「大連立構想」は小沢失脚狙いの罠? 


民主主義の成熟を妨げる黒い影

佐藤弘弥
 
 はじめに
 
小沢民主党代表の突然の辞意表明について、さまざまな憶測が飛び交っている。

しかし今回の騒動をよくよく考えてみると、その構造自体が意外なほどにシンプルなものに見えてきた。

それはまるで、巨大な鳥居の奥の奥の本殿の小さな一角にひっそりと座しているご本尊を見るごとき驚きがあった。

私は、まずひとつの真実の掘り起こしから、今回の問題の背後にあるものを抽出してみたいと思った。まず最初にぶつかった事実から始めよう。

その事実とは、今回の「大連立」騒動の初出とも言える、いわゆる「大連立構想」を記した8月16日付け社説「自民・民主大連立政権構想」の筆者の名であっ た。


 1 ひとつの「事実」から見えてくるもの

私が、この筆者の名を特定できたのは、11月4日午前8時から放送された「報道2001」(フジTV)の三宅久之氏(1930− ) の思わぬ発言から だ。政治評論家三宅氏は、読売新聞のドン渡辺恒雄氏(読売新聞グループ会長 主筆:1926− )とは、それぞれ毎日、読売の政治記者仲間として、旧知の 間柄だという。

番組の中で、三宅氏は、得意満面、新聞紙のコピーを手にしていた。その文書には、明きらかにマーカーと思われる跡が影のように引かれていた。実は、これ が、先の8月16日付けの読売新聞の社説「自民・民主大連立政権構想」のコピーだった。

三宅氏は、この社説が、渡辺恒雄氏によって書かれたと語った。次に三宅氏は、今回の「福田首相と小沢代表会談」の仕掛人がナベツネこと渡辺恒雄氏である ことを、あっさり認めた。その口ぶりによると、既にこの「大連立構想」について、小沢代表にも話してあって、まんざらでもないとの感触を得ていたことを 語った。

驚きだった。そして、この社説を3カ月ほど前、読んだ瞬間のことを思った。その時私は、読売新聞ともがあろう大新聞社が、いったい何でこんな無邪気で時代 錯誤の社説などを発表するのか?!」と強い憤りを憶えた。

 そこで私は以下のような記事を書いた。

 民主 主義発展の芽を摘む 読売社説の「自民・民主大連立構想」

結論的に言えば、大連立とは、55年体制の護持であり、究極の自民党延命策ではないかと思った。この発想の根底には、多様な市民社会の意見を取り入れて 民主主義を成熟させていくという発想ではなく、国家主義的発想、つまり国家としての日本を守れとの前時代的発想が強く反映していることは明らかである。

日本の民主主義政治の芽を摘むことであり、民主主義の自死にも等しい愚策だと直感した。その余りの時代錯誤の文章に、正直、読売新聞はこれほどなぜ自民党 体制を守ろうとするのかと、悲しくなった。

そして昨日、三宅氏の話から、その余りの時代がかった社説の主が渡辺氏であることを知って、妙に納得をした思いがしたのである。

 2 現代政治のフィクサー渡辺恒雄氏と「大連立構想」
 
渡辺氏は、読売グループのオーナーではないが、ドンと呼ばれる黒幕的な人物として知られる。東京大学の学生時代は、マルクスボーイだったが、その後転向 し、読売新聞に入社し、政治記者として、政界のネットワークを築く。その後は、自民党の大物政治家に、その健筆を買われて、信任を得る。後に総理大臣にな る中曽根康弘氏(1928− )と知り合い、また当時の社長だった正力松太郎(1885ー1969)の目に止まり、読売新聞内で揺るぎない実力者となっ た。政治的には、読売新聞「日本国憲法改正試案」を発表して物議を醸し、右寄りの改憲論者と見られている反面、靖国問題についは終始一貫して問題有りの発 言をし、政治家の参拝には反対の意思を明確にしている。一言で言えば、一筋縄ではいかない怪物のような存在である。

現在81歳の渡辺氏にしてみれば、日本という「国家」に対する最後のご奉公という考え方なのであろうが、その手法は、見ていられないほど、旧式である。

先の8月16日付けの社説で渡辺氏は、このような大提案をした。

 『……国政は長期にわたり混迷が続くことになりかねない。こうしたいわ ば国政の危機的状況を回避するには、参院の主導権を握る野党第1党の民主党にも 「政権責任」を分担してもらうしかないのではないか。つまり「大連立」政権である。自民党は、党利を超えて、民主党に政権参加を呼びかけてみてはどう か。』
(前掲 読売社説)

どうだろう。個人の考えとして、自己の国家観の披瀝は結構だが、先の参院選で示された民意を完全に無視したものだ。民意は、明らかに政権交代可能な2大 政党時代を待望しているのである。渡辺氏の「大連立構想」は、この民意を否定し、日本の民主主義深化をハナから否定するに等しい手法を、自民党と民主党の 政治家に強要するに等しい愚かな手法だ。このようなやり方は、到底民主国家・日本の市民として、受け入れられるものではない。


 3 「事実」を踏まえての推測
 
今回11月1日、2日にわたって行われた大連立騒動は、まさに3カ月前にこの渡辺氏の頭の中でイメージされたことが現実になったものである。ここからは、 安倍前首相辞任の折にあった「安倍−小沢会談」の仕掛人もまた渡辺氏であったことも類推される。

