カンボジア アンコール遺跡を歩く
 

アンコール・トム南大門表門




南大門表門



南大門裏門
ユネスコ世界遺産に登録されているカンボジアのアンコール・トム遺跡に行く。

アンコール・トムは、クメール語で「大都市国家」の意。4つの門があり、もっとも有名な南大門を前にすると、背筋が震えるような思いがわき上がってきた。

門を潜り、この寺院の中心バイヨン寺院(Bayon)の前に立つ。「クメールの微笑」と呼ばれる大観音像が慈愛に満ちた微笑みをたたえて私たちを待っていた。

ところで、この寺院の壁面には、ユニークな彫刻があった。それは、国王が国民を引き連れ、戦をしているレリーフだった。しかも遠征には、妻や子どもなども描かれていた。ふとアンコール・トムやアンコール・ワットの遺跡の持つ謎が分かりかけた気がした・・・。


アンコール・トムの中心「バイヨン寺院」



子どもを連れて家族が戦争遠征に同行するレリーフ



バイヨン寺院でもっとも有名な「クメールの微笑」と呼ばれる観音像
一般にカンボジアなどの仏教は、南伝仏教(部派仏教)と呼ばれ、原始仏教当時の厳格な戒律を伝えるものとされる。

しかしこのアンコール・トムのバイロン寺院に存在する仏は、観音像ということである。観音は観自在菩薩とも呼ばれ、チベットや中国に伝わって、大きく利他 を説く、北伝仏教の仏様の一つである。この仏教は、自身の教えを大きな乗り物を意味する「大乗仏教」と呼び原始仏教当時の戒律に拘る南伝仏教を「小乗仏 教」として自身の教えとの差別化を計った。

大乗仏教の代表的な教典に「般若心経」がある。その冒頭で、観自在菩薩が、一切を「空」と看過して、悟りを得たとのエピソードが語られる。

12世紀の時代、この地域を武力で納め、強大な国家を開いた王が小乗仏教ではなく、大乗仏教の合理的な思考を、取り入れてたことの意味は大きい。それはも ちろん大乗仏教が、小乗仏教に勝っているということを意味するものではないが、アンコール王朝の領土拡大と無関係ではないと思われる。

「クメールの微笑」と呼ばれる観音像を拝みながら、宇宙ほども大きい母性(大母)に包まれている不思議な気持ちにかられた。
 

象のテラスから「癩王のテラス」を遠望する



「癩王のテラス」の外壁



「癩王のテラス」にいたる階段
 アンコール・トムの一角に「癩王のテラス」がある。癩王とは、ライ病の王との意味であり、アンコール・トムを建設したアンコール王朝の最盛期のジャヤ・ヴァルマン7世と見られている。

文豪三島由紀夫の戯曲に遺跡をそのままタイトルにした「癩王のテラス」がある。癩王は、戦争を根底から否定する仏教の教えを受け入れながら、一方では、国 民を引き連れ、各地を転戦し、戦を通じて、巨大な富と利権を手にしたほどの好戦的な覇王だった。その支配領土は、現代に置き換えると、タイ、ビルマ、ラオ ス、ベトナムにまで及ぶ規模だったという。

まさにユネスコ世界遺産「アンコール・トム」の遺跡群は、その王国の形見そのものだ。考えてみれば、偉大なリーダーもまたライ病という予期せぬ病に冒さ れ、毒蛇の血によってライ病に感染したとされる王は、観音(バイヨン)にすがり、その名を呼びながら、あの世に旅立ったのであろうか。その後もアンコール 王朝は、繁栄を謳歌したようだ。

ただし、14世紀中頃、癩王の末裔たちは、タイのアユタヤ王朝に領土を、度々侵害されるようになり、ついには15世紀中頃、王都アンコールを放棄して、遷 都を余儀なくされたのだという。以後、カンボジアの仏教は、部派仏教あるいは小乗仏教と呼ばれるものにかわった。一説によれば、アンコール滅亡の内的要因 は、ライ病の蔓延があったという見方がある。テラスに至る暗い回廊を廻りながら、王の命の叫びと祈りが聞こえてくるような気がした。つづく
資料写真 アンコール・トム遺跡  癩王のテラス 

2010..09.20 佐藤弘弥

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