戦後日本の「愛国心」


戦後「愛国心」タブー化の過程

何故、戦後日本人には健全なる愛国心が宿っていないのか?!

現在、国会で 「教育基本法改正案」が審議中である。この改正案の中で、「愛国心」という言葉が問題となり、結局「伝統文化を尊重し、郷土と国を愛し、国際社会の平和と 発展に寄与する態度のかん養。」((第二条 教育の目標)という文言になった。直接「愛国心」を盛り込むことについては、戦前の軍国主義的な国家観と結び つく誤解が生じる怖れがあるとの配慮から、原案に収まった模様である。

さて戦後教育を受けた人間のひとりとして、自身の頭の中にある「愛国心」というものを、冷静に思考してみる。そう すると、自分の頭の中で何かしらの抵抗感のようなものが、雲のように湧いてくるのを感じる。戦後において、「愛国心」はある種タブーであった。それはおそ らく、敗戦国日本を統治していたGHQ (連合国軍総司令部)が、日本人の「軍国主義的愛国心」というものを徹底的に瓦解させ、その上に、米国流の民主主義を植え付けようとした結果であろうと思 う。結局、昭和22年(1947)に策定された現「教育基本法」は、民主主義と基本的人権の尊重に力点があったために、日本人の健全な「愛国心」を形成するためには、いささか不完 全なものであったというべきである。

ズバリと言えば、戦後教育を受けて育った日本人には、健全なる「愛国心」は存在しなかったということである。それ はGHQが意図した以上の徹底した「愛国心」の否定へと繋がったように思う。愛国心というものは、本来、どの国にも存在する至極当たり前の情動である。し かし戦後日本においては少年期から青年期にかけての心の成長期において、愛国心の形成は、極めて不健全な形でしか行われなかったために、日本人の情動から 「愛国心」というものが、抜け落ちてしまったと言える。もっと言えば、日本において、健全なる愛国心を育む仕組みが存在しなかったのである。

このことを強く思ったのは、アメリカ野球界で、いつでも国歌が歌われ、アメリカ人が国家に忠誠を誓う姿勢を示す姿 を目の当たりにしてからである。もちろんアメリカが、「9.11」のテロ以降右傾化しているということもあるだろうが、アメリカのお灸が効きすぎた日本に おいては、国歌、国旗の掲揚も論争に発展するほどの状況というものは極めて異常な状況ではないかと思うのである。

愛国心というものを、ある種の抵抗感を感じる傾向は、高等教育を受けたエリート層が強いと見られている。原因は、 多感な青年期に、健全なる愛国心を培う教育を受けておらず、日本軍国主義が犯した戦争犯罪ばかりを繰り返し、脳裏に焼き付けられたことにある。もちろん歴 史の正しい認識はどうしても必要だが、これでは愛国心否定のサブリミナルプログラムを植え付けられたようなものだ。

考えてみれば、軍国主義の嵐が吹き荒れていた最中にあって、その軍国主義に抗し真の愛国心を発揮した勇気ある人々 が存在したことも事実だ。例えば、外務省で当時のリトアニア領事代理だった杉原千畝(すぎはらちうね)氏のような人物である。彼は第二次大戦中、六千人の ユダヤ人に、日本通過のビザを発給したことで知られ、「日本のシンドラー」と言われる人物である。しかも、彼が行ったことは、当時日独同盟を結んでいた日 本政府高官が取った行為としては明かな服務違反であり、そのために戦後外務省では冷遇をされ、名誉回復もされぬままになっていた経緯がある。しかし今彼の 行為は、世界的に認められ、日本人の人道と健全なる愛国心が、あのような状況の中においても発揮されていることを世界に示したのである。これは立派な日本 人の愛国心であり、日本の子ども達に知って貰いたい素晴らしいエピソードだ。

戦後教育の特徴は、「右」が「左」かという極めて単純な図式で物事が考えられてしまうことだ。世界はそのように単 純なものではない。問題は、愛国心というものが、単なる地域エゴや国家エゴに陥っていないという重要な点を抜かしてはならない。人類全体あるいは地球全体 の利益と敵対するようであれば、残念ながら自身の愛国心は、ゆがんだ形になってしまっていることを自問自答して検証してみる必要がある。その良い例が、杉 原千畝氏の勇気ある行動であった。

さて、そろそろ結論を導こう、今回の教育基本法改正案が、拙速な議論の展開で、本質的な議論の結果として出された ものであるかどうかは、少し問題があると言わざるを得ない。

おそらく、愛国心をめぐる対立の構図を図式化してみれば、このようになるであろう。一方に健全な愛国心を培う教育 がなされていなかったために「愛国心」という情動が抜け落ちているという戦後世代と、軍国主義的愛国心を受けて育った戦前の世代の対峙が見られるのであ る。これはある種の世代間ギャップである。

現在一部には、戦前の「教育勅語」による日本人としての精神性歴史性を重視する「愛国心」を復活させようとする動 きもある。この「教育勅語」の文言を抜き出してみれば、素晴らしい内容も存在するが、やはりこれは、軍国主義的愛国心の流れを色濃く汲むものであり、否定 されるべきかと思われる。最後に私は日本人の「愛国心教育」の大前提として、一つのキーワードを提示したい。それは日本人の愛国心というものは、やはり世 界精神に通じ、それと矛盾しないものでなければならないという一点である。2006.5.1佐藤 

2006.5.1 佐藤弘弥

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