渡辺氏の手法の最大の問題点は、これまでの自民党政治が抱えていた政治全般の不透明性は看過する一方で、「国益」というものを錦の御旗にして、「大連 立」を声高に叫んでいる点だ。もう日本国民は、料亭などの密室で大事な政治決定がなされていく、その不透明性を「ノン」と言って、参議院選挙で、自民党で はない、民主党に多くの票を入れたのに、である。

確かに民主党は、古狸や古狐のいる自民党に比べ、どこかひ弱で、したたかさに欠けるところがある。しかし国民は、そのことを敢えて承知で、小沢代表が、 真顔で参院選で訴えた「生活重視の政治」「政治とは生活である」というスローガンに賭けることを選択したのである。もう私たちは、これまでのような不透明 な密室での政治はこりごりなのだ。この密室政治を排除し、すべてを国民の目の前に晒して行われる政治をしてくれることを、国民の大半が期待していることは 間違いない。その上で、与野党が諸々の政策のすり合わせを行い、新法や予算を執行してくれることを望んでいるのだ。

それが党首討論が行われようとした前日に「密室での党首会談」となり、しかもその席を、読売新聞のトップである渡辺恒雄氏が仕掛けたとすれば、これは旧 態依然とした自民党政治への回帰であり、時代錯誤の策謀としか言えない。もっとはっきりと言えば、渡辺氏のようなフィクサーが影で跋扈するような政治は時 代性を失っているのである。


 4 トラップ(罠)としての「大連立構想」
 
さて今回の「大連立騒動」でいったい誰が得をし、損をしたのか。筆者は、得は、福田自民党政権であり。そして損を被ったのは、小沢民主党であると見る。

次にこの騒動を終始、最初から取り仕切り、世論形成を図ってきたのは、渡辺氏が主筆を務める読売新聞だったと確信する。

俗な言い方になるが、今回の「大連立騒動」は、質の低い推理小説のような構造を持つものと言える。一般に推理小説の常識では、真犯人は、最後は、「やっ ぱりこいつだったか!」となるか、「まさかこいつが真犯人だったのか?!」とのふたつに大別される。ただ共通項として、犯罪の動機というものが必ずある。 この「大連立構想」という政治的トラップも、もしかすると私が考えている以上の、もの凄い影が現れてくるかも知れない……。


 5 毎日新聞の記事で福田−小沢会談を再構成する
 
ところで、毎日新聞にこんな記事が躍っている。読売の4日朝刊にも、同じような記事が掲載されている。しかし読売は、今回の件で主筆が仕掛人となっている 関係から毎日の報道を選んだ。

 『福田康夫首相と民主党の小沢一郎代表との2回にわたる党首会談の全容 が明らかになった。連立政権協議は両党間では決裂したが、両党首の間では基本的に 一致していた。また自衛隊を海外に派遣する恒久法では国連決議を前提にすることで合意。連立政権ができた場合の閣僚ポストなどにも話題が及んでいた。』
(毎日新聞 2007年11月4日 東京朝刊)

しかも、この会談を仕組んだ陣容と会談の内容まで明らかにされている。こんな具合だ。

 『連立政権構想を強く主張してきたのは渡辺恒雄・読売新聞グループ本社 会長兼主筆だ。渡辺氏の持論に賛同したのが森喜朗元首相、自民党の青木幹雄前参院議員会長、中川秀直元幹事長ら。10月30日の「福田・小沢」第1回会談 は森氏らに背中を押されるように実現した。』(前掲記事)

これで、自民党側の主メンバーが特定される。森喜朗氏、青木幹雄氏、中川秀直氏の面々だ。そう言えば、8月16日の読売社説に呼応するように、中川元幹事 長は、自身のブログ上で、「大連立は時代の流れ」という趣旨の発言をしてきた人物だ。

次に45分間の2人だけの協議内容が事細かにリークされている。もちろんこれは自民党側がテープを採っていて、原稿に起こしたものであろう。したがって、 この信憑性には問題が残る。

この2人だけの会談という手法について、ジャーナリストの桜井よしこ氏が、日曜日(4日)のフジテレビ「プレミアA」(PM10時〜)で、「何故2人き りで会談したのか」と側近を付けないでやった会談のやり方に疑問を呈していたが、私も同様の意見だ。これでは、自民党がいかようにも、会談内容を意図的に 改ざんを加え、微妙なニュアンスで、小沢氏にダメージを与えることは可能だった。つまり、この2人きりという密室性が、今回の小沢氏の脇の甘さと、自民党 側の第1の罠であったことの証拠のひとつと考えられる。

 続いて45分間にわたった協議内容が、掲載されている。

 『「湾岸戦争の時は大変でしたね」。首相は小沢氏に語りかけ、湾岸戦争 時の130億ドル支援、96年の日米安保再定義、03年のイラク開戦などが話題になった。

福田氏は諄々(じゅんじゅん)と新テロ対策特別措置法案の意義、日米同盟の重要性を説いた。小沢氏は恒久法について、国連決議を前提にしなければ自衛隊 派遣ができないという考え方をメモに書いて首相に渡した。首相は「国連決議だけの有無でいいのですか。相談させてほしい」と検討することを約束した。

