芭蕉さんと曾良さんが愛した高館

高館景観が危機に

 
いま自分の大好きな景色が消えようとしている。平泉の高館からみる奥州の景色は絶品だ。ここで義経さんが811年前に妻子を先立たせて、腹を切って死んだと思うと、何かこの景色が胸にしみてくる。だから芭蕉さんも、ここに来て涙を流してこんなことを句を詠んだ。

  夏草や兵どもが夢の跡

弟子の曾良も負けずに詠んだ。

  卯の花に兼房みゆる白毛かな

芭蕉さんの句は言うまでもなく、僅か17文字の中に、この高館の儚さとこの景観を切り取った名句である。。奥の細道の旅の目標は、この平泉に来て、かつての奥州の栄華と義経さんの面影を追う旅だったとさえ言われている。芭蕉さんは、この山に来て、ただ山と川だけがあるこの景観に感動を覚え涙をながした。

弟子の曾良は、あえて師匠とは視点を変えて、裏方にある自分のイメージをだぶらせて、義経さんという悲劇の英雄をずっと陰で支えてきた兼房の苦労を詠んだのであった。兼房は、義経の乳父(めのと)だったと言われているが、あまりはっきりはしていない。ただ幼い頃から、義経さんに付き従い、最後には義経さんの首を介錯(かいしゃく)し、その後を追って、館に火を放ち、次ぎに主君に一礼をして、エイッとばかりに腹を切り、目の前の主君義経さんの御首(みくび)を自分の臓物を除けて、納めて、前のめりに命つきた人物である。もちろん想像上の人物かも知れないが、確かにこの兼房という人物に近い人物がいたことだけはたしかなようだ。

曾良は、将来目前にいる芭蕉が、義経さんのように有名且つ伝説上の人物になることを知っていてこんな句を残したのかもしれない。義経さんも素晴らしいが、乳父兼房の苦労も忘れてくれては困りますよ。そんな思いがどこかにあったのかもしれない。

  兼房が主君の首級(みくび)かき抱き火焔の中に浄土を見むや

ともかく芭蕉さんが愛し、曾良さんが感慨に耽ったこの高館の景観が消えてゆくのは忍びない。佐藤
    
関連「あるとない」(高館の思い出)


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2000.10.20