晩秋の中尊寺

中尊寺

金色堂の秋(表門付近)
(2002年11月17日 佐藤弘弥撮影) 

東北の秋は短い。秋の神は駆け足でやってきて、あっという間に去っていく。 しかしその刹那が余計に錦色に染まる一山の美しさを際立たせるのだ。

中尊寺金色堂は、単なる奥州藤原一族の廟堂ではない。それは阿弥陀仏の功徳によって西方浄土を観想するための御堂(阿弥陀堂)である。阿弥陀様は、人が死 出の旅立ちをする時、紫の雲に乗り、様々な楽師や脇侍を随えて、お迎えに来てくれる仏だ。死というものは、時が来れば、貴賤の如何に問わず誰にも平等に訪 れる。心に阿弥陀様を思い、口に「南無阿弥陀仏」を唱えれば、人は西方浄土にいくことができる。それが極楽浄土の教えである。

この堂に入り、阿弥陀様と四代の御遺骸に手を合わせると心が不思議に穏やかになる。様々なことが頭に浮かんで来る。初代清衡公は、中尊寺落慶供養願文に、 何故この中尊寺の至宝とも言うべき金色堂の存在を明確に記述しなかったのだろう。建立から九百年の歳月が流れている。それにしてもどれほどの人々がこの堂 に入り手を合わせ、西方浄土に旅立ったことだろう。


ほの暗き金色堂の堂に入り三度唱ふる南無阿弥陀仏
我もまたいつか旅立つ西方に在るてふ浄土思念してみる




金色堂参道

中尊寺金色堂

金色堂の紅葉(大泉が池の淵)
(2002年11月17日 佐藤弘弥撮影)

霜月の金色堂は切なくて
紅 葉そぞろに足もとに降る


経堂

金色堂から経堂を望む
(2002年11月17日 佐藤弘弥撮影)

形ある七宝運び去られてしも供養願文の思い盗めず




旧鞘堂脇に立つ芭蕉 像
(2002年11月17日 佐藤弘弥撮影)
 
もうじきに木枯らし吹きて雪そ降るこの野ざらしの芭蕉像にも



旧鞘堂にかかる紅葉

旧鞘堂にかかる紅葉

鎌倉の政子の枕辺立ち給ふ武者は誰なり鞘堂の秋


釈迦堂

釈迦堂
(2002年11月17日 佐藤弘弥撮影)


弁天堂

弁天堂と弁天池の紅葉
(2002年11月17日 佐藤弘弥撮影)

たかだかに 寿命百年ヒト族が「もみじ儚」と観るは逆さま




木の根道の紅葉と竹林

竹林の奥に大堂 見つけたる鎌倉武者は度肝抜かれし


参道 薬師堂前

参道 薬師堂前
(2002年11月17日 佐藤弘弥撮影)

東物見から北上川と束稲山方向を望む

東物見から北上川と束稲山方向を望む
(2002年11月17日 佐藤弘弥撮影)

月見坂を息を切らして登る。東物見に立ち、もじ み色に染まった木々を眺め、しみじみと眼下に拡がる奥州の景色を観る。稲刈りの跡を残す秋の田が遠くまで拡がっている。手前には堤防工事が進む衣川が見え る。背中にキズを負った龍のように痛々しく見える。大河北上川は、日を浴びて、青く輝いていた。弁慶堂に登り、手を合わせ、義経と弁慶の在りし日のことを 思う。たいそう若く少年のように見える小さな義経の木像が安置してある。おそらく伊達の殿様が奉納したものであろう。高館義経堂のものと面差しが似てい る、その傍らに、ぶっきらぼうに仁王立ちをした弁慶像がある。一説によれば、弁慶手彫りと伝えられるが真相は藪の中だ。秋は日増しに深まっていく。

秋 暮れて弁慶堂に詣ずれば小さき義経少年に見ゆ

(あ)も汝(なれ)も人は錦の龍なるや月見坂行く晩秋の頃 ひろや


2006.11.11 佐藤弘弥

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