 恒久法が連立政権論議の糸口になった。そして話題は閣僚人事まで発展していった。連立政権ができた場合、民主党に振り分けられる財務相など数々のポスト 名までが飛び交った。当初は政策協議を念頭に置いていた首相も「連立政権協議をして、まとめられるのならそれでもいい」という考えに傾いていった。』(前 掲記事)

 ここで、自民党の第2の罠が明らかになった。つまり小沢氏の長年の持論である、国連主義を自民党が呑む、というものだ。これははじめから会談で仕組まれ たシナリオがあり、「福田はここまで、私を受け入れてくれるのか?」と思わせる戦略だ。小沢氏は、これで自分の調子が狂って、民主党として掲げた「マニ フェスト」の実現も出来ると思った可能性がある。自民党の罠に乗ってしまったことになる。そして閣僚ポストを話す。おそらくこれは自民党の第3の罠だった はずだ。首相まで小沢氏に譲るような話を持ちかけた可能性がある。民主党からの入閣人数を具体的に数字で示し、その数に小沢氏は、驚いたはずだ。これで、 小沢氏は、福田氏をしっかり信用してしまったのである。完全にトラップは小沢氏の正常な感覚を奪っていたと思われる。

 続いて2日目の会談だ。

 『……恒久法に関する国連決議原則について、首相は「これでいいです よ」と返答。小沢氏も「じゃあ、これで(民主)党内を説得しますから」と約束した。

 そして小沢氏は「連立協議をするなら、国会を閉じなくてはいけない」と提案。連立政権協議の中で新テロ特措法案を話し合う考えを示し、首相は小沢氏は同 法案に賛成する腹だと受けとめた。

 首相からの連立政権提案を持ち帰る際、小沢氏は「決めてきます」と告げた。この言葉で首相は連立政権協議が始まると大いに期待した。』(前掲記事)

おそらく、ここまで、罠が利くとは、仕掛けた自民党サイドも予想していなかったはずだ。

小沢氏から見れば、民主党の役員会で、多くの賛同を得られる内容だと思っていたに違いない。もちろん、自分は独断専行はしない。小沢一郎は変わったの だ。民主的な党内の決定プロセスにしたがって、福田首相が矢継ぎ早に譲歩し、約束した内容を話し、大連立をする場合のメリット・デメリットを話しに、民主 党本部に向かった。


 6 小沢氏民主党緊急役員会での誤算


11月2日(金)夜、民主党の緊急役員会が党本部で開催された。既に、「福田首相が連立を打診」とか「小沢代表が大連立を受諾した」との情報が流れてお り、議場はさまざまな思惑で緊張感が漂っていた。

この夜の様子を、毎日新聞(11月4日)朝刊にて、再構成してみよう。

役員会に先立って、菅代表代行、鳩山幹事長、輿石参院議員会長、山岡国会対策委員長の4人の幹部による事前協議があった。

その席上、小沢氏は、福田首相との会談の推移やテロ特措法をどのように決着するか、また大連立を組むことで、民主党のマニュフェストで選挙民に約束した 政策を実現できることなどを、高揚した口調で話した。小沢氏は、この時点で、間違いなく「大連立」を受け入れる気持であった。しかしこれは余りに唐突な変 貌振りだった。小沢氏と、話を聞かされた4人の「温度差」は、歴然としていた。

 『小沢氏は、「(現行の)112(議席)を2倍の200に増やすことはできるかもしれないが、それ以上は難しい」(前掲記事)と、具体的に数字まで揚げ て大連立の提案に乗ることのメリットを語った。

鳩山氏は「農業にしても子供手当にしても、(大連立後に党の政策を)実現したら与党の手柄にされる」(前掲記事)と言い、また菅氏も「どうやって選挙を戦 えばいいのか」と懸念を示し「とにかく役員会の意見を聞こう」』(前掲記事)と語った。

この後、波乱含みの役員会はいよいよ始まった……。

小沢氏は、福田氏から連立を持ち掛けられた経緯を語り、「政権協議には入っていいんじゃないか」(前掲記事)とズバリと語った。

それに対し『……真っ先に挙手したのは赤松広隆選対委員長だった。「選挙で民意を経ないで連立を組むのはおかしい。今すぐ断るべきだ」と声をあげた赤松 氏に、小沢氏は即座に「自社さ政権の例もある」と切り返した。……赤松氏がかつて身を置いた旧社会党の「自社さ」になぞらえて反論したのだ』(前掲記事)

さらに役員も堰を切ったように語り始めた。皆、反対の声ばかりだった。

『「選挙で勝って、政権を取らないとダメだ」
 「早く断らないと党内に動揺が走る」
 出席者の半数近くが発言し、すべて反対だった……
 特に、菅、鳩山両氏は「大連立を受けるなら、首相をもらわないとダメだ。そうすれば衆院を解散できる」』と言った。

この時点で、小沢氏は、先ほどまで、あれほど高揚していた気持が急速にしぼんで行くのを感じたに違いない。自らの独断専行型の手法を封印し、党内の民主 的な決定プロセスにしたがって、説明をすれば、役員たちも、きっと分かってくれるに違いない。そんな目算が小沢氏にはあった。しかしそれの思考は、完全に 外れだった。

現実に引き戻された小沢氏は、一瞬「イヤなら止めるか」と、自自連立(2000)の席を蹴って出て、「壊し屋」という有り難くない異名をもらった時の「小 沢一郎」に戻ったかのようだった。

