お見事 タモリの弔辞

日本文化の中の赤塚不二夫


 

 
08年8月2日に亡くなった漫画家赤塚不二夫氏へ送る弔辞の最後で、タモリこと森田一義氏が、

赤塚先先生、本当にお世話になりました。ありがとうございました。私もあなたの数 多くの作品の一つです。合掌。」と、短く閉めた。

私はこの言葉に、すこぶる感動した。何か猛暑の中で涼風に頬を撫でられた印象を受けた。

そこで、赤塚不二夫という人物が、日本文化の中で、どのような位置を占める人物なのか、少しばかり考えてみたい。

赤塚氏は、自らのマンガをもって、人を笑わせ楽しませることに、それこそ自らの人生そのものを掛けたような漫画家だった。彼の中にある常人離れした個性的 な生き様は、発想を天から授かるための仮面(ペルソナ)のようなものであり、仮面を剥いだ純粋な彼の魂は、シャイで純朴で、非常識さなど微塵もない真正直 な人物であったと思う。

私は常々、赤塚氏の弟子筋に当たるタモリという人物に、もっと才能があるのに少しもったいない、という意味で不満を持ってきた。それはデビュー当時、イグ アナや万国麻雀などの強烈な芸で、当時の女子アナや女性タレントから、きわもの扱いされるほどユニークな存在だった。そんな才能を赤塚氏は一目で見抜き、 損得抜きで世に出す手助けをした。

ところがフジTVの昼の顔とも言える「笑っていいとも」という長寿番組に出演して以降、新鮮味は、いつの間にか、すっかりはげ落、どこにでもいる”人のイ イおじさん”になってしまっているイメージだ。

一方、かつてお笑い界の三羽がらすと言われた北野たけしは、国際的な映画監督と呼ばれ、明石家さんまは、日本のテレビ界を代表するお笑いタレントになった 感がある。この落差はいったい何だと感じてきた。

最近のタモリは、妙に力が抜け、人生を達観した感さえある。正直なところを言えば、タモリが面白いかと聞かれても、面白いとは言えない。でも、聞くところ によれば、仏様のように、何があっても、怒ったりしないのだという話を聞いて、「へぇ−」と思ったが、その時は、赤塚の弟子タモリも生活が安定して、才能 が枯渇してしまったのか、と感じた。

ありがちなことだ。笑いの道は、赤塚不二夫氏の生き様や渋谷天外に見出されて松竹新喜劇で一世を風靡した藤山寛美(1929−1990)の破天荒な生涯を 見ても分かるように、その奔流を極めようとしたら、それこそ命がけの道だ。。

ビートたけしから北野たけしとなり、自分なりの映画の道を極めようとするたけしの生き様も、自分の命を質に入れているような危険な匂いがして、そこが彼の ファンを魅了する部分かもしれない。

師匠の赤塚氏の破天荒さとは、まったく無縁の無味無臭のタモリであるが、今回あの弔辞には、正直参った。この男まで終わってないな、という気がした。

まず師匠赤塚氏の存在をタモリは、弔辞において、このように分析した。

・・・あなたは生活すべてがギャグでした。(中略)あなたはギャグによって物事を 動かしていったのです。あなたの考えは、すべての出来事、存在をあるがままに、前向きに肯定し、受け入れることです。それによって人間は重苦しい陰の世界 から解放され、軽やかになり、また時間は前後関係を断ち放たれて、その時その場が異様に明るく感じられます。この考えをあなたは見事に一言で言い表してい ます。すなわち『これでいいのだ』と。(後略)」

良く赤塚氏の人となりを言い当てている言葉だ。赤塚氏は、他人から金銭的に騙されたこともあったが、けっして後悔や人を恨む言葉は、発しなかったという。 タモリが、赤塚氏から授かった「金言」とは、きっとこの世の中のすべてをあるがままに受け止めて、「これでいいのだ」と重苦しい殺伐とした空気を、一瞬で 和ませてしまうことかもしれない。だとしたら、日本有数の長寿番組となった「いいとも」のタモリの存在意義も、日本中どんな災害が起こっても、昼フジを見 れば、タモリのあの世の中を達観した顔が映って、重苦しいムードが一変するようなところにあるのかもしれない。

深夜の「タモリクラブ」もまたバカバカしいほどに、マイナーな番組だが、どこか憎めず、つい見てしまうようなところがある。

さて日本文化の中で、最初の笑いを考えるならば、アマテラスが、スサノオの乱暴狼藉で天の岩戸に隠れ、世の中が真っ暗闇になった時、ひょっこりと現れたア メノウズメが、ストリップのようなひょうきんな踊りを始めたエピソードが最初だ。アメノウズメの踊りを、みなが見て、高笑いをしていると、気になったアマ テラスが「何があるの?」と岩戸を少し開けて見ようとした瞬間、テジカラオという力自慢が、岩戸をこじ開け、アマテラスを引き出して、真っ暗な世の中に光 が戻ったという話(記紀神話)である。

笑いとは、本来このような力があるのである。私は赤塚氏の存在が、戦後という混乱の時代にあって、世の中を明るく照らす使命を持って、敗戦国日本に使わさ れた笑いの神さまの化身ではないかと思うのである。

ところで、日本の民俗学の祖とも言うべき柳田国男に「笑いの本願」という文章がある。その中に、笑いの道の定義とも言うべき箇所がある。

・・・気遣いの多い時代では、人を心から笑わせることができることは慈善事業であ る。たとえばどこどこの町や村に住むひょうきん爺さんのように、よその人から馬鹿にされてもけっして怒らず、一切の謝礼も取らないで、その場の空気を和ま せるために、自分で意識しながら愚者を装っている者」(柳田国男「笑いの本願」を筆者が現代語訳 ちくま文庫全集9 262ページ)

赤塚不二夫氏の72年の人生は、まさに柳田が定義している「笑いの本願」を突いた笑いの天才の生涯ということが言えるのではないだろうか。

彼の描いた「おそ松くん」や「天才バカボン」、「ひみつのアッコちゃん」が、日本中を和ませ、明るく太陽のように隅々を照らした。彼はまたその晩年におい て、自分の病気や友人の死の場ですら、即興で笑いをこしらえて、その場の空気を一瞬にして和ましていた。現代のお笑い界は、コロコロとネコの目のように流 行ったと思ったら消えていく無味乾燥な世界になってしまった。笑いの本願を目指すものは、この赤塚氏の生涯から学ばねばならない。

新しい笑いの天才が登場するかもしれない。私は師匠を失ったタモリの今後に、注目してみたい。



2008.8.7 佐藤弘弥

義経伝説
思いつきエッセイ