中越沖地震に思う

災害と日本人



 1 中越沖地震の悲劇

昨日(07年7月16日)午前10時13分過ぎ、また新潟中越地方で、大災害が起きてしまった。M6.8の大地震は、すぐさま「中越沖地震」と命名され た。それにしても、この地方への災害の手中的頻発は、この地に住む人々からすれば、「どうしておらが村だけ、こんな目に遭わなければならないのさ」と天に 向かって怒りをぶちまけたい気分になるところだ。

一連のニュースを見る限り、被災の人々は、信じられないほど冷静に映った。また大きな地震の大きさの割には、総務省消防庁(7月17日7時00分現在)調 べで、「死者9名、行方不明1名、負傷者929名、住家全壊342棟、住家半壊97棟」(気象庁HPより)という被害は、思いの外に少なく抑えられたので はないかと思えた。これは、04年10月の「中越地震」の学習効果や行政と地域住民の地震への普段の対応が功を奏したと言うべきかもしれない。

ただ、死亡者9人(柏崎8人、刈羽村1)のほとんどが70歳以上の高齢者で占められていたことは、やはり気になる。NHKのニュース(17日午後7時)に よれば、柏崎市の死亡者のうちの4人は「災害時要援護者名簿」(*注)に記載された人だっにもかかわらず、市側はプライバシーの問題などから、援護者を特 定していない状況だったという。このあたり、もう少しキチンと対応していれば、被害者数はもっと少なく抑えられた可能性もありそうだ。


 2 越後の人良寛さんの励まし

ところで、越後の人良寛さん(1758-1831)に、

いつまでか何嘆くらむなげけどもつきせぬものを心まどひに
(現代語訳:いつまで何を嘆くのですか。嘆きは尽きせぬものなのに。そんなに心を惑わせて)

という歌がある。

これには、詞書(ことばがき:歌の前に置く説明文のこと)があり、

「こぞは疱瘡(ほうそう)にて子供さはに失せにたりけり。世の中の親の心にかはりてよめる(現代語訳:去年は、疱瘡という病で子供たちが沢山亡くなってし まった。そこで世の中の親に変わってその心を詠んだ歌」とある。

つまり、これは良寛さんが、疱瘡(天然痘)という病によって、子を失った世の中の親たちを慰めるために詠んだ歌なのである。

歌は、とても平凡な慰めの言葉である。しかしこの奥に良寛さんという人物の優しさが込められていることが尊い。良寛さんは手紙の端に、この歌を書き、大切 に大切に育ててきたわが子を流行り病で失ったことを共に悲しみ、そしてその現実を受け入れ、そこから静かに離れることを歌に託して諭したのである。

良寛さんの時代から、越後中越地方は、度々大地震の災害に見舞われるところだった。良寛さん自身、出雲崎の大商家「橘屋」の長男として生まれ、15歳で元 服し、跡継ぎ修行に励むが、商売が合わないことで、18歳で禅寺に出家をしたようなとてもナイーブな人物だった。

その後、実家の父は京都の桂川で入水自殺を遂げ、良寛さんの実弟が生家の跡目を継いだが、ついには没落してしまうのであった。

その時にも、良寛さんは、生家の没落をさせた実弟を優しい眼差しで見つめ、励まし続けた。

また文政11年(1828)11月12日に起きた三条大地震では、末の子を亡くして悲嘆にくれる友には次のような手紙を送っている。

「地震は信に大変に候。野僧草庵は何事もなく、親るい中、死人もなく、めで度存候。うちつけにしなばしなずてながらへてかゝるうきめを見るがはびしさ。し かし災難に逢、時節には災難に逢がよく候。死ぬ時節には死ぬがよく候。是はこれ災難をのがるゝ妙法にて候。かしこ」(良寛全集 下巻 東郷豊治編著 東京 創元社 昭和34年刊)

何と、心のこもった手紙だろう。そして禅者らしく、災難に遭う時節というものもある。そんな時には災難もまた人生修行の一興(いっきょう)として受け入れ ることを説くのである。そしてそれこそが災難を逃れる妙法とまで言い切る。

中越の有為転変の一切をわが事のように、共に悲しみ、涙を零し、そして温かい中にもちょっぴり厳しさを含んだ言葉を書き送って励ましの言葉としたのだ。


 3 災害と日本人のこころ

とかく、日本人は、神戸の大地震でもそうであったが、大災害が降りかかっても、ジタバタと騒がない精神文化を持つと言われる。今回の中越沖地震でもそのこ とは見事に実証された形だ。震度6という大地震に見舞われながら、騒動もなく、隣近所総出で助け合いながら、狭い体育館での共同生活にも、笑顔を絶やさず に、淡々としている姿は、やはり良寛さんを輩出したお国柄もあるのかな、と思った。

読売新聞(17日朝刊)には、救出劇のさまざまなエピソードが紹介されている。中でも感動させられたのは、柏崎でひとり暮らしの中村典子さん(78)のエ ピソードだ。彼女は、潰れそうな自宅玄関で、頭から血を流しながら、助けを求め救助されたのだが、救助してくれた医師や隊員に何度も「ありがとう・・・」 と連呼しながら、静かに息絶えたそうである。

大災害に見舞われながら、懸命に生きる中越地方の人々に、日本人の誇りと真なる人の美しさを教わった気分になった。一日も早い復興を心から願うものであ る。

◇ ◇ ◇

注*
災害時要援護者名簿

災害時の安否確認や避難誘導等の支援を迅速かつ円滑に行うために、災害時の避難行動に支援が必要で、家族などの支援が受けられ ない人を名簿に登録。その上で、名簿を地域の自主防災組織など、民生委員・児童委員、警察、消防などに提供し、災害時の安否確認や避難支援などに活用す る。

登録対象者は以下の通り。
@65歳以上の一人暮らしの人
A65歳以上のみの世帯で身体が虚弱な人
B介護保険の要介護3以上の認定者
C障害のある人
D難病患者
Eその他外国人や日中独居の高齢者など、災害時に支援が必要な人
(以上は筆者が上越市のHPより編集作成)



2007.7.18 佐藤弘弥


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