そして、会議から1時間余りで、小沢氏は「皆さんがそう言うなら分かった」と、やにわに立ち上がり、別室に入って、福田首相に、「大連立を断る」旨の連絡 を入れたのである。

はっきり言えば、小沢一郎氏は、民主党内の空気というものを完全に見誤っていた。少なくても、小沢氏は、2度目の福田首相との会談に臨む前、菅、鳩山、 輿石の三氏と、打ち合わせをしていて、その席上で、鳩山氏は、小沢氏に「大連立の話があるかもしれないが、簡単に引き受けるべきではない。もしも受けるな ら、首相を取るべきだ」とクギを刺していたという。

おそらく、鳩山幹事長は、第1回目の会談後の小沢氏の高揚感から、危ないものを察知していたのだろう。しかしこの鳩山氏の発言について、小沢氏の方では、 「場合によっては大連立を受け入れてもよい」と内諾を得たと受け止めていた可能性があるかもしれない。


 7 小沢代表辞意表明の分析

小沢氏は、「大連立」の頓挫から2日目の4日(日)夜、党本部で緊急記者会見を開き、一連の混乱の責任を取り、民主党代表を辞任することを表明し、辞職願 を鳩山幹事長に提出したことを明らかにした。

 この緊急記者会見は、およそ2日夜の緊急役員会から1日を踏まえ、この間、どのような協議がなされるのか、またマスコミの報道姿勢について、自らの心情 を文章にまとめたものであり、言うならば弁解の表明という側面がある。奥が見えにくい部分もあるが、推測を踏まえて、この間の小沢氏の心の揺れを、日本の 民主主義の成熟の一過程として見ていきたいと思う。
 小沢代表辞意表明全文(以下「 」かっこ内は、左記の引用文である)

1)辞職の表明

ただ何が何でも辞職というのではなく、「執行部と党員に身体を委ねた」というものであること。この冒頭に、小沢氏の政治家としてのしたたかさを感じる。 絶対的な辞職ではないのだ。彼は自分が、民主党にとって、必要な人間かどうか、引いては日本政治に必要な政治家であるかどうかを、考えてくれ、と判断のゲ タを預けたのだ。このことは無論、世論がその後どのように推移をするかも考えての、「態度留保」という戦略を描いてることになる。

2)自民党福田首相が、安全保障政策で重要な政策転換を決断したことを明示

これは、自民党が、小沢氏の持論である国連中心主義の考え方を呑み、「特措法」ではなく、「恒久法」として成立させる腹を固めたことを、今回の会談の最大 の成果と小沢氏自身が考えていることを誇示していると見るべきだろう。

ポイントとして、以下の2点を上げる。
1.「特定の国の軍事作戦については、我が国は支援活動をしない」
2.「テロ特措法は、連立成立を前提にして、これにこだわらない」

このことは、ずばり言えば、来年度の恒久法の成立を前提にして、「テロ特措法」には反対しない(通す)というニュアンスだ。福田首相にしてみれば、これ よって、念願のインド洋上での海上給油が可能となり、アメリカ訪問の最高の手みやげが出来るはずだったことを意味する。

最後に小沢氏は「私個人はそれだけでも政策協議を開始するに値すると判断をいたしました」と早く政策協議を始めるべきだ、と念を押している。

このことは、小沢氏にとって、最大の成果であり、最大の譲歩だ。まさに肉を切らせて、骨を断つような、深い思慮が伺える。このことによって、「これまでの 我が国の無原則な安保政策を根本から転換し、国際平和協力の原則を確立する」と本気で、小沢氏は思っているようだ。

3)参議院選挙のマニュフェストが実現できないジレンマの表明

 「マニフェストで約束した年金改革、子育て支援、農業再生(について)……政策協議を行えば、その中で国民との約束を実行することが可能」となる。

4)民主党が実力不足であることの表明。

原文ではこの箇所はこのように説明されている。
 「国民の皆さまからも、自民党は駄目だな、民主党も本当に政権担当能力があるのか、という疑問が提起され続け、次期総選挙での勝利は大変きびしい情勢に あると考えております」

私はこの「民主党も本当に政権担当能力があるのか」というフレーズに、先の8月16日付け、読売新聞社説の「大連立の思想」の影響があると思う。おそら く、「民主党の政権担当能力」のフレーズは、福田ー小沢会談前に、会ったという小沢氏の耳元で、渡辺恒雄氏が、囁いた文言がこびり付いて、この部分に反映 しているのではないかと推測する。小沢一郎氏のような政治家にとっても、影響力のある人間やマスコミの一言は、一種のサブリミナル効果を持つものである。

またこの民主党が実力不足としたこの部分を取って、民主党の中には、自分の党を侮辱したに等しいではないか、と快く思わない党員がいるらしい。しかしこ れは決して、民主党そのものの否定というようなものではなく、文字通り、小選挙区で争われる来るべき衆議院選は、参議院選挙の地滑り的な大勝利とはまった く違った厳しい戦いになるとの思いがあって、出てきた言葉だと解釈する。日本における真の意味での2大政党の時代までの道程は、まだまだ厳しい。そんな自 戒の表明だったのだ。

