映画「武士の一分」 論


−「清貧の思想」をめぐって−


佐藤弘弥
1 清貧の思想 と日本人

山田洋次監督最新作「武士の 一分」を観た。スタンリー・キューブリック監督の「アイズ ワイド シャット 」(1999年アメリカ映画 トム・クルーズ、二コール・キッドマン主演) を引き合いに出すまでもなく、時のアイドルスターを主役に起用するとどうも映画全体がアイドルのオーラのようなものに引きずられてうまく行かないものであ る。正直に白状すれば、時のアイドル「キムタク」こと木村拓哉を主役にしたこの「武士の一分」にも、その傾向が少し見られた。


大体時のアイドルスターというものは、他に仕事が待っているので、映画特有の拘束ができない。黒澤映画などでは、 役者はどんな有名俳優でも、黒澤の撮影リズムとか時間に合わせられなければ、勝新のごとく役を降ろされてしまう。映画はスターが主役ではなく、遺るフィル ムこそが主役である。

モノには二面があり、時の大スターを使う場合にも、ふたつの功と罪が生まれる。功は時の大スターを映画館に足を運 ばせること、一方罪はそのために、どうしても大スターとそのファン層の期待に応える媚びのようなものが、画面に現れることだ。

確かに、レディスデー(毎週水曜日女性客は千円で鑑賞可能?!)とかもあってか、映画館に行くと女性客が実に多 かった。帰りなどは束になった女性客が「良かったわね。泣けちゃうわ」などと、目頭を真っ赤にして出てくるのであった。私は「悪い映画ではない」と思いな がら、「ホントにいい映画だったか?」と言われれば、少し首を傾げてしまう。

その理由は、次のような点だ。万事、そつなくスジは進んでいるように見えるが、フィルムにはその「荒」が映ってい る。第一に貝毒にあたって意識不明の三村に女房の加世が口移しで薬を呑ませるシーンは美しいシーンというよりはキムタクファンをどこかで意識したサービス カットにしか、私には見えなかった。第二に主役のチョンマゲの前剃り部分がカツラでリアリティに欠けていた。アイドルには時間がないということか。第三 に、三村の家屋の周辺の全景シーンがなく、全体として短いアップ中心の撮影が多かったため、鑑賞後の印象がひどく近視眼的で切迫したものになってしまっ た。これも撮影時間がなかったためだろうか。もう少し東北の小藩を取り巻く、経済事情やら四季折々の田園風景やらを時間を掛けて盛り込んでいたならば、鑑 賞後の印象はまったく別のものになっていただろう。CGカットなど入れて、それで山田監督が満足だったとは到底思えない。寅さんではできて、何故この映画 ではできなかったのか。要は時間も予算も取れなかったということか。

映画は時代を映す鏡である。では、この映画を通じて、監督の山田洋次が現代に発しているメッセージとはいったいど んなものだろう。おそらくそれは原作の藤沢周平という作家の世界のイメージを念頭においていると思われる。藤沢周平ブームの背景には、現代日本の殺伐とし た金まみれの生き様に対するアンチテーゼがある。山田洋次は、ホリエモンに代表されるような生き方に対し、かつての日本人はこんな人間もいたということを 対峙させているのである。

江戸末期、東北の小藩は、いずれも厳しい財政危機にありながら、米沢藩や庄内藩のように、倹約と節約を旨として、 それでも武士の生き様を忘れずに、健気に藩を保ってきた。江戸時代という時代は、現代の日本人の精神に決定的な影響を与えている文化である。経済的な面か ら言えば、日本史の上でも、封建的な思想が盛んに喧伝され、もっとも生産力の衰えた時代であった。この時代の下級武士たちの生き様や死生観を現代に持って くると、清貧で美しいものに映るかも知れないが、私たちは、この江戸期に形成された徳川のイデオロギーというものを再吟味する必要がある。ある意味では、 この映画の中の三村というサムライは、例えるならば破綻寸前の地方都市の公務員である。年収はコメ三十石というから、今ならば五百万円ほどのことか。それ に父の時代から仕えている徳平という下男を抱えているから生活はけっして楽ではない。若妻が一人いて子供はいない。何故こんなに苦しいかと言えば、藩とい うものが財を生み出す産業を起こし得ないところにある。その大きな原因は何か。

