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義経

村上元三 作詞

鶴田錦史 作曲

1.大物浦の難破 

雲を巻いて荒れ狂う、大西風(おおにしかぜ)に浪立ちて、船は木の葉の如くなり、壇ノ浦にて滅びける、平家一門の怨霊が、奈落の底へ義経を、引ったてんものと群集い、波に浮かびて出たるぞや、抑(ぐしき)もこれは桓武天皇九代の後胤、平家の知盛が怨霊なり、たとい悪霊恨みをますとも、そも何事のあるべきぞと、弁慶数珠を押し揉んで、五大明王唱えつつ、押せや者ども漕ぎのけよと、陸路(くがと)のかたへ寄せんとすれど、なお怨霊は立ち現れ、前後を忘ずるばかりなり、ながて波風治まりて、義経主従ようように、吉野の峰に入りける。

2.吉野の別れ

判官静を召し給い、我この度思わずも、言い甲斐なきの讒(ざん)により、兄頼朝の怒を買い、住むに家なき身となりぬ、大峯山(おおみねざん)は古くより、女人禁制の山と聞く、そなたを伴い行かぬこと、かえすがえすも無念なり、ひそかに吉野を逃れでて、時節を待てと菊の酒、酌み交わしてぞ別れ行く。

  吉野山 峰の白雪踏み分けて 入りにし人の跡ぞ恋しき

3.安宅の関

霞に包む旅姿、追われ追われて加賀の国、山伏姿の十二人、富樫の守る安宅の関、弁慶いとも厳かに、勧進帳を読み上げて、通らんとせし折しもあれ、如何にそれなる強力(ごうりき)、止まれとこそ、すわ我君を怪しむは、一期浮沈極まりぬ、これまでなりと弁慶は、あら腹立たしや、僅かばかりの笈(きゅう)を負い、後へ引き下がればこそ怪しむぞ、いで物見せてくれんずと、金剛杖を振り上げて、強力姿の判官を、はっしはっしと打ち据えたり、富樫見てとり、弁慶の、心の中を推し量り、我ら近頃誤って候、はやはや通り候えと、覚悟を極めて、見遁しける、虎口(ここ)を逃れし判官は、武蔵坊の手を取りて、御身の己むなき振る舞いを、いかで恨みに思うらん、その言の葉の嬉しさに、流石(さすが)に猛き弁慶も、ただひれ伏してむせび泣く、如月(きさらぎ)の空まだ明けやらぬ心地して、陸奥(みちのく)指して落ちて行く、主従を偲び松しぐれ。

 

 注:この詩は、キングレコードより「ワールド・ミュージック・ライブラリー」No86として1995年一月21日に発売されたCD「琵琶劇唱〜鶴田錦史の世界」の3曲目「義経」(演奏時間25分43秒)から掲載させていただいた。

この曲は、源義経公が、平家を滅ぼして後の運命の変転を見事に三つのエピソードで綴る鶴田錦史芸術の極致である。尚、三つのタイトルをつけてたのは、佐藤弘弥である。


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