5)個別の政策協議、大連立を踏まえ民主党政権を実現する道

 ここで、小沢氏は、「政権への参加は私の悲願である」と語っている。はっきり言って、小沢氏も65歳である。政治家として、引退の時期は、刻々と迫って いる。日本の政治を変革し、2大政党を実現することに執着する小沢氏の政治家精神の炎は、消えていないことは明白だ。

6)党首会談で誠実に対応してもらった福田総理に対しての信頼感の表明

 私からすれば、このところに小沢氏に一抹の不安を感じる。福田氏がどのように誠実な態度で、小沢氏に接し、小沢氏の持論である国連中心主義への譲歩の態 度を見せたとしても、それはアメリカへのメンツを立てる意味での「海上給油」の早期復活を狙った策である。この箇所に、「大連立」を受け入れてしまった小 沢氏が、今だ自らにトラップを仕掛けた福田氏への信頼を見せていることは、少し不思議な感じがする。

7)ジャーナリズムへの怒りの表明。
 一転、ジャーナリズムには不信感を爆発させている。もっとストレートに言えば、これは「大連立は小沢氏が持ち掛けた」などという読売新聞の一方的なデマ 報道に対しての怒りである。

 「特に11月3、4両日の報道はまったく事実に反する……私の方から党 首会談を呼びかけたとか、私が自民・民主両党の連立を持ちかけた、連立構想……小 沢首謀説は……事実無根……。朝日新聞、日経新聞等を除き、ほとんどの報道機関が政府・自民党の情報を垂れ流し、自ら世論操作の一翼を担っているとしか、 考えられません。それにより、私を政治的に抹殺し、民主党のイメージを決定的にダウンさせることを意図した、明白な誹謗中傷報道であり、強い憤りを感ず る……。このようなマスメディアのあり方は明らかに、報道機関の役割を逸脱しており、民主主義の危機である。」


今回の小沢氏のジャーナリズム批判は辛辣だ。それは特に、読売新聞という大新聞社そのものが、権力の不正を国民に暴き、権力が暴走しないような公器とし ての存在であるはずの存在を逸脱し、政界そのものに公然と手を突っ込み、影響力を行使するという異様なものであった。また取材ソースそのものも、圧倒的に 自民党サイドからのものであるなど、明らかに民主主義の否定に等しいものであった。この偏った報道姿勢によって、小沢一郎氏と民主党のイメージダウンは避 けられず、この騒動によって、衆議院選挙が、先に伸びたということを言う政治評論家も増えている。

ジャーナリズムは、その後も一方的に小沢氏にフォーカスを宛てて、福田首相や自民党で今回の「大連立」というトラップを仕掛けた人々についての報道が少 ないのが気になる。またジャーナリズムとしてのあり方を越えた読売新聞の報道姿勢とその読売のトップである「渡辺恒雄氏」に対する批判や責任論などが浮上 しないのは、実に不思議な気がするのである。


 8 11月5日(月)の読売新聞を読む

翌朝(11月5日)、大連立の仕掛人である読売新聞は、「小沢代表 辞任表明」の黒抜き大見出しで一面を飾り、楯に「連立で混乱 引責」、「民主慰留へ  翻意は困難か」と続けた。

トップの左には、「衝撃 辞表 上」という小沢氏が辞表を出すまでのドキュメンタリー風の記事が組まれた。

このことから、大連立構想という仕掛けには、背後にふたつの異なったシナリオが用意されていたことを示唆するものではないかと考えられる。つまり、小沢氏 が大連立に乗って、民主党もこれに乗っかって、大連立の流れができればそれでよし。もしもこれが何らかの事情でとん挫するようなことがあれば、小沢氏と民 主党のイメージダウンを狙って、反小沢・反民主キャンペーンを張るという目論見があったということが考えられるのである。

一面の中程には「「連立持ちかけ全く事実無根 小沢氏、報道批判」と、4日夕方の辞意表明の最後の部分が、そのまま掲載されている。

「ほとんどの報道機関が政府・自民党の情報を垂れ流し、自ら世論操作の一 翼を担っているとしか考えられない。私を政治的に抹殺し、民主党のイメージを決定的にダウンさせることを意図した明白な誹謗中傷報道で、強い怒りを感じ る。厳重に抗議する」

この読売新聞側が抽出の仕方には、大きな問題がある。それはこの記事のみを読んだとしたら、小沢氏は、辞意表明の席上、ほとんどの報道機関に対し、その報 道姿勢を非難し抗議したかのようであるが、そこには自ずと差異がある。

小沢氏は、読売新聞が抽出した言葉の前に、「・・・朝日新聞、日経新聞等をのぞき、ほんどの報道機関が・・・」と続けている。ここに私は意図的なものを感 じてしまうのである。

事実、11月5日(月)は、小沢・民主批判一辺倒の構成そのものだ。

一面の中央には、政治部長の赤座弘一氏の名で「自ら真実を語れ」と前日(4日朝刊)の見出しで、主張した『「大連立」小沢氏が提案」論をあくまで真実であ ると正当化しようとしているのである。

「その意義(大連立)をもっと早く説明し、党内の理解を得る努力をしてい れば、違った展開になったかもしれない。報道機関が『逸脱』しているというのなら、どこがどう逸脱しているのか、具体的に指摘すべきである。・・・真実を 自ら語ることこそが、本当の意味での『けじめ』になるのではないか。」(前掲)