日本中が清貧さに堪えなければならないそれを清貧というノスタルジーで美化して良いものか。私はそうは思わない。 諸悪の根源は、鎖国政策にあった。これによって日本各地の大小の諸藩は、海外交易を禁じられ、海外の進んだ文化を取り入れるどころか、現在の北朝鮮の人々 のような状況に置かれた。その結果、質素倹約が叫ばれ、栄養不足の日本人の平均身長は、江戸末期の頃が極端に小さかったと言われている。各地方の諸藩で は、慢性的に起こる飢饉により、一揆や逃散(農地を捨てて夜逃げ)などが頻発した。米沢藩主上杉鷹山は、様々な創意工夫によって、産業を起こし、藩財政を 立て直し、しばしば美談として取り上げられることが多い。しかしこれも藤沢周平と同様、過剰な金満社会のアンチテーゼとしての存在価値が認められての消極 的な評価に過ぎない。日本人の精神の去勢とも言えるような事態が徳川三百年の間に起こったのである。始まりは鎖国政策したことだ。日本の生産力は、その後 急激に落ち込み、日本各地の諸藩は慢性的な財政難に苦しむのである。これを「堪えて忍べ」と教えてきたのである。「武士は喰わねど高楊枝」などと揶揄する 言葉が残っているが、戦によって禄をはんできたサムライたちは、まさに岡に上がったカッパのように、清貧に堪えなければ行けなかった。こうして徳川期、日 本人の精神は、「ミザル・イワザル・キカザル」となり、物言わぬ民となってその荒々しい本来の武士的精神は骨抜きにされたのである。

これは丁度スタンリー・キューブリック監督の「時計仕掛けのオレンジ」(1971年英の主人公に仕掛けられた人格 矯正法「ルドヴィコ療法」が日本人全体に施されたようなものだ。どういうことかと言えば、このキューブリックの映画では、殺人まで犯した若者を、国家が強 制的な人格矯正によって、反抗など企てないような従順な性格に意図的に変えようとするのだ。江戸期には、孔子思想の本質を変節させたごとき「江戸期の儒 学」教育によって、人々は「滅私奉公」という思想によって洗脳されていったのである。今日の日本人が、余り自分の意見を持たず、主張もしないのは、この江 戸期の人格矯正が大きく影響していると私は考えている。

そうした中で、元禄時代に起こった浅野内匠頭の起こした殿中騒動がある。今日「赤穂浪士」とし日本人の中で知らぬ ものはないほどの話しである。事件直後より、赤穂の家来たちが行った復讐劇にあれほど、江戸期の庶民が共感を示したのは、自らが矯正されて骨抜きになった 日本人の荒々しい一面を思い出してある種の郷愁のような感情をいだいたのではないかと、考えられる。

本体武士と殿様との主従関係は、契約の関係であった。そして戦国の下克上の時代にあっては、強い者が上にのし上が ることができた。しかし徳川のリーダーたちは、これを意図的に改変し、関係性を絶対のものにすり替えることを行った。士農工商や、武士の階層にも、簡単に は、変更できない決まりを設け、身分を世襲に固定してしまった。これでは無能も有能もあったものではない。藩主の子は藩主の子、農民の子は農民となる。馬 鹿げた制度だが、外国の文化も入らない時代にあっては、じっとその立場にいて堪えることだけが美徳とされた。考えては駄目なのである。

だから、私は江戸期に培われた日本人の清貧さを一種の美徳のようにして描いているこの「武士の一分」という作品に は、どうも馴染めないものがある。山田洋次は、現代日本の映画作家として頂点を極めている監督の一人であることに異論はない。しかし「武士の一分」で、 「一寸の虫にも五分の魂」として描かれているその「一分」としての心意気が、去勢された日本人を目覚めさせるほどのパワーを持った「一分」であるとはどう しても思えない。以下そのことを考察するために全体のスジを追ってみることにする。


2 過剰譲歩の日本人

この映画のあらすじを見る。

東北の小藩(藤沢周平の原作では架空の小藩海 坂藩?)のお毒味役三村新之蒸(むみたしんのじょう=木村拓哉)という武士がいた。(但し藤沢周平の原作では、お毒味役というのは、固定的な役職ではな く、交代で近習たちが務めているように描かれている。)石高は30石取りの下級武士である。家族は5年前に妻とした加代(檀れ い)、と父の代から下男としている徳平(笹野高史)の三人。妻は町でも評判の美人で、子供はいない。一家は、慎ましい生活を営んでいる。

