「化ける」条件とは

 


 

映画の忍者であれば、指で印を組んで、呪文を唱えると、ドロンと化けられる。しかし現実にはこうはいかない。人間が、化ける場合には、それなりの条件というものがある。条件を満たさないことには、いかに「化けよう」と思ったって、簡単にはいかない。この場合、「化ける」ことは本物になるということの比喩として考えてもらいたい。今日は斉藤茂吉という歌人の歌と人生を中心にして化ける条件というものを考えることとする。

まず化ける条件の第一は、「これから化けるぞ」という覚悟である。しかもいったん化けてしまったら、元には戻れない。よくよくこのことを考えることだ。

第二は、きっかけをつかむことだ。きっかけが掴めなければ、化けることは不可能である。明治以降最高の歌人と言われる斉藤茂吉も、母の死というものに立ち会って、それをきっかけとして傑作「赤光」(しゃっこう)を創作した。その中の歌に次のようなものがある。

 ”死に近き母に添い寝のしんしんと遠田のかわづ天に聞こゆる

(訳:もうすぐ母は死んでしまう。そう思って、母に添い寝していると、遠くの田んぼからカエルの鳴き声が聞こえている。まるで天まで響いているように。母ももうじき天に召されていくのかだろうか)

のど赤き玄鳥(つばくらめ)ふたつ屋梁(はり)にいてたらちねの母は死にたもうなり

(訳:母の臨終の席にいて、ふと外をみると、軒先の梁に生まれたての二羽の燕がいるではないか。ああそれにしても母はいままさに死んでしまわれようとしている)

第三は、良き師に巡り会うことである。誰でも独りで、化けることはできない。化けた人間には、必ず自分なりの師に当たる人が存在する。「赤光」を出した時、茂吉は32歳であった。これは彼の処女歌集であるが、伊藤左千夫という先輩歌人が茂吉の才能を最大級に評価してくれた。「あなたは天才的資質を有している。そのことを自覚し、今のまま思うままに歌作に励まれたい」こうして茂吉は、天才歌人と呼ばれるようになり、名実ともに化けた(本物)のである。

ジャズの世界にキースジャレットという天才ピアニストがいるが、彼もジャズ界の帝王マイルス・デイヴィスのバンドに参加し、「自分の好きなようにやってかまわない」と一言云われ、これまで自分が思いもしなかったような激しい演奏をした。自分ではその演奏が良い出来なのか、駄目なのか、まったく分からなかったが、マイルスが一言こう云った。「どうだい、キース天才になった気分は?」要するにキースは、マイルスのたった一言の助言によって、自分の潜在的な能力を引き出し、化けることに成功したのである。

第四は、自分のルーツやふるさとをおろそかにしないことである。先の茂吉の最高傑作と云われる歌集は68歳の時に出版した「白き山」という作品であるが、このテーマになっていることは、茂吉自身のふるさとである山形の蔵王や最上川を歌っていることである。ふるさとの山河というものは、作家の魂を刺激し、霊感を与えてくれる。自らルーツやふるさとというものは、世界を見る場合の大事な原点であり指針である。

ながらへてあれば涙のいずるまで最上の川の春ををしまむ

(訳:わたしも人生の半ばを遙かにすぎてしまった。いつまでこの最上川の大いなる流れを見ることができるのだろう。自然に涙が頬を伝ってきた。今日は涙の尽きるまで最上の流れを見て、行く春を味わっていたい)

最上川の上空にして残れるはいまだうつくしき虹の断片

(訳:折からの天気雨に最上川の上空に美しい虹が掛かっていたが、それもいつの間にか、消え入りそうになってしまった。しかしわずかな虹の切れ端が、盛りの名残を残しながら、空に漂っている)

第五は、自分が化ける姿を具体的に想定すること。茂吉は、万葉集の研究を続け、正岡子規の俳句や歌に強い感銘を受けた。彼の頭の中では、自分がどのような歌人になりたいのか、どんな歌を作りたいのか、はっきりとしたイメージを持っていたことだ。漠然とした、行き当たりばったりのような仕事では、化けることは不可能である。

第六は、いよいよ最後になるが、諦めずに、日々努力することである。これは自分を最終的に信じ切ることにも結びつく。もちろん努力もしないで自分を、猫かわいがりで、信じても化けることは不可能。努力と研鑽の果てに、自分を信じて切れるかどうかが、化けるか化けないかの瀬戸際となる。

佐藤
 


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1999.02.10