佐藤版日本一の美女は誰?

 
母性美の極致ラファエロの聖母子像


 
今日本一の美人は、誰だろう。美人の定義は、一種の感覚であり、人によって、時代によって、地域によっても変わってくる。俺は、常磐貴子(佐藤に言わせればただの不良娘)がいい、と言う人間もいれば、いや沢口靖子(大阪弁のお嬢様)だ、また葉月里緒菜(世間知らずの帰国子女)だ、と人によって評価は、様々だろう。木村さんのように、まだ吉永小百合だ、十朱幸代だと、騒いでいる人もいるかもしれない。
 

今私が、日本で一番の美人と感じるのは、声楽家(ソプラノ)の佐藤しのぶさんである。彼女は、既婚で、子供が一人いる30代の女性だが、非常にふくよかで、母性的で、女性の要素を全て兼ね備えたような雰囲気を持った女性だ。人もまた花の時期がある。彼女は、まさに満開の花の時節を迎えているといえるだろう。

西洋では、女性を褒める時に、「ラファエロの聖母のような」という表現を使う。ただ単に顔の造作が整っているだけでは、美人とは呼べない。ラファエロは、聖母という題材を扱いながら、女性の中にある母性というものの価値を完璧なまでに表現している。まさにラファエロは、母性美を表現する芸術家である。ラファエロの様々な聖母の絵を見ていると、母性こそが、人類において、最も大切な概念ではないか、とまで思えるほどだ。

ラファエロの描く聖母は、常にわが子イエスを見つめ、イエスの成長を一心に願い続けている。その内面の母性が表現されているからこそ、我々は、ラファエロの芸術に、鮮烈な感動を覚えるのである。もちろん母性とは、ラファエロが、発見するまでもなく、女性が生来内面に持っているものである。しかし現代において、母性を感じさせる女性のいかに少ないことか。
 

私は、佐藤しのぶさんという女性の中に、たぐいまれな母性を感じるのである。昨年その彼女が、旧ソ連チェルノブイリの小学校に慰問に出かけて、歌を子供たちにプレゼントすることになった。もちろんチェルノブイリと言えば、10年ほど前に、原子力発電所の大事故で、大変な被爆をしたあのチェルノブイリである。

彼女は、子供たちを前にして、ウイーンのオペラ座で歌うような美しい衣装を着て、彼女たちの為に心を込めて歌った。彼女も美しかったが、その子供たちも、本当に純粋に美しかった。まるで佐藤しのぶさんを「マリアさま」でも見るような目つきで、一心に見入っている。しかし時は、残酷である。楽しい一時もあっという間にフィナーレがやってきた。そして彼女が、子供たちのリクエストに答えて最後に歌った歌があの「アヴェ・マリア」という歌であった。

歌い終わると、何とも言えない感動が、小学校の小さな講堂全体を包んでいた。やがて彼女がその小学校を去る時が来た。子供たちは、佐藤しのぶさんの周りに集まって彼女の手を握りしめ、感謝の気持ちを精一杯に表した。おそらく二度と会えないはずの佐藤しのぶさんとチェルノブイリの子供たちの間には、言葉や民族を越えた心の強いふれあいがあった。佐藤しのぶさんの母性愛が、たまたま不幸な境遇の村に生まれた子供たちの心を癒したのである。

彼女を乗せた車が小学校を離れていく時、彼女の目からは、大粒の涙があふれていた。その車を子供たちが手を振りながら追いかけてくる。何と美しい光景、そして佐藤しのぶさんとは、何と美しい女性だろう、としみじみ思ったのである。

最後にその佐藤しのぶさんの言葉を紹介しておこう。「私が目指していることは、こんなみじめな時代の中で、希望を常に忘れずに、人々の涙を一粒一粒すくって飲むような、そして自分の体温で人を温めるような慈愛などを歌で表現することです。世界は今、間違いなく多くの困難な問題に直面しています。お医者様が体の病気を治すように、人々のこころを癒すことのできる歌手になりたい。そんな願いをこめてこれからも歌いつづけたいと思います。

この世の全ての女性たちよ、自分の内面にある母性の強さと美しさにに目覚め、磨きをかけなさい。もしもあなたの女性としての母性が目覚めたならば、世界の全てのことが、その母性という鏡を通して、容易に理解できるようになるはずだ。母性こそが女性を美しく開花させる秘訣なのである。佐藤



 

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1997.1.20