どんなに読売新聞赤座氏が声高に叫んでも、残念ながら、この大連立構想は、読売新聞のドンである渡辺恒雄氏が、自らの持論である「大連立構想」に執心し、 政治工作までして実現を図ろうとしたものであることは、もはや何人も否定できない事実である。この記事を書いた赤座氏その人自身が、今まさに「読売新聞は 真実を語れ」と世論により、迫られているのである。


 9 小沢一郎空白の二日間

4日夕、突然の辞任を発表した小沢一郎氏は、その後2日間、マスコミの前にいっさい顔を見せなかった。この二日間、民主党は大混乱をし、日本中、「いった い民主党はどこへ行くのか?」あるいは「小沢一郎は本当に引退をするのか?」という報道が各メディアからなされた。この二日間、文字通り小沢一郎氏は、マ スメディアを占拠したかの如き様相だった。

この2日間、いったい小沢氏の中で、何があったのか、その心の動きまでは分からないが、小沢氏が、この間に、世論の動きを正確に読み取ろうとしていたこと は明白だ。

4日夕の辞任のコメントをもう一度見てみることにする。

あの時小沢氏はこのように言った。

「・・・福田総理の求めによる、2度の党首会談で総理から要請のあった、 連立政権の樹立をめぐり、政治的混乱が生じたことを受け、民主党内外に対するけじめとして、民主党代表の職を辞することを決意し、本日、鳩山由紀夫・幹事 長に辞職願いを提出し、執行部をはじめとして同僚議員のみなさまに、私の進退を委ねました。」(JanJan編集部)

この最後の箇所に小沢氏の政治家としての強(したた)かさがある。小沢氏は、「代表を止める」とは言わず、「執行部と「同僚議員」に「進退」を「委ねて」 いるのである。つまり民主党は、小沢氏に「オレを必要かどうか。もしも不要であれば、いつでも止める」と言っていることになる。

そこには、党内において自分の他に、迫ってきた衆議院選挙という大舞台で、選挙戦をリードできるリーダーはいない、という強烈な自負が潜在しているのでは ないかと思われる。もちろん、小沢氏も、衆議院選挙は、先の参議院選挙のような地滑り的な勝利はないと思っている。それはおおむねふたつの問題があると思 われる。第一に、民主党の擁立するべき候補者が絶対的に不足していること。第二に、自民党の候補者に比べ、地元への浸透度足りず、あらゆる面でキャリアが 不足していることなどだ。

そこのところを、おそらく読売新聞の渡辺恒雄氏には、ズバリと突かれたのではなかったか。
「小沢君、君もよく知っていると思うが、小選挙区の衆議院選挙では、参議院のような訳にはいかんぞ。私からみれば、衆議院で、民主党が、たとえそこそこの 数は取れても、与野党逆転は絶対にない。わが社の個別の選挙区の分析からも、そこのところは明白だ。選挙の天才の君も、分かっているとは思うがね。これで はねじれは解消しない。ここは思案のしどころだ。日本のため、国民のためにね。あんた方の政策を実現するということを考えれば、大連立というのは、妙案だ と思わないかね」という具合に。

4日の小沢氏の辞意表明の中にあった「民主党への懸念」は、渡辺恒雄氏の強い衆議院選挙の予測があって出たものではないかと推測する。

小沢氏ほどの選挙のプロにしても、民主党の衆議院選に向けた選挙対策は頭の痛いところだろう。大連立構想は、その部分を上手に突いた自民党延命策だったと 考えられる。小沢氏は、半分それを承知なところがあった。おそらく小沢氏は、肉を切れせて骨を断つ戦術を考えていたに違いない。それは「敢えて、大連立な るものに乗って、たとえそれによって、一時的にインド洋沖での洋上給油を可能にしても、自民党からそれ以上の譲歩を勝ち得るのであれば、民主党の政策が実 現することになり、自民党は内部崩壊をして政権交代の道は早まる。この戦術を党幹部も、党員も、説明すれば理解するはずだ。」というものだった。

これが、小沢氏が「大連立構想」に乗った理由であり、これ以外には考えられない。すべては民主党による政権交代という最終的な勝利に向かっての小沢氏の強 かな考えを理解しているものは、ほとんどいなかった。これが小沢氏の最大の誤算であり、小沢一郎という政治家がこれまで、幾度も権力の座を目前にしなが ら、それを掴み得ない原因なのかもしれない。


 10 大連立はアメリカの圧力?

今回の大連立騒動の背後に、アメリカが居たという噂が絶えない。それはどのくらいの可能性があるのだろうか。もし仮に小沢氏が、渡辺恒雄氏の背後に、アメ リカの影を見ていないとしたら、国際政治を知らない政治音痴と言われるかもしれない。

考えてみれば、あの8月8日の小沢・シーファー(米大使)会談は、参議院選挙の勝利により、第二の政府とも言えるような力を持った民主党リーダー小沢氏に 対するブッシュ政権の挨拶のようなものであった。はっきり言って、アメリカにすれば、小沢一郎というリーダーが、アメリカの東アジアの戦略の明確なパート ナーとなりえるかどうかの品定めのための会談であった。そこで小沢氏は、持論の国連主義を主張し、「アメリカの個別的自衛権を行使するような作戦には乗れ ない」と、テロ特措法の延長に難色を示した。

