安倍はブッシュに近づき過ぎた?!

− アメリカの空気を読めなかった安倍総理−



 最新のニューズウィーク(日本版07年9月26日号)が面白い。題して「ニッポンはどこへ行く」。トップ記事は「ひび割れた『美しい 国』の行方」だ。


 1 「職を賭す」発言をアメリカ人はどう考えるか!?

この記事に、アメリカ人の本音が見えている。

「対テロ特別措置法に関してシドニーで安倍と交わした会話を。ブッシュが公約と受け止めたかどうかはわからない。しかし賛否が分かれる問題を、国会にも問 わず勝手に『国際公約』にしてしまう安倍の稚拙さは、議会のチェック機能を重視するアメリカの目にも奇異に映ったに違いない。」(前掲 24頁)

この言葉は、参議院選で大敗し、議会運営もままならない安倍氏が、ASPECの席上で、「職を賭す」と語ってしまった政治家としての未熟さを指摘したもの だ。アメリカでもブッシュ政権が、民主党の影響力が強まる中で、対テロ一辺倒の方針を軌道修正している中で、まったく参議院での与野党逆転を無視した形で 「テロ特措法を必ず通す」と公言したに等しい記者会見は、安倍政権の致命的な失敗であった。


 2 安倍はブッシュに近づきすぎた!?

次に「また消えたブッシュのお友達」という記事がある。記事の趣旨は、安倍首相は、アスナール前首相(スペイン)、ベルルスコーニ前首相(イタリア)、ブ レア前首相(イギリス)に次いで、「テロとの戦いを最重視するブッシュ的発想に近づきすぎた」のではないかということだ。同感だ。

言われてみれば、確かにブッシュの対テロに向けた熱のようなものに触れて、これに支持をしたブッシュの盟友とも言える各国の指導者は、次々とトップの座を 降りて来ている。

政治的に安倍晋三氏は、明確にタカ派と見なされてきた。自分の首相在任中に憲法改正をすると公言し、そのことを明確に見据えての「国民投票法」を今年の5 月に数の力で国会を通してしまったことは記憶に新しい。

さる7月に30日、安倍政権の第21回参議院選における歴史的大敗を見届けるように逝った人物がいる。小田実氏だ。彼は安倍政権を単なる安倍晋三の個人的 な問題として矮小化して考えるのではなく、危険な熱が人間の心の中で、次第に増大しつつあることに警鐘を鳴らしているのである。

安倍政権は、小泉政権の政治的継承者だ。小泉政権以降、官僚主導の政治は何となく否定され、官邸主導型の政治が志向されてきたように見える。このような日 本政治の過程について、小田氏は、民主的なワイマール憲法が否定され、ヒトラー率いるナチスが台頭する歴史的状況に似ているから注意をせよ、との政治的遺 言を残しながら亡くなった。今回安倍氏は、一方的に政権を放棄し、その座を離れたのだが、私たち市民は、「対テロ」という言葉において、何でも肯定されて しまうブッシュ的な「熱」の動向をこそ、慎重に見極めていく必要がある。

そもそもアメリカブッシュ政権が、対テロを叫んだのは、01年9月11日の日から始まった。巨大なニューヨークの世界貿易センタービルの崩壊は、アメリカ の国民に衝撃を与え、ブッシュの熱いアメリカは勝つと叫んだその声に、世界平和を願う人々の声はかき消されてしまった。


 3 泥沼化のアフガンは軍事的手段では解決しない

ここで、明確にしておかなければならないことがある。それは、「対テロ」を口実にした10月のアフガニスタン軍事介入は、明確にアメリカの個別的自衛権に よるアメリカによる戦争であるという点だ。厳密に言えば、本来この作戦は、9.11事件を引き起こした犯人と目されたオサマ・ビン・ラディン一派(アルカ イーダ)を捕縛して裁判にかけることが目的であって、アフガニスタンのタリバン政権打倒のための戦争だったわけではない。しかしどこかにシナリオがあるか のように、作戦は進み、12月には、タリバン政権は打倒され、翌年6月にはカルザイ政権が誕生した。