三村は、いつか寺子屋を興して、子供たちの能力に応じた教え方をしてみたいとささやかな夢を持っていた。ところが 俘虜の事故が一家を襲う。三村がお毒味の職務中に、笠貝の毒にあたって盲目となってしまったのだ。妻加代は、夫のため一家の生活のために、三村の石高(給 料)について、近習組頭の島田藤弥(原作では島田は三村の直属の上司だ)相談を持ちかける。元々女癖の悪い島田は美人の加代を子供の頃から知っていたこと もあって弱みにつけ込んで来た。

島田は、口添えの見返りにと、加代を凌辱(りょうじょく)したのだ。その後、島田は加代を夫にばらすなどと脅しを かけてその関係がズルズルと続いていた。徳兵の尾行によって、事実を知った三村は、苦しんだ挙げ句、加代をその場で離縁する。その上で、自分の禄高が削ら れることなく、保障された経緯について、友人山崎兵太( 赤塚真人)に調査を依頼する。そしてそれが島田の口添えによるものではなく、偏に藩主の温情の一言によってもたらされたものであることを知る。島田は間違 いなく 加代を騙し欺いていたのである。

こうして三村は復讐に立ち上がる。剣術の稽古に精を出し、己の感覚を研ぎ澄ませた上で、盲目ながら、「武士の一 分」を持って、上司に決闘(果たし合い)を挑む。

しかし島田藤弥は、江戸の有名道場で三年間修行を重ね免許皆伝の腕前である。どんなに三村が感覚を研ぎ澄ますこと で、容易に勝てるような相手ではない。剣の師木部孫八郎(緒形拳)は、「死ぬことを覚悟でこそ生きる術もある」と「必死」という言葉を授けて三村を送り出 す。

決闘が河原で始まる。島田は盲目の三村をあざ笑うように三村の背後に立つ廃屋の屋根に登って自分の気配を消す。一 瞬、島田はサヤを抜き、三村の左方向に捨てて、あたかもそこから来るように見せかけ、自分は三村の背後から一刀両断に斬りつけようとする。三村は冷静にこ れに反応し、相手の左腕に致命的な一撃を加える。勝負を見守っていた徳平は、「トドメを刺しますか」と聞くが、三村は「もうよかろう」とそのままにする。

これは後日談だが、三村は、何とか家に戻って、命を取り留めたが、藩の詮議にも、経緯などは一切答えず、最後には 残った右手一本で、自刃をして絶命したということが。まさか、盲目の三村が決闘の相手だとは、思われず、取り調べは三村には及ばなかった。

その後、徳平は粋な計らいをする。飯炊き女中を雇いたいと言いながら、加代を家に呼び寄せたのである。ある時、そ の飯の味や芋の煮具合にピンと来た三村は、加代を呼び寄せ食後の茶を所望する。何気に三村の手を取って茶碗を握らせた加代の手を三村も思わず握り締めて物 語は終わる。


物語としては復讐を遂げ、崩壊した家庭も修復するというハッピーエンドな物語である。

さてこの物語、藤沢周平の原題は「盲目剣谺(こだま)返し」(初出は「オール読物」昭和55年7月号)となっている。この「谺返し」とは、三村が通ってい た木部道場に伝わる秘剣として伝わる極意で、誰も見た者はいない。しかしある時、道場において、この極意に熟達した先々代の木部采女之介(当時の道場主) が、ある年の寒稽古で四人の弟子たちに木剣で一斉にかかってこらせて、自分は竹刀を持ち、四人を 一瞬のうちに倒したと言い伝えられている技だ。その時、采女之介は、勝負が決まった後も目を半眼に閉じ、死者のような青白い表情をして木像のように佇んで いたという。
感覚を研ぎ澄ませ、人智とは別の感覚によって生じる境地で はないかとような藤沢周平一流の解釈がなされている。

原作と映画で決定的に違うのは、原作では決闘において、三村は仇の島田の首を切りつけて一刀のもとに絶命させているが、映画では左手に瀕死の重傷を負いな がら生き延び、最後には残った手で腹を切ったことになっている点だ。一瞬にして亡くなることなく、生き延びることで、後日談という別のドラマが生まれ、山 田洋 次監督は、島田藤弥(原作では島村藤弥)という武士にも、自省の機会を与えたことになる。そして仇の島田もまた「武士の一分」をもって、自らで自分の生き 様を貫くことになった。その意味で、山田洋次という映画作家は、敵味方の区別なく、人間というものに対して常に優しい眼差しを持った人物であるということ ができるだろう。また映画では、原作の「谺返し」という秘術っぽい 言葉を使わず、リアリティのある太刀を演出しようとしていた点も見所だった。しかし、実際に盲目の剣士が、免許皆伝の猛者と勝負をして勝つということは奇 跡のような出来 事であろう。まあ、その意味では、座頭市と同じくある種の時代劇ファンタジーと呼んでもいいのかもしれない。

