「赤ちゃんポスト」とルソーの子捨て


子捨て問題の奥にあるもの=「現代版 ルソーの過失?!」


熊本市の慈恵病院に設置された「赤ちゃんポスト」(タテ45cm×横65cm)に、赤ちゃんではなく、3歳の幼児が置かれていたというニュース(07年 5月10日 ポスト設置初日)を聞いてびっくりした。

少しあって、私の脳裏に、ジュネーブ生まれのフランスの思想家(教育者)ジャン・ジャク・ルソー((1712ー 1778)の子捨てのエピソードが浮かんできた。

彼の自伝である「告白」は1765年、53歳の頃に書き始めたものとされる。しかしそれが出版されたのは、ルソーが亡くなってからのことだった。この「告 白」には、「懺悔録」という別訳もある。この著で、ルソーは、自分の人生を洗いざらい書き残そうしたのだが、その中に、5人のわが子を次々に捨てて、養育 院に送った下りが、やや弁解がましく書かれている。

一般に、ルソーには、子捨ての不道徳な人物というようなイメージはない。むしろ彼には一般に言われる啓蒙思想家という以上に、現代の教育学に通じる近代教 育学の先駆者という顔がある。彼は1762年、小説体の形を取った著作「エミール」(1756ー1759)を書き上げて出版した。この著には、読み手の想 像力を喚起する至言が溢れている。そこには孤児のエミールという少年の教育にかける執念が感じられ、ルソー自身が何らかの情熱に導かれて書いたのではと思 わせる節がある名著だ。この著に表されたルソーの教育論は、「人間はよい者として生まれるが、社会が人間を堕落させる。自然に帰れ」というものだ。

しかしながら、現実のルソーは、自分の5人の子どもの養育を放棄し、わが子を捨ててた不道徳で無責任な人物である。この落差はすさまじい。厳しく言えば、 ルソーは子どもの教育の話など語る資格のない二枚舌の男だった。

さて、今回、慈恵病院の赤ちゃん用の小さなポストの中に、どんな気持で自意識の芽生え始めた3歳の子が納まっていたかを思うと、胸が締め付けられるような 気持になった。この男児の話によれば、新幹線に乗り他県から父に連れられて来たということだ。会話の中では、自分の名前まで、語っているというから、父親 を含めた身元については割と簡単に分かってしまうかもしれない。

もちろん、許されることではないが、可愛盛りの3歳の男児を捨てるほどの、何かがこの父親には、あったのだろう。今の日本は、日本全国で核家族化が急速に 進んでいる。昔であれば、父・息子・孫の三世代がそれぞれ家庭を持って同居したということも珍しいことではなかった。

今はそれぞれが独立した家庭を持っているために、特に母子家庭や父子家庭の場合は、生活のために、大変な苦労を強いられる現実がある。考えてみれば、今回 の事件は、子どもを安心して育てることができないという構造的な問題から派生しているという側面もある。

だとすれば、社会そのものが、何らかの今回の子捨て事件を契機として、核家族化の社会においても、子どもを安心して育て上げることのできる仕組み作りが急 務となるはずだ。つまり父子家庭、母子家庭にあっても、その境遇にある子どもたち生存権(人権)を守るような社会的制度の創設が必要なのである。

聞くところによれば、慈恵病院が、今回の「赤ちゃんポスト」制度を決断した経緯は、女子高生が、トイレで赤ん坊を産み死なせるという悲惨な事件があったと いうことだ。慈恵病院の決断について、間違った判断だとは思わない。格差社会の地方への浸透が進んでいる中で、単に今回の事件を、善悪論で「悪い」と決め つけるのは簡単だ。だがしかし、私は、核家族化という構造的な問題と社会的貧困層の増加という根本的な問題との取組なしには、この問題が解決することはな いと思うのである。

人類の叡知の代表とも言えるようなジャン・ジャック・ルソーも、現実の社会では、わが子5人を捨て去った非道徳な人間だった。だがしかし彼はそのことを生 涯の心の傷として、世界教育史上に輝く「エミール」という名著を残したのである。むしろ「エミール」そのものが、懺悔として、捨て去ったわが子に捧げた愛 そのものだったかもしれない。わが子を捨てたことは、感受性の人一倍豊かなルソー自身を 生涯において嘖み続けたのである。

「告白」の続編とも言うべき「孤独な散歩者の夢想」(1777-1778 執筆 「告白」と同じく死後に刊行)の中で、ルソーはしみじみと語っている。

要 するに、僕は地上でただ一人きりになってしまった。もはや兄弟もいなければ隣人もなく、友人もなければ社会もなく、ただ自分一個があるのみだ。(「第 一の散歩」青柳瑞穂訳 新潮社文庫 1951年刊)

この時、ルソーの心はズタズタだった。既に妻は他界し、5人の子どもたちがどのような社会人になっていたかもまったく分からない状況だった。その上、彼は 「エミール」の著述の中で宗教問題(「サヴォア人司祭の信仰告白」)で誤解を受ける。パリ大学神学部からの攻撃などもあり、パリから脱出し、スイス、イギ リ スを渡り歩き、最後には、迫害妄想に取り憑かれながら、偽名をもってパリに戻り、孤独と後悔の中で亡くなったのである。寂しく不幸な晩年だったというしか ない。

しかし今私は、今回の赤ちゃんポスト事件を契機に、ルソーのことを考察した結果、ルソーに対し、まったく別のことを思うようになった。それは「エミール」 という人類の叡知として語り継がれる教育哲学の古典をルソーが書いた背景には、わが子を捨てたという取り返しのつかない人生最大の過失があったからだでは ないかということである。今にしてしみじみと思う。

事実、ルソーの書いた「エミール」という架空の少年は、一人の孤児(みなしご)である。おそらくルソーは、自分が捨てた子どもたちのことを思いだしなが ら、自分の知識と英知の限りを、この架空の子どもエミールのために全身全霊で注ぎ込んで執筆したと思われる。「エミール」の行間に滲み出ている熱い感性 は、ルソーのわが子への懺悔と渇愛だと私は思う。

「赤ちゃんポスト」の捨て子事件から、様々なことを考えた。言うならば、今回の3歳児の遺棄事件は、「現代版ルソーの過失」なのである。ルソーの言葉に 「過失は恥ずかしいことだが、過失を改めることは恥ずかしいことではない」というものがある。

現代の日本においても、今回の事件を契機に、社会的弱者である母子家庭・父子家庭の子どもの生存権・教育権をちゃんと守れるような仕組み作りに着手しても らいたいものだ。

2007.5.18 佐藤弘弥

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