東京マラソンで見る東京の景色


東京は美しい街か?!


このところ、東京周辺では、一大事でも起こっ たか、というような警備体制が敷かれていて、何事かと思っていたら、何のことはない07年2月18日に開催された「東京マラソン」のためだったようだ。

「東京マラソン」って名称は、初めてかもしれない。でも「東京シティマラソン」だが、何なんだか、そんな名称の東 京の町中を走るマラソンは他にもあったはずだ。高橋尚子が負けたり、勝ったりした大会はなんだっけなどと思いながら、テレビ画面を観ていると、あの日本建 築界の巨匠故丹下建三氏が設計した新宿新都心の殺風景な景色が大写しになり、石原都知事がスタートの合図の号砲をバンとやって、2時間のシナリオなきドラ マは開始された。醒めた目で見れば、石原都知事の悲願(?)である「東京オリンピック招致」の大デモンストレーションにも見えるが、3万人の定員のところ へ9万人も応募があったというから日本人のマラソン好きには驚いた。

残念ながら、当日は、シティマラソンとしては、最悪のコンディションだった。何しろ小雨と寒さで、大本命で2時間 4分台で走るケニアのコリルとかいう選手が、途中でリタイア、日本期待の油屋選手も同じくリタイアで、結局優勝は、ケニアのジェンガが2時間9分台という 平凡なタイムで優勝した。日本選手と世界との力の差は歴然で、11分台のタイムで佐藤が二位に食い込んだのを、素直に褒める気にもなれない。これではツ アー数が激減している日本の男子ゴルフ同様前途多難を思わせた。

マラソンはさておき、私はそれよりも、東京の景色というものが、どのように画面に映り込むものか注目してみた。何 しろ、東京の景観を満喫できるコース設定というふれ込みだったので、注目したのだが、現在の東京が、景色として世界の美しい都市と互角に勝負できるような 場所は極めて少ない。流れる映像を見ても、まあ皇居のお堀の周辺の石垣などが映った時には、ほっとさせられたが、銀座界隈がさして美しいわけではなく、雑 然としたありふれた景色でしかない。まず急に現れる珍妙な看板やでこぼこのビルの高さは、日本独特というよりもアジアの多くの街にありがちな不統一的な街 並みそのものであった。

私の知人が、このような東京の景色を見て、「歯の治療を一度も施されていない人の口の中を見るようだ」と語ったこ とがある。言い得て妙である。私は思わずその言葉を聞いて吹き出してしまった。今では、歯科医も審美治療と言って、単に虫歯や歯槽膿漏の治療ばかりではな く、歯並びから、歯の色まで、矯正する時代である。それが東京の景色は、看板やネオンサインも自由、建物の色や高さも不統一で、やりたい放題の有様で、結 局歯医者を知らない人の口の状態となったものである。

昨年、「ドン・キホーテ」という名前負けのひねくれ企業が、東京の六本木だかに、鬼の角のように見える観覧車を創 ろうして、周囲の猛反対もあって取りやめるという騒動があった。あのドン・キホーテの店構えそのものが、景観の中で浮いてしまっていても、実はそれを規制 する法律が現在の東京にないことが問題なのである。

増上寺がいくら素晴らしくても、周囲の景色が野放図に何でも許されるような状況にあるため、次第に悪貨が良貨を駆 逐するごとく、景色は破壊的な方向に流れて行ってしまう。

おそらく、あのマラソン中継を見ながら、「増上寺が美しいね」と感じられた人は、まずいないはずだ。何故か、景色 というものは、点で感じるものではなく、もっと奥ゆかしい感覚で感じるものなのだ。美しい周辺に、汚いものがところ狭しとあるようでは、どんなに優れた垣 根などをもって結界を造ろうとも、人は美しいなどとは感じないのである。浅草も同じだ。雷門の周辺の混乱した景色を見よ。更に、ゴールの臨海副都心のコン クリート色の景色は、スタート地点であった都庁前のコンクリート色の景色と相似形をなして非常に醜いものに映った。要は、景色というものは、建物という個(点)ではなく、周辺総体(面)として考えなければいけない。東京には、景色を総体で考えるようなこ とを明治以降してこなかった。そのツケが今来ているのである。

私はこの東京マラソンが映し出した東京の景色を、素直に見て受け入れるべきであると思う。その意味で、東京マラソ ン開催は、意味があったというべきかもしれない。東京の景色は、やはり審美的な治療が是非とも必要である。でもそれは簡単ではない。そこでまず、私たち は、東京の景観というものが、そこに地面を持つ個人や企業のものではなく、東京というパブリックシティのありべき精神というものを実現するために、高さや 色や材料を調えながら、長い年月を掛けて、官民一体となって、創り上げていくべき大事業であると認識することから始めるべきだと思う。

昨年来、あのデザインの国、イタリア大使館のビルの色が、周囲の景色に馴染まないということで、問題視されてい る。これも大きな景観に対する指針がないために起こった事件である。もしもこの周辺の景色を規制する景観条例が整っていたら、このようなことは決して起こ らなかったのである。

残念だが、東京マラソンで見たように、今の私たちの街東京はけっして美しい都市ではない。いやむしろ醜いのであ る。しかし東京には明治神宮の森や皇居周辺の美しい景色が残っている。この二つの森に加えて上野の森を活かして、新たな美しい東京の景観を創るような発想 が欲しいと思うがどうであろう。

2007.02.21 佐藤弘弥

義経 伝説
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