東北の秋は短い。秋の神は駆け足でやってきて、あっという間に去っていく。
しかしその刹那が余計に錦色に染まる一山の美しさを際立たせるのだ。
中尊寺金色堂は、単なる奥州藤原一族の廟堂ではない。それは阿弥陀仏の功徳によって西方浄土を観想するための御堂(阿弥陀堂)である。阿弥陀様は、人が死
出の旅立ちをする時、紫の雲に乗り、様々な楽師や脇侍を随えて、お迎えに来てくれる仏だ。死というものは、時が来れば、貴賤の如何に問わず誰にも平等に訪
れる。心に阿弥陀様を思い、口に「南無阿弥陀仏」を唱えれば、人は西方浄土にいくことができる。それが極楽浄土の教えである。
この堂に入り、阿弥陀様と四代の御遺骸に手を合わせると心が不思議に穏やかになる。様々なことが頭に浮かんで来る。初代清衡公は、中尊寺落慶供養願文に、
何故この中尊寺の至宝とも言うべき金色堂の存在を明確に記述しなかったのだろう。建立から九百年の歳月が流れている。それにしてもどれほどの人々がこの堂
に入り手を合わせ、西方浄土に旅立ったことだろう。
ほの暗き金色堂の堂に入り三度唱ふる南無阿弥陀仏
我もまたいつか旅立つ西方に在るてふ浄土思念してみる