アンチ「ジョン・レノン」祭と叫ぶ
ージョン・レノンの伝説化・神格化への懐疑論ー

例年12月8日はジョン・レノンの命日ということで様々な祭が世界中で行われる。徐々に 巨大なイベントになり、これでよいのか、という感じだ。

25年前ニューヨークのダコタハウス前の路上で、ジョンはイカれた男に撃たれて死んだ。享年40才。もしも彼が生きていたら世界にもっとメッセージを発し たはず・・・。イベントの背景にはそんなジョンへの追慕の念があるのだろう。

私はジョン・レノンという人物に、なかなか興味を持っている。しかし昨今のジョン・レノン人気には、いささか戸惑いのようなものを覚える。

どこかに商業ベースの臭いがプンプンする。まだジョンで儲け足りない人間達が、ジョンの音楽やパフォーマンスを金を生み出すネタにしているのもなんかセコ くていやだ。毎年出るジョンの再カットされるCD、それにベットで録音したとてもジョンが生きていたら許可などしないはずの質の悪い音源のCD化等々。口 悪く言えば、「それでいいのか。オノヨーコ」と叫びたくもなる。いや、あの世にいるジョンにも叫びたい、「ジョン、こんなんでいいのか」と。

天国
からジョンの声 がする。
「俺の魂は、いつの間にか、世界中のおもちゃにされちまった。そうじゃないか?!」

ジョンは平和の使徒にしたい人たちもいる。ジョンの死を思い、ジョンの歌を唄うことで、ジョンの反戦のメッセージは、受け継がれる。そう考えているらし い。環境派の連中も最近は、ジョンも担ぎ出す始末。

何でもジョン。いつでもジョン。それを見て、あの世のジョンは冷ややかに笑う。

ジョンは皮肉屋だ。人が良いと思うものは好まない。ローリングストーンが、過激派の左翼に讃辞を送れば、ジョンは、「君たちは革命革命と言うけれど、それ で本当の幸せがやってくるのか」と叫んだ。ポールが、ビートルズとしてまた一緒に歌を作り、世界中を旅しよう」といえば、「俺は忙しい。俺の興味は子育て だ」と取り合わなかった。

それでも世界が本当に危ういと思えば、妻のヨーコと抱き合い。
「ベット(愛)こそ平和を作り出す」とシャウトした。

ジョンは、今の自らの神格化を好まない。丸めがねの向うでジョンがアジア人のような切れ長の眼で、「勘弁しろよ」と言っているのがみえる。

唄い踊るだけではジョンの魂は実現しない。もっと今を生きる人間は、じっくりひとりになってジョンの詩を味わってみることだ。ジョンは自分も抑えきれない ほどの強烈な自己顕示欲をもっていた。それがジョン・レノンをジョン。レノンたらしめるのだ。平和への希求だけがジョンではない。それは義経が「戦バカ」 というレッテルを貼られているのと一緒だ。

そんなにジョンを過大評価する必要もない。「イマジン」や「ラブ」は美しい曲だが、ジョンの魂の中の毒を知らねば本物のジョンは見えて来ない。ジョンは死 んだからこそ、評価されている。その逆がポールだ。もしも彼が「アビーロード」発売時の「ポールは死んだ」ということが事実であったら、ポールこそが永遠 のビートルズとして神格化されていただろう。そして生きているジョンは、
「ポールはポール。イエスタディは名曲だが、世界が思っているほどの作曲家ではない」とシニカルに言うだろう。

今やジョンは神に祭り上げられつつあるが、私たちの横にいるのは、世界をアイロニカルにみるいつものジョン・レノンだ。世界はジョン・レノンを御輿に担い で、「神殿」でも建てるつもりか。そこでうかれ祭の嫌いの私はジョン風に「Got is Love」と叫ぶ。



2005,12,10 佐藤弘弥

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