ここで小沢氏が、アメリカというよりブッシュ政権に距離を置く態度を取った裏には、アメリカの政治で台頭し始めたアフガニスタン、イラクと戦争への道をひ た走ってきた政策に対するアメリカ国内の批判的世論を読んでのことであろう。それによって選挙で民主党が躍進し、ブッシュ政権そのものが、これまでのアフ ガニスタンやイラク政策の見直しが迫られていることは事実である。

日本人も日本のマスコミも、ブッシュ政権の政策を同盟国アメリカの意志と思いがちだが、何か忘れてはいないか。それは来年(2008年)でブッシュ政権 は、終幕を迎え、新しい大統領が、アメリカの国民の選挙によって決まるということだ。つまりアメリカ自身が、ブッシュ後を見越し動き出しているのである。

ところで、11月6日の田原総一朗氏は、大連立の舞台裏で何があったのか、このような見解を述べた。

    「小沢さんがここまで体を張らざるをえなくなったのは、2つの理由がある。

    1つは、このままでは次の総選挙で民主党が勝てないと思い始めた。勝つ自信が揺らいできた。もう1つは、アメリカの圧力だろう。

    小沢さんはアメリカから相当の狙い撃ちをかけられているので、結局、テロ特措法案を反対では終わることができない、という状況に追い込まれてしまったので はないのか。だから恒久法という形で、来年の新しい国会で民主党が恒久法を打ち出して、自民党がこれに乗る形で事実上はテロ特措法を作り直す、ということ を小沢さんは考えたのではないのか。

    アメリカの圧力の1つには、もしかしたら「山田洋行」の事件も絡んでいるのかもしれない。小沢さんは山田洋行から600万の金をもらって返したと言われて いるが、それ以上の関係はなかったのか。とにかく小沢さんは、インド洋での自衛隊の給油活動を結局は認めざるを得ない状況になっていたのだと思う。そのた めには連立をせざるを得なかった。」
    (nikkei BPネット 田原総一朗の政財界「ここだけの話」第34回 「小 沢民主代表辞任劇の衝撃 頓挫した大連立構想の舞台裏」11月6日)


田原氏の見方も面白い。アメリカの圧力とは、アメリカ政府(表)からの圧力を言うのか、CIA(裏)からの圧力を言うのか、明確ではないが、「テロ特措 法」に難色を示している小沢氏の発言に、ブッシュ政権が神経をとがらしていることは事実である。まさか、「山田洋行」事件が、小沢氏周辺に飛び火して、第 二のロッキード事件のようなものに発展することはないと思うが、小沢氏が「大連立」という渡辺恒雄氏の構想に乗ったとすれば、田原氏のいう圧力とは、渡辺 氏を通じて、小沢氏に送られたアメリカによる政治的メッセージということになる。


 11 そして「大連立」というトラップは破られた

7月29日の参議院選挙与野党逆転から、11月1日のテロ特措法期限切れ、福田・小沢会談と続く、「大連立騒動」の流れを時系列に追ってみる。物事を感情 を抑えて、構造で見ていくと、何かが見えてくるものだ。

    * 07.7.29  第21回参議院選挙 自民党過半数割れで与野党逆転。
    * 07.8.8   小沢・シーファー会談、小沢氏テロ特措法延長に難色を示す。
    * 07.8.16  渡辺恒雄氏による読売社説「自民・民主大連立政権構想」発表
    * 07.9.8  安倍・ブッシュ会談(日米首脳会談 オーストラリア)
    * 07.9.9  安倍首相はシドニーの記者会見で「テロ特措法に職を賭す」と発言
    * 07.9.10  国会開催「所信表明演説」「全身全霊をかけて職責を果たす」と
    * 07.9.12  安倍首相辞任。「小沢氏に党首会談を申し入れたが断られた」と発言
    * 07.9.23  福田康夫氏自民党総裁となる
    * 07.9.25  福田内閣成立 福田氏自ら「背水の陣内閣」と称す
    * 07.10.17 自民党新テロ対策法案を国会に提出
    * 07.10.30 第一回目の福田・小沢党首会談開催(国会内)
    * 07.11.01 テロ特措法期限切れ 
    * 07.11.02 第二回目の福田・小沢党首会談開催 同夜民主党「大連立構想拒否」の方針
    * 07.11.04 読売朝刊『「大連立」は小沢氏が提案』トップに記載
    * 〃 〃   小沢氏代表「辞職願」を鳩山氏に提出。読売の報道を「誹謗中傷」と批判
    * 07.11.07 小沢氏辞意を撤回「二大政党の実現」に向け「死に物狂いで」と発言
    * 07.11.13 衆議院でテロ対策新法可決 参議院へ送付


以上、こうして大連立構想というシナリオが首をもたげ、そして終局へと至る流れをみていると、ピンと来るものがある。

それは「安倍する」とまで揶揄される「安倍前首相」の突然の辞任劇の最後に彼がとぎれるような声で発した言葉だ。あの時、確か安倍氏は、「小沢さんに首脳 会談を申し入れたが、断られました」と呟くように語った。