私たちが日々暮らしている実際の社会とは、理不尽な事ばかりがまかり通るものである。この映画は、故藤沢周平が創作した清貧な生活を日常とする海坂藩を背 景にした物語である。そんな映画の清貧な時代とは著しく違って、現代の日本人は、平均所得は大幅に向上した。だが一方では、世の中の理不尽さに負 けて、いつも譲歩ばかりしている譲歩の塊のような社会となった。現実をみれば、実際の江戸時代の世界でも、庶民は譲歩ばかりを強いられていたことに変わり はない。それだけに赤穂浪士の復讐劇があれほどの熱狂をもって、江戸庶民を湧かせ、人々はこぞって大石内蔵助以下の四十七士の「武士の一分」の志を讃え、 わがヒーローとしたのである。

現代はどうか。政府・官僚の癒着は、目を覆うばかりとなり、明治以来の中央集権化の流れは、全国にあった個性ある文化や風土をことごとく一元化し、どこに 行っても似たような風景が現出している。日本は、江戸期の封建的イデオロギーを支えとして、過剰なまでの譲歩社会の道を歩み、ついには没個性の社会となっ た。日本中、どこに行っても、同じような道、橋、堤防、ダムが金太郎飴のごとく存在しているのが、そのことの何よりの証拠だ。構図としては、いつも同じ だ。例えば、地方は中央に譲歩し、庶民は官僚や政治家に譲歩し、学校は教育委員会に譲歩し、教育委員会は文科省に譲歩する。その結果、まったく現場を無視 した上からの指令が一方通行で貫徹されて、現場が混乱を来すのである。

この構図は国際関係でも同じで、
日本は同盟国である大国アメリカに譲歩する。アメリカ大統領が、イラクに核兵器や細菌兵器があると言えば、「そうですか」とこ れを肯定し、イラクに侵攻しようとするアメリカを擁護する側にすぐにまわってしまう。世界には、ヨーロッパのフランスやドイツばかりではなく、アメリカの 同盟国の中にも、少しアメリカに意見を述べたカナダやオーストラリアのような国もあった。とかく日本においては、日米の同盟関係のみが、重視され、イラク 国内の事実関係は、どこかに飛ばされてしまうようなことが多い。

早い話が、日本は、以前として「ノー」と言えない国なのである。山田洋次監督は、原作の娯楽小説「盲目剣谺返し」を「武士の一分」と代えることで、「人間 には、どうあっても、譲歩するわけにはいかない領域あるいは意地を貫くことが必要な瞬間がある」ということを言いたかったのではあるまいか。

本来武士とは自分の身ひとつで殿様と主従契約を結び、自分が理不尽と思った時には、これを諫め、場合によっては、契約関係を解除することもじさなかった存 在であった。それがいつの間にか、滅私奉公の封建的主従関係がイデオロギーとして強制され、戦後においては、その相手がアメリカにとって代わったような印 象が私にはある。その意味でも、現代の日本人の譲歩まみれの生き様をもっと正面か突くようなような鋭いセリフがあっても良かったと思う。残念だが、この映 画は、私怨(個人の怨みの領域)、私憤のレベルで物語が終始していて、今ひとつの現実的迫力に欠けていたのではないかと思うのである。


3 寅さんの内にある「武士の一分」

先頃、山田洋次監督は、あるNHKのドキュメンタリー番組(ETV特集・選「お金儲け悪いことですか〜あの人が答える”働くということ」)に出演し「お金 儲けは悪いことですか?と聞かれたら、寅さんはどういうでしょうね?」という質問に「きっと彼は、『それを言っちゃーおしまいよ』と言うでしょうね」と 言った。笑ってしまったが、実に示唆的に富む発言だった。要するに寅さんというキャラは、文字通り、日本人の中にある「武士の一分」ならぬ日本人の人格的 良心をさり気なく持つ人物なのである。

