自分に飽きる

人生の秘訣?


 

松尾芭蕉が、俳句上達の秘訣を聞かれて、「過去の自分に飽きることだ」と答えている。要するに過去にどんなに優れた俳句を詠んだとしても、そんなものに固執していても仕方ない、というのである。

人は、自分の過去の作品に対して愛着というものを持つものだ。過去の自分をさっぱりと捨て去って、新しいものに挑戦する勇気はなかなか湧かない。俳句の世界において、芭蕉は、その作風を、年とともに変化させていった。初期の芭蕉は、師の作風を真似て、わりと軽妙洒脱(けいみょうしゃだつ)な句を詠んでいた。軽妙洒脱とは、軽やかでこだわりのないさっぱりとした状態のことを言う。初期の芭蕉の句にこのようなおもしろい句がある。

@歳は人に、とらせて、いつも、若エビス(意味:正月を迎えると、人は年々歳をとって行くのに、正月にやってくる若エビスの面をつけたエビス様は、人に歳をとらせているためか、いつも若いままだね…)

芭蕉も、最初は、こんなユーモアに富んだ、おもしろい句を詠んでいた。もちろんこの句は、遊び心でつくった句ではあるが、人生の本質を突いた句である。つまり歳をとってやがては死を迎える自分という人間と、人の心にあるエビス様という架空の神様は、人間がこの世に生存する限り、永遠に生き続ける存在なのである。

この生身の人間と神様との対比は、芭蕉の芸術の本質である「不易と流行」というところに突き当たる。不易とは世の中が、どんなに変化しても、絶対に変わらない本質である。つまり自然や神は、永遠にそこに存在する。ところが流行とは、どんどん変化していく時代の流れである。人間という存在そのものが、まさに死という宿命をもって生きている限り、流行そのものである。万物も人も変化し流れて行くからこそおもしろいと言える。

芭蕉は、何度も自分の作風を変えながら、人生や自然を深くとらえながら、それでいて重苦しさのない「軽み」という境地に到達する。芭蕉の最高傑作と言われる「奥の細道」の句に、次のような有名な句がある。

A夏草や、強者どもが、夢の跡(意味:ああーその昔、ここには奥州の覇者藤原秀衡がいて、天才源義経が住んでいた。しかし彼らと彼らの作り上げた奥州文化というものは、頼朝という人物によって根こそぎ滅ぼされてしまったのだ…。私の敬愛する西行もこの地を愛し、何度もこの地をたずねてきたいという。その場所に、いま自分も、やっとたどり着いた。だがしかしかつての栄華は、見る影もなく、今は夏草が生い茂っているだけだ。)

芭蕉が@の句からAの句にたどり着くためには、自分の人生の全てをかけたすさまじい精神の格闘があったに違いない。しかし句の中には、苦しんだり、悲しんだりした人生の汚れというものが、まったく感じられない。通常、人間の感性というものは、歳を重ねる度に、衰えていくものである。しかし芭蕉の感受性というものは、まったく衰えていない。いや衰えていないどころか、深まっているのである。

芭蕉は、俳句を詠むときには、魚をまな板で、すぱっとさばくように思いっきりよく、また「三歳の子」の気持ちで、純朴にストレートに詠め、と言っている。我々が、芭蕉の何気ない俳句に、若々しい感性を感じるのは、このためかもしれない。

芭蕉の言っている「自分に飽きる」とは過去の自分に固執しないで、未来の自分に期待することだ。そして勇気を持ってその未来に自分を投資する精神である。

あの天才映画監督黒沢明も「自分の最高の作品は、何ですか?」とたずねられると、必ずこう答えると言う。「今度つくる作品です」と。

我々も大いに過去の自分には飽きた方がいいかも知れない。

佐藤
 


義経伝説ホームへ

1997.7.2