平泉 新春の祈り


千手院にある義経公の妻子の墓所
(08年12月30日 佐藤弘弥撮影)




平泉の柳の御所で枯死した桜から仏像を彫り出すこと



桜を乾燥のため氷張る池に沈めた
(08年12月30日 佐藤弘弥撮影)

08年12月30日、平泉に行った。第一の目的は、99年8月平泉で行った源義経公810年祭でお世話になった中尊寺のお坊さんが亡くなったという知らせを受け、霊前に手を合わせること。第二は、柳の御所で枯死し伐採されたしだれ桜の材木を仏像二体を彫り出すための相談をすることだった。

この日の平泉は、雪はちらほら残っていたが、穏やかで暖かな年の瀬だった。一関駅で菅原次男氏と午前11時に待ち合わせ、平泉に着く。

霊前にお線香を手向けた後、伐採された桜の材木の置かれている場所に向かった。桜は白雪の衣を纏って静かに横たわっていた。仏師の藤原氏や吉田氏、桜の再生の ために力を尽くして来られた佐藤氏らが、この忙しい年の瀬の中、ほとんど奇跡的に、この場所に集まってくれた。あらかじめ、何の計画があった訳ではない。

すると、「この木を三等分して、池に沈めたい」と藤原氏が言われた。ひとつは清衡公、ふたつ目は阿弥陀如来、みっつ目は台座にとのこと。既に仏師の脳裏にそのお姿は鮮明に見えているのだろうか。桜を池に沈め、仏像になる木を乾燥させるのだそうだ。芽が詰まってより固い材料になるという。「じゃー、製材所に連絡して」とトントン拍子に話が進んで、佐藤氏が連絡すると、製材所さんがすぐ来るということになった。

ものの、一時間で、池に沈めた。余りに事の進みが早いので、ホントにこれでいいのかな、と奇妙な気持ちが頭を過ぎった。沈めた池の持ち主に菅原氏が電話で了解を取ったのだ。

実に不思議な一日だった。難しいことが、予定も何もないのに、あれよあれよという間に、話が進む、そんな瞬間もあるのだ。

藤原氏によれば、おそらく彫りが終わるまで、3年ぐらいかかるだろう、とのこと。いったいどんな木像が顕れるか。既にもう形は、神仏の世界では、実現しているのかもしれない。
そんなことを思いながら、夕闇の迫る平泉を後にした。(佐藤弘弥記)

2009.1.8 佐藤弘弥

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