考えてみれば、山田監督は、この三十年来、「男はつらいよ」(1969−1995)という国民的人気映画を作り、そこで寅さん(車寅次郎)という架空の主 人公を登場させた。この庶民的ヒーローは、日本人の心の夢の部分を担っているように見える。すべてに型破りな、寅さんは、世間の常識というものからみれ ば、文字通りのはみ出し者で、ひたすら日本中をテキ屋稼業をしながら、さすらい歩く風来坊「フーテンの寅」である。

1969年から始まったこのシリーズは、以後1995年まで26年間、日本中をロケ地にしながら、合計49作品も続いた。驚くべき継続性だ。このフィルム には、今では無くなったしまったあちこちの懐かしい風景が焼き付けられている。寅さんは、土地に縛り付けられ、企業に縛り付けられ、家庭に縛り付けられ、 借金に縛り付けられ、しかもあらゆるしがらみとその束縛から逃避できずに、現実に譲歩するばかりの日本人の対極にある自由の象徴のようなヒーローだ。

寅さんは、妻子を持たず、土地と家屋を持たず、それでいて女性が大好きで日本中を恋しながら遍歴する現代のドン・キホーテのごとき存在だ。しかし予期せぬ 時、ひょいと生まれ故郷の葛飾柴又に戻っては、一騒動を起こし、風に任せてまた旅に出るのである。

この寅さんと今回の映画「武士の一分」の三村新之蒸を比較すれば、武士の三村の方が私たち現代の日本人に近い存在である。何しろ、様々なしがらみを抱え て、家というものに縛り付けられて、過剰なほどの譲歩の中で暮らしている。それでも三村は、小さな藩ながら、それなりの教育を受け、剣術も習い、武家の家 督を継ぎ、清貧ながらもごく普通の生活を営んでいる。三村は、一度も寅さんのように自由気ままに生きたこともなければ、常識を外したこともない。もし貝毒 に当たらなければ、子などをなして、その子に後を継がせ、それなりの老後を送って亡くなるような普通というか平凡な人物に見える。

人によっては、平凡こそが一番という生き様もある。三村がそんな人間かどうかは不明だが、そこで不慮の事故が起き、自らは盲目になるという不幸に見まわ れ、愛する妻は凌辱されてしまう。そこで彼の中に眠っていた本来の人間力が現れる。譲ってばかりいる生活を継続し、黙り込んで「ミザル・イワザル・キカザ ル」を通すことも可能だ。一方では命を賭けて、その壁を跳ね返す生き方もある。そして三村は寅さんではないが、無茶な行動に命を賭けて挑んだことになる。

寅さんに限らず、日本人は生来において「武士の一分」のごとき志(良心)をしっかりと持っている。それは今回の映画の三村に教わるものでもなく、もちろん 寅さんに教わったものでもなく、日本に生まれ育ったというだけで、本来は自然と身につく類の性質であった。しかしいつの間にか、日本人の生来の古き良き魂 が失われてしまったのである。

寅さんをヒーローとして、受け入れている日本人の心情の奥には、寅さんの破天荒で場当たり的な行動様式の中に自らと日本が失ってしまった郷愁のような感情 が眠っているのではないだろうか。少しばかり経済的に豊かになった私たち日本人だ。そんな中にあって、寅さんは、金も学も土地家屋も妻子もないが、しっ かりと日本人本来の美しい心(「武士の一分」)を持って、生きているのである。

寅さんシリーズ「男はつらいよ」は、日本各地の美しい風景を背景に日本人の心に眠る温かい人情というものを見事に活写してきた作品である。この映画には、 日本人の心にある故郷が映し込まれている。またここに登場する庶民は、誰もが生き生きと輝いていて、欲得にまみれて身動きの取れない現代日本人の対極にあ るキャラクターが多く登場する。

だからこそ、寅さんのキャラクターを創造した山田洋次氏は、「お金儲けは悪いことですか」と聞いたら、日本人は「それを言っちゃーおしまいよー」と答えた のではあるまいか。
三村にも寅さんにもある共通の「人間としてけっして譲ってはならない 高き志」(武士の一分)は、古いも新しさもなく、私たち日本人の心の中に眠っているのである。寅さんが二十五年の歳月をかけて歩いて映し出した様々な日本 の古き良き風景のように。


現代日本人 と「武士の一分」(原作との違いに見える山田洋次の本音)

