退任する中尊寺貫首
千田孝信師を送る
−現代に藤原清衡公の思いを伝え続ける人 −



中尊寺金色堂
(2003年11月23日 佐藤撮影)

中尊の寺に詣でて堂に入り平和の意 味など思念せん今

 
平泉の中尊寺に紅葉の季節がやってくる。今年は特にもの悲しく感じられる。それは尊敬する中尊寺の千田孝信師(80)が、九月末日をもって貫首の座を退か れ日光にある観音寺住職に戻られるということを聞いたからだ。丸一三年間のお勤めであった。師の在任中、八百年の眠りから醒めた中尊寺蓮が奇跡の蕾を結 び、平泉はユネスコ世界遺産候補にノミネートされ、2008年には晴れて世界遺産に登録される見通しだ。

何度か師にお会いさせていただく機会があった。若い頃には、故郷の日光で学校の先生をされていたということもあり、実にざっくばらんでお優しいお人柄にた ちまち魅せられた。

師は藤原清衡公の中尊寺建立にかけた思いをお話しされた。清衡公の思いとは、中尊寺落慶供養願文にある通り、「生きとしいける命あるすべてのものを極楽浄 土に送り 届けたい。そして二度と戦争の惨禍に見舞われない浄土のような都市を平泉に実現したい」との祈りそものであった。中尊寺を離れるにあたって、 師はこの清衡公との出会いについて特に思い出として語られたと聞く。

一昨年の秋であったか、師は、世界的ジャズピアニストの秋吉敏子さんコンサートを平泉郷土館で聴いた後、その夜の懇親会で意気投合し、お二人で夜が更ける ま で酒を汲みながら百年来の友のように歓談されたという話を聞いた。秋吉さんはアメリカで誕生したジャズに日本的要素を入れたということが評価され本場アメ リカのジャズの殿堂入りをしている音楽家だ。水俣の悲劇や広島の原爆をテーマにしたアルバムなども発表している。おそらく師は音楽を耳にしたその時、一瞬 にして秋吉さんの鎮魂の音楽を魂で感じ取られたのだろう。

師はその朴訥な語り口と独特のユーモアで周囲のものをたちまち和ませてしまう不思議なお方だ。しかしその奥には厳しく自分を律する求道者のお姿がある。私 が最後に師とお会いしたのは、今年の六月衣川でのシンポジウムであった。ご挨拶に参上すると「遠くから御苦労様」と笑顔をいただいた。シンポジウムの最後 で閉めのご挨拶に立たれた師は、平泉や衣川の変わりゆく景観を心配されたのか、「この地の歴史に相応しいものを・・・」と含蓄のある発言をされた。平泉 は、2年後世界遺産に登録されようとしている。人類の遺産としての価値は目に見える寺社や景観だけではなく、むしろ目に見えぬ不可視の精神にこそある。そ れは清衡公の精神を伝えようとする千田孝信貫首の一三年間の苦闘の中にこそあった。貫首本当にお勤め御苦労様でした。
(2006年10月4日 佐藤弘弥記)

 奥州の心を汲みて十 三年千田孝信師に別れの秋来ぬ
 みちのくの土ともならんゆくゆくは夢の都の一隅に居て
 「慈悲」問へば「思ひ」と答ふ奥に居て平和を祈る師のこころ嗣ぐ


2006.10.04  佐藤弘弥

義経伝説
思いつきエッセイ
平泉エッセイ