有明海は生きている

−人間の身勝手さが生んだ悲劇−


有明海の問題を横目で見ながら、つくづくと人間の身勝手さを思った。

問題の発端は40年前に遡る。有明海の中にある諌早湾を埋め立てて、田畑を創出しようとの壮大な計画だ。人間の英知を結集しさえすれば、自然をも征服できるという奢った近代の土木工事の典型がそこにはあった。この戦後間もない時に立案された「夢」のような計画は、40年の長い時間を経て平成11年3月、水門遮断によって実現したかに見えた・・・。

ところが異変が徐々に有明湾全体に、じわじわと拡がっていった。締め切りは、有明海全体の生態系に大きな影響を及ぼしたとしか考えられない。。まず名産の有明湾の海苔の不作がひどくなり、魚もぱったりと獲れなくなってしまった。

一部では生態系に甚大な被害をもたらす可能性を危惧した学者もいたが、諫早湾を締め切る時点で、これほどの影響があるとは、誰も予想し得なかったことだった。確かに当時のマスコミの反対の論調も、「ムツゴロウの海が消える」「これでいいのか」というような調子だった。ところが現実に起こったことは大方の予想を遙かに超えて深刻であった。

今や、有明海を挿んで原因と目される諫早湾を抱える長崎県とそこの住民(堤防解放反対)と、その対岸に位置する3県(佐賀、熊本、福岡)とその住民(堤防解放賛成)が、自らの生活を賭けた訴えを、担当省庁である農水省に起こして、一触即発の紛争が巻き起こっている。

もちろん誰が見ても悪いのは、ギロチンと言われた潮受堤防建設を強行して、諫早湾を締め切った政府と建設省(現:国土交通省)だ。国が減反政策をしている時に、わざわざ湾を締め切って、田畑をこれ以上作ってどうしようというのだから。しかし政府は、水害など様々な理由を口実に、時代遅れの40年前のシナリオを実現させた。

その結果起こっているのが、今回の有明海全体の異変だ。当時、諫早湾の長崎以外の潮受堤防反対者は、環境問題を真剣に考えている市民や一部の知識人、それにマスコミ関係者だった。そして諫早湾で漁業生活者のほとんどは、補償や工事に携わることの見返りによって、懐柔されてしまっていた。政府と建設省としては、一度締め切ってしまえば、既成事実化して、運動も鎮まるはずとタカを括っていたに相違ない。ところがそうは行かなかった。

工事を強行した側は、有明海は、全体として機能していることを忘れていたのだ。どういう事かと云えば、有明海を人間の足と見立てた場合、諌早湾の果たしてきた循環機能は、まさに足先に血を運ぶ血管のようなものだった。その血管が遮断されたことによって、足先に血が行かずそこが壊疽(エソ)を起こしていることになる。自然とは、一面で生きているのではなく、全体で呼吸をし、生きている。全てのことは有機的に結びついているのである。まさに自然に無駄なものはないのである。

今回これほどの問題になった理由は、諌早湾のある長崎県以外の有明海に面した三県(佐賀、熊本、福岡)で、漁業によって生計を立てていた人々が、諌早湾を締め切ってしまった以降、急速に進んだ海苔の水揚げ高の激減によるものである。誰だって、生活出来なくなれば、怒るのは当たり前だ。政府農水省は慌てて、対策を講じようとしているが、急に学者などを呼んで検討してくれと言われても、資料がないのだから、学者も答えようがなく、政府第三者委員会は、立ち往生状態である。刻一刻と、問題は深刻化している中、農水大臣が諫早湾の水門解放を発言すると、今度は開けては困ると、諌早湾に住む住民たちがと長崎県を巻き込んでが、騒ぎ出した。

申し訳ないが、滑稽過ぎる。滑稽すぎて、滑稽すぎて、やがて悲しくなり、涙がでる。涙が止まらない。今泥の中で、土に戻ったムツゴロウの魂はどんな感慨を持って、愚かな人間の諸行を見守っているのであろうか。いったい人間の叡智とはなんだろう。


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2001.3.07