ブッシュの対テロ戦争の動きに賛同の意を表したのは、まさにブッシュと個人的に親しいイギリスのトニー・ブレアと日本の小泉純一郎だった。

アメリカは国連において、このアメリカの個別的自衛権の戦争を、国連の場で、国際的にテロの危機を防ぐための防衛戦と位置づけ、次第に多くの国がこれに賛 同して行った。日本は、テロ特措法を成立させて、01年11月からインド洋に海上自衛隊の艦艇を派遣し給油活動を行っているものである。

しかしアメリカの個別的自衛権をもって開始された対テロアフガン介入は、今泥沼化の様相を呈している。崩壊したはずのタリバンは、勢いを盛り返し、アメリ カ軍の苦戦が続いている。また最近、パキスタンの山岳地帯に居ると言われているビン・ラディンが、パキスタン政府打倒のメッセージを出したとも伝えられて いる。明らかにタリバン政権は、現実的な力を回復しつつあり、アフガンからパキスタンまでが、戦場化する可能性だってある。


 4 マスコミの国連決議「日本の給油の貢献を感謝」を過大に報道し過ぎ

そんな折、9月19日、国連安全保障理事会はアフガニスタンの国際治安支援部隊(ISAF)の任務延長決議を採択した。趣旨は、ISAFの権限を10月 13日から、一年間(12ヶ月)延長するものだ。その全文には、アフガンの治安状況に対し、タリバンとアルカーイダによるテロが増加傾向にあることに懸念 が表明され、その上で、NATO軍や日本の給油活動を含む海上阻止活動などに対し、その貢献への感謝が表明されているものだ。

日本のマスコミの多くは、日本のインド洋上での給油活動を故意に大きく報道し過ぎだ。これはひとつのプロパガンダである。そして日本がテロ特措法が継続し なければ、日本が政界から嘲笑される。あるいは世界の孤児になると喧伝しているが、私はそうは思わない。

まず国会で、この問題が議論されることが肝心だ。その上で判断すればよい。アフガン状勢が、泥沼化する中で、日本が本当にアメリカの同盟国であるとするな らば、戦争以外の第3の道を提示することだってできる。戦争だけが、国際紛争解決の道だとは思わない。まして、この6年間大変な犠牲を払ってきたアメリカ の国民自身が、ブッシュの始めた戦争に懐疑の目を向けるようになった。民主党が議会で、躍進したことも、民意が戦争への熱が冷め、平和を志向し始めたこと の何よりのシグナルだ。


 5 6年目の9.11追悼祭で歌われた「明日に架ける橋」の意味

アメリカにおいて、今年の9.11は、これまでになく、静かなメモリアル(追悼祭)になったようだ。01年には、ピリピリとして、ジョン・レノン (1940−1980)の「イマジン」(1971)が厭戦気分を煽るということで、放送禁止にされるという情況があった。しかし今年は、静かな記念日と なったようだ。小雨の中、ブルームバーグニューヨーク市長の司会ではじめられ、犠牲者名簿の読み上げはなされ、高校生たちがサイモン&ガーファンクルの名 曲「明日に架ける橋」(1970)が歌われたのである。周知のように、この歌は、「イマジン」のように、露骨に平和を訴える歌ではなく、ベトナム戦争の傷 を癒すために、「荒れる水に架かった橋のように僕が君の前に身を横たえてあげる」とポール・サイモン(1941ー )が創った楽曲と言われている。
まさにアメリカの民意は、今やアフガニスタンへの軍事介入(2001)やそれに続くイラク戦争(2003)で傷つき、流れを変化することのできるリーダー を捜しているのかもしれない。全国ネットの中継もなく、アメリカの市民たちは、ブッシュ以後のことを冷静に見据えているようにも感じられる。ブッシュ大統 領は、この日、ニューヨークには訪れず、ホワイトハウスで、静かに黙祷を捧げたようだ。

こうして考えてくると、アメリカのみならず日本も、戦争を鼓舞するようなリーダーの時代は過ぎ去ろうとしているのかもしれぬ。アメリカでは、ブッシュの始 めた戦争を終わらせ、平和を実現できうる強いリーダーを欲しているように見える。タカ派の顔を持つ安倍晋三氏は、はじめから時代の流れに乗り切れなかっ た。そして彼は何よりも時代に取り残されつつあったブッシュ大統領に近づきすぎたのだ。




2007.09.22 佐藤弘弥

義経伝説
思いつきエッセイ