?関東大震災からの復興を 象徴する「明石小学校」が消える!?
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カトリック築地教会前から斜向かいに明石小学校を見る


明石小学校正門前
(2010年8月24日 午後12時半頃)
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「2010年8月24日12時半、明石小学校の解体工事が始まる」というので、中央区築地にある明石小学校に向かった。

日比谷線築地駅で降り、聖路加看護大学の前を通り、明石小学校正門前に12時頃着いた。正門の前では、30度を越える猛暑の中で、保存を訴えるグループの二人の女性が座り込みをおこなっていた。朝には中央区の区議会議員の一人も加わっていたようだ。

12時15分頃から、取材陣が一挙に押し寄せてきた。ところが、12時半から解体が始まるということだったが、一向に始まる様子がない。そうこうしている内に、反対グループの建築家日色真帆氏が、マイクを握って、この間の経緯説明を行った。

明石小学校は、中央区築地の聖路加病院の前にある。この地域は、立教や慶応など、学校の発祥の地として知られている場所だ。近くには、カトリック築地教会もある風光明媚な佇まいの一角である。

明石小学校は、復興小学校(注)呼ばれるように、関東大震災(1923)の後に、耐震と防火などを念入りに考慮し、建てられた極めて堅牢な鉄筋コンクリー トの校舎として有名である。また単に堅牢なだけではなく、大正ロマンを思わせるアイボリーを基調とした落ち着いた色合いやドイツ表現主義の影響があると言 われる全体丸みを帯びたデザインなど、聖路加病院の建物群とも実にマッチして、美しい景観を作り出している。

この建物について、日本建築学会(会長 佐藤滋早稲田大学教授)は、今年の二月中に現地調査を実施し、7月9日「日本近代小学校建築の原点とみなすことできる」、「重要文化財に相当する価値がある」との見解を、保存要望書として区に提出している。

しかし建物を管轄する中央区は、立て直す理由を、老朽化による耐震性の問題と教育環境の改善を挙げ、建て替えを強行する姿勢を崩していない。一方、この建 物を保存しようとするこの小学校の卒業生が作るグループ「中央区立明石小学校の保存を望む会(代表:卒業生の中村敬子さん)」は、専門家の意見を聞いた上 で、「耐震性の問題はない」として、「リノベーション(保存再生)」という方法で、維持管理すれば、さらに100年以上使い続けられる」とホームページな どで訴えている。

現在明石小学校は、一学年一学級で、200名ほどの生徒数で、現在でも教室の数は、相当余っている。新築される建物は、現在の3階から5階建てになる計画である。

周辺には高層マンションも建ち、少子化とは言え、若干の生徒数の増加は見込めるが、5階建ては少しもったいない計画との見方が強い。

12時半過ぎ、多くのマスコミが集まってきて、現場である小学校の玄関前は、騒然となった。工事関係者は、混乱を避けたのか、結局、2時近くまで、工事が開始されることはなかった。

帰り道、築地駅前で、老舗そば屋の女将に「明石小学校が壊されて改築されることをどのように思いますか?」と聞いた。女将は、「あの界隈では、聖路加病院 やカソリック教会やあの小学校に、愛着を持つ人が多い。まだ使える建物だし、あそこには中学校もあったが、とても良い感じの建物だった。壊されるのはもっ たいないし、残念」と答えてくれた。


<参考資料>
★復興小学校とは!?
当時の東京市が関東大震災(1923)の復興の一貫として、被災した小学校を鉄筋コンクリートで再建(1924−1935)された117校のこと。明石小学校は、この復興小学校の中でも、日本建築学会の見解が示すように、復興小学校の代表的な建物ということができる。

★日本建築学会の明石小学校など復校小学校7校の保存要望書(PDF)
http://www.aij.or.jp/scripts/request/document/20100709-1.pdf

★中央区による明石小学校改築基本計画案(PDF)
http://www.city.chuo.lg.jp/kyouikuiinkai/kaitikukeikaku/files/kaitiku-keikaku.pdf

★中央区による完成予想図
http://akashihozon.up.seesaa.net/image/CCC0C0D0BEAEB4B0C0AECDBDC1DBA5D1A1BCA5B9.pdf
★保存を望む会のHP
http://www.justmystage.com/home/akashihozon/index.html
★保存を望む会のリノベーション案
http://www.justmystage.com/home/akashihozon/renovation.html


建築家や卒業生が明石小学校を保存しようと訴える
(2010年8月24日 午後1時頃)
 
 



聖路加国際病院 トイスラー記念館

(佐藤弘弥8月24日撮影)


国に歴史があるように、それぞれの地域にも、発展の歴史というものがある。猛暑の築地界隈を歩きながら、心地のよい風を感じてしまった。

何故か、と考えた。この築地という場所の成り立ちは、江戸時代に明暦の大火(1657 一般に振り袖大火と言われる)という惨禍があって、浅草本願寺が焼失してしまい、その移転のために、造成された地域ということである。

その後、幕末から明治にかけては、軍艦奉行だった勝海舟の尽力により、軍艦操練所などが設置。また現在の明石小学校周辺には、外国人居留地ができたとい う。そのために、この地には、アメリカンスクールもあったらしい。慶應義塾や立教などの学校も、この地で誕生したというから、そのような土地に染み付いた 文明開化の歴史と文化を、心地よい風として感じていたのかもしれない。

もうひとつ、築地界隈の風景には、関東大震災からの復興を期すという風がある。区画が、他の町に比べ、広くて真っ直ぐなのは、こうした町の成り立ちから来ているのであろう。関東大震災という大災害からの復興の物語も、この町の文化に深く溶け込んでいるように思われる。

そしてこの大災害の記憶を止める建築物としては、被災から二年後に作られた「明石小学校」が挙げられる。この建物は、文字通り、世界都市東京の「復活宣 言」であり、復興のシンボル的存在であった。それ故に、117校に及ぶ小学校は「復興小学校」と呼ばれた。中でも「明石小学校」は、その代表格である。そ んな3階建ての大正ロマンを彷彿とさせるその建物の価値について、権威である日本建築学会が、「重要文化財」クラスと認定したことは、重く受け止めなけれ ばならない。

日本の歴史における災害史の中で、10万人を遙かに越える死者・行方不明者を出した「関東大震災」は、特筆されるべきものである。その復興を期して建てられた建築物を長く保存することは、歴史的建造物を大切にする文化国家としては、当然なされるべきことではないだろうか。

 明石小学校解体を憂う五首

震災の記憶留めし明石小遺さんとして卒業生立つ
文化なる価値を解せぬ区議会に任せ任せて明石小消ゆ
少子化の流れ知らぬか三階を五階建てする矢田区政かな
解体は町並み崩すに止まらず文化破壊の愚挙と知るべし
明石小、教会・聖路加・本願寺、築地の宝指折りてみる
資料写真 明石小学校と築地界隈T? 明石小学校と築地界隈U?

2010.8.26 佐藤弘弥

義経伝説
義経思いつきエッセイ