始められた。

石川県の医者の家に生まれた師だが、昔と今とでは、全くと言っていいほど、価値観が違う世界だったと述懐する。大体現金というものを見たことがなかった、と言うのだ。何でも暮れになり、これこれと言って、「付けの払いが来て」その詳細などは、余りよく分からない。今で考えれば、いい加減のように見えるが、それで社会がまわっていた、と言われた。要するに昔の日本社会は、帳簿に付け、年末にまとめて払うような悠長な社会だったのだ。この社会がどうして変わったのかは分からないが、いつの間にか、一瞬ごとに現金が飛び交う今日のような殺伐とした社会になった。

師は、西洋と東洋の考え方の違いを、言葉の違いを持って説明する。例えば、英語では、木がある。というのを「There is a tree」というが、「そこに一本の木がある」、つまりゼアという言葉によって、そこと木とを分割し、対象物を二元的に表現する。しかし日本語では、「木がある」で十分に意味が通じる。

芭蕉の「古池や蛙飛び込む水の音」も英訳すると非常に厳密に、そのカエルが単数なのか、複数なのかを厳密に説明しなければならない。しかし17文字という限られた俳句という韻文のなかでは、そんなことを言っていたら、ルール違反どころか味もそっけもなくなってしまう。このように言葉ひとつをとっても、西洋では、つねに何かと何かを厳密に対置させて表現することが慣習となってしまっているのである。

自然という言葉がある。西洋ではギリシャ語で「Physis」、ラテン語では「Natutra」と言いどちらも、「生まれる」という動詞からから派生した名詞であって、自然と人間、神をも包括するような大きな言葉だった。そしてそれは同時に「自らの内的な力によって生まれそのようになる」、というような意味を持つ深淵な言葉であった。だからよくよく考えて見れば、今日の東洋思想にある自然観念と近い考え方をしていたことになる。

ところが西洋では、中世になり、キリスト教の神の概念が隆盛になり、自然そのものも神の創造物とされるに至った。そしていつの間にか、自然は、万物の創造主たる神の下に従属する立場に追いやられてしまったことになった。それ以来、西洋では、自然は人間同様、神に従属する立場となり、人間がそれを征服し、造り替えてしまっても構わないような対象と化してしまったのである。

東洋では、そもそも神と自然と人間は、対立するような概念ではなく、本来一体なものだ。仏教哲学では「自然」を「じねん」と読み、「おのずから、なるべきものになる」というような意味と考えられている。また老子や荘子の説く道教では、老子二十五章に「道は自然に法る」とあるように、「自然」は「道」とほぼ同義の言葉となり、森羅万象の営みを言い表す言葉となった。しかもさらに、それは単なる「道」あるいは「自然」ではなく、存在としての人間がその一体になるべきものとして、「道」や「自然」というものとなっていったのである。

さて話は佳境に入る。何であのような野蛮な戦争に突入したのか。第二次大戦の原因について、師は深く思いを馳せ、このように言われた。
「あれはきっと、ドイツ式の政治思想を受け入れたせいでしょうな」と。

これは非常に注目すべき言葉であると思う。何故ならば、明治憲法の下敷きは、ドイツのワイマール憲法であり、ドイツ流の富国強兵の政治思想の末路として、ドイツと日本は、いみじくも第二次大戦で、盟友関係を結び、両国国民に多大な犠牲と深い傷をもたらしたのである。とすれば我々日本人は、この戦争のもたらした原因の徹底的な反省を踏まえて出発しなければならなかったはずだ。しかし私には、どうしても日本人があの戦争の原因としての自らの思想を考え尽くして出発したとは思えないのである。

言うならば戦後は、ドイツ流の政治思想からアメリカ流(アングロサクソン流)の考え方に、すっと変わっただけだ。だからまたこの付けは必ず訪れるのである。鈴木大拙師は、西洋流の思考だけでは世界は立ち行かなくなる時が必ず来る。だから西洋の人間に向けて、東洋の思想というものを伝えて行かなければならない、と指摘する。私もまさにその通りであると思う。師は、東洋思想の深淵な教えを読み解くうちに、西洋思想の限界を感じたのである。そこに東洋思想が調和しなければ、世界は滅びてしまうであろう?と。

確かに21世紀になった現代の世界を見れば、生産力と合理主義に貫かれた西洋的な文明は、危機に瀕しているとしか言えない。だからこそ、自然ひとつをとっても、「自然を人間のために征服し、造り替えていく」、などという風には考えずに、おのずからそこにある自然に従い、調和し、人間と一体となって生きようとする、東洋的な思考法が大切なのである。

禅の思想を通じ、西洋人に東洋のあり方を説いた師は、1966年、96才の天寿を全うし天に召された。我々日本人は、日本の国としての限界が叫ばれる昨今、この鈴木大拙師の言葉を再度噛みしめてみるべきだろう。そこには、間違いなく、この閉塞的状況を打破する重要なヒントが眠っている。佐藤

この文を書いた後、こんな歌が浮かんだ。

自然(じねん)なる言葉そのまま自(おの)ずから束稲山に初陽昇り来


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2001.1.15