「武士の一分」という作品で、山田洋次はいったい何を伝えたかったのか。

原作との比較の中で、それはかなり明確になるように思われる。

第一に、原作の「盲目剣谺(こだま)返し」を「武士の一分」としたことに現れていると思われる。原作の方は、藤沢流の復讐物語であるのに対して、武士とい うよりは「人間」が譲ってはいけないもの、すなわち「譲れない心」というものである。また「一分」には、「一寸の虫にも五分」という諺にも通じ、その人な りのプライド(誇り)という解釈も成り立つ。

現在の日本人の状況をみれば、どう見ても映画の中の三村新之丞同様、妥協ばかりを強いられて生活している。映画における主人公三村は、藩の下級武士で、現 代の日本人のサラリーマンそのものに見える。

戦国期まで、武士は本来現代のサラリーマンとは対極にある職能であった。彼らはひとりひとりが社長であり、軍功によって、城持ちの殿様にも出世する大いな る可能性があった。ところが、江戸時代に入ると、戦はなくなって平和になった代わりに、軍功という夢もなくなって、結局武士は父親の身分を引き継ぎ、家柄 を守っていく消極的な人生を強いられたのである。実に活力もやりがいもない時代だった。

「復讐」という概念は、そのやりがいのない時代に対するアンチテーゼであり、黙って譲歩ばかりをしている人間にとっては、自分の鬱憤を晴らしてくれるもの でもある。復讐物の典型は、「赤穂浪士」であり、物語としては「曾我兄弟仇討ち」もこのパターンの物語である。つまり武士とは、復讐の権利を有する存在で あり、仇討ちは美談として語られる話だった。

しかしこの映画で山田洋次は、原作の江戸期の下級武士の仇討ち物語を別の味わいを加えたのである。通常、復讐劇というものは、怨みのある相手を殺害すれば それで、物語は一応成就するのである。藤沢周平の原作でも、仇があっさり絶命して、そのセオリーを踏襲している。赤穂浪士でも、復讐をされた方の吉良家の 動向や沙汰は、一切触れていない。それが復讐劇のセオリーだからだ。

ところがこの映画「武士の一分」で、山田洋二は主人公三村にトドメを刺ささなかった。左腕に致命的な負傷を負って仇である藩のエリート島田藤弥は、前のめ りに倒れ呻いている。こうして物語が単なる復讐劇を劇的に転換する後日談が生まれた。瀕死の重傷を負いながら、一命を取り留めた島田に、自分を省みるチャ ンスが生まれたのだ。これは山田洋次が、主人公の「武士の一分」だけではなく、仇である島田という人物の「武士の一分」を描いていることになるのである。

聞くところによれば、脚本の最初のタイトルは「愛妻記」であったという。こうなると、少し山田洋次が当初から意図していたことが少しばかりはっきりする。 単純な復讐の物語を、愛妻への愛情を取り戻すというところに力点を置くことで、物語が血生臭さを捨てて、温かいものになる。さらにそこに復讐の対象である 島田にも自省の機会を与えることで、もうひとつ暖かみがでたことになる。

第二の原作との相違点。それはお毒味役の長である樋口作之助(小林稔侍)が、貝毒事件の責任を取って、自宅で腹を切ることだ。意外なシーンだった。いきな り御経を読んでいる樋口の姿が現れ、周囲では家族が、じっと涙で主人の自害を見守っている。これも樋口という老武者の「武士の一分」ということになる。お そらく、藩命によるハラキリではない。自分がこの時期の食材としての笠貝の危険を見抜けなかった責任を取り、この老武士は腹を切ることになったはずだ。

これも山田洋次の現代に対する暗喩的メッセージであろう。現代は、どんなことがあっても、責任を取って、命を差し出す者などいない。とくに政治家や官僚な どは、頭も下げることもない。それでもまかり通る世の中だ。大企業役員などは、マスコミに深々と頭を下げて退任で終わる。もはや現代では、命を絶つこと で、責任を取るのは、借財に対し連帯保証がついて回る中小企業の社長や自営業者の場合くらいだだ。別にこの映画は、命を差し出すということを奨励している とは思わないが、現代の日本人の責任の取り方というものに対する山田監督の強い思いが現れているように思う。

第三の相違点は、原作にはない三村の夢が語られる場面だ。それは三村が、早めに職を辞し、自分の土地に剣の道場を建てて、若い才能を教育しよう思っている ことだ。彼はそれぞれの才能に応じた教育をしたいと、熱い胸の思いを語る。この辺りにも、山田監督の日本の教育システムに対するメッセージがあると思われ る。


