中秋の名月を見て安倍仲麻呂を偲ぶ宵

− 「月に祈りを」の文化−



 今夜は、中秋の名月だ。「中秋」とは、陰暦8月15日の日を「中秋節」と呼ぶところから来ている。またその日の夜に昇る月を「中秋の 名月」と呼び習わして月見の夜としてきたものである。

この夜には、昇る月に、米の粉の団子や芋などをススキと一緒にお供えする習わしがある。もっとも、地球の公転の関係から、中秋の名月が必ずしも満月ではな いようである。

日本人の中には、いびつさの中に美を感じる審美眼がある。だから名月が必ずしも満月でないというのも嬉しい。まん丸で、欠けていくだけの月が名月では余り に風情がないというものだ。

さてすっかり家族がてんでんばらばらとなり核家族化した昨今の日本では、かつてのように家族が揃って、月に祈りを捧げるなどあり得ない話しになってしまっ た。

かつて、初秋の夕暮れ時、東の空から月が昇って来るのを待って、団子を供え、供えた団子を食し、御神酒を飲み、爺さんから、昔話などを聞いたものだ。

遊びが少ないと言えば、それまでだが、今とは比べにならないほどの風情があった。

今、さあ、今日は月を見て団子を食べるますよ、と子どもに言ったら、「かったるい」「なぜ」と「テレビ」だ「ゲーム」だと言うに違いない。

そんなテレビに映るのは、品も教養も感じないお笑い芸人のお寒い一発芸だ。

最近、流行りの「どんだけー」とか「そんなの関係ねー」というような無意味な言葉が、子どもたちが真似をして、そちこちで聞かれるが、今夜ばかりは、月を 愛でながら、遣唐使となり、唐の都長安にあって、時の玄宗皇帝に優遇され、海難によって帰国もできず、月を見ながら、故国日本を偲んだ安倍仲麻呂 (698ー770)の歌でも静かに唱和してみたいものだ。

 天の原ふりさけ見れば 春日なる三笠の山にい出し月かも 仲麻呂



2007.09.26 佐藤弘弥

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