これに対して、小沢氏は明確に、「安倍首相サイドから、一度もそのような申し入れはなかった」と語っている。

ところで、9月11日の朝日新聞には、「職を賭す」とまで発言した時の辞任直前の安倍氏にまつわる生々しい記事が載っている。

「(職を賭す発言について)自民党の麻生幹事長や与謝野官房長官にも『寝 耳に水』だったようで、自民党幹部は『首相は周りの誰にも相談していない』とみる。政府・与党内では、民主党との話し合いが緒に就いてもいない、臨時国会 召集前日というタイミングで『捨て身』の決意を表明した首相の真意を巡ってさまざまな見方が飛び交っている。

発言の舞台が、APEC(アジア太平洋経済協力会議)の首脳外交後の記者会見だったことから『外国首脳と会って気が大きくなったのだろう』(自民党三役の ひとり)との見方もある。ブッシュ米大統領やハワード豪首相に、直接、給油活動の継続を約束。高揚した気持ちの中で、大見えをきったという見立てだ、(後 略)」

当時の安倍氏の表情は、精神が高揚しているようには見えなかった。どちらかと言えば、視線は定まらず、虚ろなで、思い詰めたような目つきだった。推測を交 えて考察すれば、あのシドニーでの日米首脳会談前後にアメリカ政府から大きな政治的な圧力がかかり、それが精神への過剰な負荷となって、精神が不安定に なったと見る方が自然ではないだろうか。

もちろん、それは「対外公約」とまで安倍氏自身が言い切った「テロ特措法」の延長問題である。私は「小沢氏に首脳会談を持ちかけたが断られた」という箇所 に注目する。しかし小沢氏は、この呼びかけそのものをはっきりと「無かった」と否定した。どちらかが虚偽を言っていることになる。小沢氏は否定の会見の席 上で、私は一国の総理が、会談をしたいと呼びかけられたら、断るようなことはしない旨の話しを語っていた。

ここから考えられるのは、小沢氏を首脳会談に持ち込んで、民主党にダメージを与えるシナリオが、当時の自民党三役も知らないところで、動いていたというこ とになりはしないか。アメリカから持ちかけられたシナリオか、それとも8月16日の読売社説を執筆した渡辺恒雄氏が旗を振ったのかは分からないが、麻生幹 事長、与謝野官房長官も関知しないシナリオが存在していて、そのプレッシャーによって、安倍氏は唐突な辞任、そして病院入院という行動に出た可能性は否定 できないと思うのである。

小沢氏は、7日の辞意撤回の後の記者会見で、渡辺恒雄氏の名は出さなかったものの、「さる人」と言い、2ヶ月ほど前に、渡辺氏と会い、大連立を持ちかけら れたこと、10月に入って、福田首相の代理人(森前首相と予想される)と会い、首脳会談を持ちかけられたことを話した。

朝日新聞の11月16日付け朝刊で、小沢氏は、朝日の記者の「渡辺恒雄・読売新聞グループ本社会長が会談を持ちかけたのは、安倍政権のころか」との問い に、

 「だったと思うけれど。8月末か9月初めか。」と答えている。

要するに、大連立構想は、安倍氏が首相だった時期に、ひとつのシナリオとして存在していたことは間違いなさそうだ。その時には、渡辺恒雄氏の他には、中曽 根康弘自民党最高顧問位しか知らされていなかったかもしれない。その後、福田政権が成立した後、このシナリオは、森喜朗元首相や中川秀直元幹事長に知らさ れ、自民党内でさらに吟味され、役者である福田首相に託されたと、見るのが自然であろう。そしてこのシナリオの特徴は、小沢氏が「大連立を受け入れても」 あるいは「拒絶しても」民主党と小沢一郎という政治家のイメージダウンを狙い、場合によっては、政治生命を断つほどの意図が潜んでいたというところにあっ たことだ。

そこで小沢一郎氏が、11月7日にこのトラップから逃れる方策はたったひとつしかなかった。それは、民主党内の亀裂を生じさせない形で、党内民主主義を貫 き、まとまる以外になかった。私は、この7日の行動で、辞任撤回会見に臨む前に、若手の実力者である元代表の前原誠司氏とおよそ1時間半に渡って二人きり で会談をしたというところに小沢氏の政治家としての手腕を感じた。

前原氏は若いながら、今や党内の実力者となっている。聞くとところによれば、彼の下には30名ほどの若手議員が集っているとも聞く。自民党にしてみれば、 この「大連立構想「というトラップを仕掛けた時、民主党が分裂して、民主党を追われた「旧自由党小沢グループ」を糾合するか、あるいは小沢代表のテロ特措 法に対する考え方に否定的で「インド洋の洋上給油」について「一番リーズナブルな国際貢献」との発言をしている前原グループを取り込めれば、今回の「大連 立構想」というトラップは成功していたことになる。

もうひとつ、小沢氏は、前原氏との会談で、含みを持たせていた可能性がある。それは今回の大連立騒動というトラップそのものが、アメリカのブッシュ政権と の連携もあると考え、最悪の場合、自らの政治生命が失われたとしても、アメリカの現政権に覚えの良い印象を与えてきた前原氏に民主党の今後の有様を話した ことも考えられる。

そして11月7日、辞任を撤回した民主党「両院議員懇談会」の席上、小沢氏は、最後にこのように語った。

「代表就任に当たり、『私が変わらなければならない』と約束した。その約 束を改めてかみしめ、衆議院選に向け、死にものぐるいで戦う決意だ」(読売新聞 11月8日朝刊)





2007.11.07-22 佐藤弘弥

義経伝説
思いつきエッセイ