朝青龍がついに引退に追い込まれた。

優勝した初場所の途中で酒を飲んだ挙げ句に暴力事件を起こしたという問題の起こし方も、唐突な引退表明をしての止め方も、彼らしいと言えば彼らしいもの だった。

彼を「トリックスター」という概念で考えてみる。トリックスターとは、アメリカインディアン・ウィネバゴ族に伝わる自由奔放な言動によって、世の中を引っ かき回す道化のようなキャラクターである。反面教師という見方もできる。

心理学者ユングは、この「トリックスター」を人間の心にある「影」(シャドウ)と呼んだ。ユングは、心の中に、さまざまなイメージをつかさどる元型があっ て、そのひとつを「影」と名付けたのであった。

ユングにとって、「影」とは、一人の人間の中にある否定的な部分で、これは決して意識されていないものと考えた。人間、太陽の下に行けば、自分の影が地面 に映る。人間は、この影があってこそ、生身の存在ということになる。

もしも影のいない人間がいるとすれば、それは幽霊ということになる。ひとつの社会にトリックスターに該当するキャラクターが存在することは、それ自体が生 きた現実の社会の証明である。

見方によっては、このような道化や悪者を演じるキャラクターが存在することは、社会の健全を計るバロメーターともなる。同時に、ある意味では古い価値観を 刷新する機会を提供する改革の機会を提供する存在ともなり得る。

その意味で、朝青龍は、古い体質の日本相撲界にさまざまな話題を提供すると共に、価値観の刷新を迫る存在でもあったと言える。しかしながら、相撲界は、こ の再三にわたるトリックスター朝青龍の反面教師的な突き上げに正面から答えることなく、曖昧な処置に終始してきた嫌いがある。

肩で風を切って歩く朝青龍の姿に、伝統ある国技としての相撲を主張する親方連中は、眉をひそめた。しかしトリックスター朝青龍は、最初から最後まで、ト リックスターの性格そのままに、古い価値観を持つ相撲界の伝統を無視し続けた。相撲界は朝青龍に横綱としての品格を常に求めた。

朝青龍が相撲に勝って思わず行う仕種にガッツポーズがある。相撲界では品格のない行為として、忌み嫌われ、彼は何度も注意を受けた。本当に朝青龍は間違っ ていたのか。

相撲界は、トリックスター朝青龍の刷新の芽を摘み、朝青龍を悪者にして、自分たちの古い伝統と格式を守ろうとした。

そして今、相撲界は、トリックスターで最高実力者の朝青龍を追放し、やっかい払いをしたつもりでいるかもしれない。しかし朝青龍が問い続けた相撲界の否定 的な部分の改革を同時に行うのでなければ、トリックスターを失った相撲界は火の消えたようになってしまうだろう。

「いったい相撲とは何なのか。伝統行事なのか。それともスポーツに近い格闘競技なのか。少なくても俺は土俵では、鬼になるつもりで全力を尽くしてきたぞ」 とトリックスター朝青龍は、言葉ではなく、その全存在で、叫び続けてきたような気がしている。

そして朝青龍引退後、今の相撲界にトリックスター朝青龍の突きつけた意味を直観できるリーダーは果たしているのだろうか・・・。

2010.2.5 佐藤弘弥

義経伝説
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