平成の美談として

−この母ありてこの子あり−

日本社会は、どうしようもなく欲にまみれた社会である。カッパライとドロボーの類が、他人の家のジョウマイを外そうと鵜の目鷹の目で隙を狙っている。そのような殺伐とした社会にあって、今年の一月に、東京山の手線のある駅で線路に落ちた他人の命を救おうとして、日韓二人の男性が、犠牲になった事件は記憶に新しいところだ。この事件は、悲しい悲しい事件ではあったが、きっと美談中の美談として、人々の記憶の中で、永く語り継がれるに違いない。

助けようとして犠牲になったうちの一人である故関根史郎さん(当時四七歳)はカメラマンであったが、彼の写真が、この度「春の交通安全キャンペーン」のポスター写真として採用されたようである。

二匹の子犬が、仲良く並んで写っている。きっと兄弟であろう。そのポスターにはこんな事が書かれている。
「散歩をしていて思うこと・・・毎日の散歩は楽しいけど、街では危険なこともしばしば、・・・時には大きな自己を見かけることもあるんだよ。みんなが交通ルールを守って欲しいな。悲しい事故ははもう見たくないから。」

子犬が語りかけているような仕上げになっているのだが、私はどうしても亡くなった関根さんが、世の中のみんなに語りかけているような気がした。彼が、落ちた人を救おうと身を投げ出して亡くなった時のことが、思い出される。
その時、彼の友人は、マイクに向かってこのように語った。
「関根さんという人は、本当に心の優しい人で、あのような事で亡くなったことは、驚くに当たらない。いつも彼は他人に対して優しく接する人だったから」
また彼の母親千鶴子さん(七六歳)の悲しみを堪えた気丈な言葉は、特に強く私の胸を打った。
「今、息子が亡くなったことは何と言っていいか、分かりません。実感がないもので、優しい子でしたから・・・」

この痛ましい事故の後、全国からは、二人の勇気を讃えた言葉や遺族への励ましの便り、それに多額の見舞金が様々なルートを通じて続々と集った。無理もない。自分の利益だけを追い求めるこの犯罪国家日本において、何よりも大切な自分の命を捨ててまで、他人を救おうというのだから・・・。

朝日新聞の東京厚生年金文化事業団にも六千万円に近い見舞い金が集まったと言われている。その中から、2001年3月15日、故関根さんの母親千鶴子さんに、励ましの便りと二千四百万円ほどが、届けられた。そこで母の千鶴子さんは、
「今回ほど、。皆さんのやさしさが身にしみたことはありません。見舞金は寄附しようと考えています」と答えた。

何という美しい言葉であろう。おそらく故関根さんの自己犠牲の精神は、この母から受け継いでいるに違いない。まさに「この母ありて、この子あり」ということであろうか。心洗われる思いがする。
 


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2001.3.16