美人は苦労をする

 

美とは、移ろいやすいものである。

つい昨日まで、我が世の春よ、とばかりに咲き誇っていた花が、今日には、早くも枯れかけている。

人間の世界でもそれは同じだ。人の美しさもまた、花のように移ろうのである。つい最近まで、世界のポップ歌手の中で、ホイットニー・ヒューストンマライヤ・キャリーが、今を盛りと大輪の花のごとき美しさを競っていた。しかしそれが今は旬を過ぎて、まるで枯れかけのバラようになりつつある・・・。

おそらく年齢の問題ではない。彼女たちは、世間の声に増長し、自分を見失ってしまったのだ。あるいは内面の美しさがなかったともいえる。それほどに美の女神は、気まぐれなのだ。

世の人は、美しく生まれた人間を、賛美し、あのように美しく生まれたならば、自分の人生もまったく違ったものになったなどと…考えがちだ。しかし美しさなど一瞬の閃光にすぎない。少しばかり人より美しいばかりに、人生を台無しにした人間は少なくない。

古くはエジプトのクレオ・パトラが毒蛇で自殺をし、中国の楊貴妃は、皇帝が政治を忘れて恋に狂った張本人とされて殺された。フランスのマリー・アーントワネットは、悲惨にもギロチン刑の後に、その首をさらされ、マリリン・モンローは、孤独の果てに、服毒自殺を遂げた。このように見ていくと、結構美人は悲惨な人生を送ることが多い。

昔日本にも「小野小町」という絶世の美人がいた。彼女は、六歌仙の一人で、百人一首にも「花の色は、移りにけりな、いたずらに、わが身世にふるながめせしまに」(私は、この歌に、小野小町自身の自分の美貌の衰えて行くことに対する不安と孤独を感じてしまうのである)という歌が残されたほどの才色兼備の女性だったようだ。

小野小町の晩年は、実はよく分かっていない。一説によれば、老いさらばえて、諸国を放浪し、京都に戻り行き倒れて死んだという説がある。要するに悲惨な人生を送ったのだ。彼女の最後の有様を伝える「小野小町物語」という文書によれば、晩年の小町は「やせ衰え、髪は白くまばらで、肌はかさかさ、顔黒ずみ、身につける衣もなく、裸足で、乞食のように、都大路をさまよっていた」と伝えられる。そのようにして乞食同然にして、92才という高齢で亡くなったのである。

何故絶世の美貌を持った彼女がこんな悲惨な晩年を送らなければならなかったのだろう。若い頃の彼女は、彼女の美貌に目がくらんだ男たちの求婚をかたくなに拒み続けた。とかく美人は、ちやほやされすぎて、自分を見失いがちだ。小町も、完全に自分を見失っていたのであろう。所詮、男たちは、彼女の外見の美しさに惚れていたのである。

花はいつかは枯れる。いつしか小町の美貌も枯れ、彼女は世間から見捨てられてしまうこととなった。彼女の過ちは、自分の心の花を咲かせられなかったことにある。しかしそれは、美しく生まれた人間が、陥りがちな落とし穴でもある。

彼女の悲惨な人生は、我々に自分の内面を磨くことの大切さを教えている。

もしも彼女が、自分の美しさに頼らず、内面にある別の華を見つける努力をしていたならば、こんな悲惨極まりない人生を送らなくても済んだかもしれない。所詮、人の姿形とは、うわべの美に過ぎない。しかもそれは、一瞬の閃光なのである。だからこそ人は、自分の内面にこそ本物の華を咲かせなければならないのだ。我々は、自分の心の中に、永久に枯れない真実の花を咲かすことができるだろうか?佐藤
 


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1997.12.10