 結 論  山田洋次作品と日本の風景

さて、そろそろ結論を導こう。これまで、山田洋次という映画作家は、寅さんシリーズで、 日本の美しい風景を映像に 収めてきた。それ以外の作品でも、山田洋次にとって、物語の背景となる地域の風景は役者同様に大切なものであった。それが今回の最新作「武士の一分」で は、風景を切り取るという自らのスタイルを貫けていない。この作品からは、彼の特徴である美しい日本の風景が見つからないのだ。

「武士の一分」という映画は、とても単純なストーリーだ。このシンプルさは、山田洋次の 作品全体に見られる傾向だが、中でも私は「幸せの黄色いリボン」 (高倉健主演 1977年作品)に似ているなと感じた。あの映画も、妻への愛情を取り戻すという実にシンプルな心温まるストーリーだった。刑務所帰りの陰 ある主人公を演じる高倉健の寡黙な演技もあり、人間味に溢れる佳作だった。一方、機関銃のように九州弁を放つ助演の武田鉄矢のユニークなキャラクターも面 白かった。今回の笹野高史の軽妙な演技に一脈通じるものがあった。

但し、この名作「幸せの黄色いリボン」と「武士の一分」の決定的な違いは、背景となる美しい風景が映し込まれているかどうかの一点である。原作者の藤沢周 平は、海坂藩という藩のイメージを明確にしているのだから、しかるべきところで、もう少し東北の小藩の美しい風景を画面に描き出して欲しかった。

残念なことに、作品を見終わって二週間ほどが経っているが、作品としての印象が極めて薄い。「譲れない心」を持って生きろ、という監督のメッセー ジは分かるが、それとて、こちらの胸にしっかりと伝わって来ないのだ。喩えるならば、ショウウインドウに飾ってある小綺麗なジャケットを見て、「い いものだな?!」とは思うが、試着をして、これを購入しようという気が起こらずに、その前を通り過ぎたというところだ。そのことの原因のひとつに、山田洋 次作品の特徴である海坂藩という東北の小藩の美しい風景が映っていないことにあることは否定できない事実だ。

印象が薄い原因は他にもあるはずだ。例えば主演の木村拓哉という俳優の見た目の小綺麗さも、その一端があるかもしれない。はっきりいって、この木村拓哉と いう役者には、 観客の中にズカっと入り込んで、こちらの心を捉えて離さないような迫力がない。主演クラスの俳優には、図々しさというか、観客にウムを言わせぬような強烈 な個性がある ものだ。何が問題だ、と聞かれれば難しい。太刀さばきも下手ではなく、上手い方だ。しいて言えば、顔がつるんとした優形なのが原因かもしれぬ。あの顔で、 復讐に命を掛けると言われても、本気度がこちらに伝わってこないのだ。だから妻のセリフに「そんな冷たい目で見ないでください」というのがあったが、白け てしまうのである。一言で云えば、美男といい役者顔というものは違うということかもしれない。

最近同じようなことを韓国ドラマを見ていて強く思う。出てくる主演クラスが、みんな容姿端麗の絵に描いたような美男美女ばかりで、どうにもこうにも現実感 が伝わって来ない。いかにもお人形さん風の男女ばかりではドラマなど成立するはずもない。観客の魂にいつまで経っても残るような本物の人間ドラマは、そん なヤワなものではないはずであ る。残念だが、木村拓哉と檀れいもまたその域を出る演技ではなかった。

そんなことで、映画「武士の一分」は、木村拓哉という現代のアイドルをテコとして松竹がそろばんをはじいた娯楽映画というものだった。もっと言えばキムタ ク映画という言い方もできる。ともかく女性ファンを映画館に来させようとする松竹映画の思わくが透けて見えてくる。

本来、山田洋次という映画監督は、撮影のロケ地の景観もまた主役のようにして丹念にフィルムに映し込む映像作家であった。しかしながら今回はセットでの撮 影が中心で、せっかくの藤沢周平作品の持つ叙景的な風情がそがれてしまった。この辺りは、同じ藤沢周平原作の映画化「蝉しぐれ」(黒土三男監督作品  2005年 東宝映画)と見比べると、残念だが一目瞭然である。そのために、付け焼き刃な印象が残る作品となってしまった。


2007.1.5-1.17 佐藤弘弥

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