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野口健という青年がいる。野口は、去る5月13日、サガルマータ(英語ではエベレスト)登頂に成功し、このほど帰国した。これまで7大陸最高峰登頂した記録としては、アメリカの登山家が29歳で達成した記録があるが、今回の成功で、野口はその記録を大幅に更新し、25歳9ヶ月という最年少記録を樹立した登山家である。 野口は、昭和48年8月外交官の息子としてアメリカのボストンに生まれた。その後、外交官の父に伴い、サウジアラビア、エジプトに住み、中学・高校は、イギリスの全寮制の学校に通うこととなった。しかし厳しい校風に、少年はついていけなくなってしまった。そしてついに高校1年生で、けんかをして、停学となった。 そこで父は、「日本へ帰って、一人旅でもして、頭を冷やせ」と一喝し、少年を日本に帰国させたのであった。ひとり考える時間を与えられた野口少年は、関西を旅しながら、「これではいけない。自分らしい生き方を見つけたい」という強烈な思いがわき上がってきた。そして偶然、旅の途中で、立ち寄った書店で、一冊の本に出会うことになる。世界的な冒険家・植村直己の著書「青春を山に賭けて」だった。運命の糸に引き寄せだろうか。野口少年はその本を一気に読んだ。少年は、その本で、あの偉大な冒険家の植村さんも実は「田舎者」と言われ周囲から馬鹿にされていたことを知った。「何だ!この人も僕と同じ、弱い人間なんだ」。少年は植村さんの中に、自分と同じ感性を見つけたのだ。その本を読み終えた瞬間、少年は自分の人生の目標を定めた。 「植村さんのように生きよう」そして野口は、少年から、ひとりの山男に変身していた。この年のうちに登山グループ「無名山塾」に参加すると、16歳ですでに欧州最高峰モンブラン登頂を達成してしまった。以下はその後の野口の登頂記録である。 **************************
若くしてこのキャリアはすごい。しかし私は、この野口の登山記録にある「撤退」という文字に注目してもらいたい。撤退とは、ずばり言えば失敗である。今回のサガルマータの登頂は、二度失敗しており、三度目にしての成功であった。野口は登った時の感想を聞かれて「ただただ、早く降りなければ、無事降りて帰れるだろうか?ということで頭が一杯だった」と語っている。またサガルマータについては「究極の山」「少し油断したら、すぐ死が隣にあるような山」と答えている。 ”登山家の資質は、危険を冒す勇気ではなく、撤退を恐れない勇気である”と言われる。その意味では、撤退することをいとわない野口は、まさに世界最高の登山家になりうる資質を備えた男だ。 また野口は、今、登山を通じてふたつの運動を推進している。一つは、登山隊のゴミ捨て場と化している山のゴミを回収する運動である。もう一つは、シェルパ基金を設立し、登山家たちの成功の陰に必ず存在する「シェルパ族」の問題にも取り組もうとしていることだ。今回の野口の登頂の陰にも3人のシェルパが、野口を山頂までサポートした。しかし危険な仕事に従事し、不運にも命を落としてしまっても、補償すらされないような状況もあることも事実である。そんなシェルパ族の待遇を改善する運動と、野口は真剣に取り組んでいる。 最高の登山家とは、華々しい記録をうち立てたから、最高の登山家と呼ばれるのではない。精神性も含めた最高の人物が、最高の登山家と呼ばれるのである。果たして野口健は、このまま順調に、キャリアを積んで、そんな登山家になれるだろうか?彼の今後に注目していこう。きっとマッキンリーに眠る植村直己さんも彼を暖かく見守ってくれているに違いない。 さてあなたはこんな野口健(亜細亜大学4年生)というニューヒーローにどんなインスピレーションを感じるだろう?佐藤
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1999.6.2