第88回甲子園決勝を評す


早実斉藤と駒苫田中の夏終わる

佐 藤弘弥

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 田中のための大会から田中と斉藤の大会へ

野球は筋書きのないドラマと言われる。いやそれ以上だと、去る8月20日の駒大苫小牧と早実の決勝戦の死闘を観て思った。とにかく昨今の 世情の喧噪を払うような爽やかなゲームだった。

正直な話し、今回の88回甲子園高校野球大会は、やたらとホームランと逆転が多い大味な試合ばかりが続き、幻滅させられるゲームが多かったように思う。

おそらく大会後は、高校球児を勘違いさせるメーカーの作為による飛ぶボール、飛ぶバットの問題が噴出することが予想される。そんな嫌なムードがあるなか で、私はベストエイトが出そろった頃から、この二校の田中、斉藤による息詰まるような投手戦とはならないものかと密かに期待をしていた。それが実現したこ ともあるが、ふたり(田中、斉藤)の傑出した野球センスを持った両投手の意地とプライドをかけた投げ合いには、強い感動を覚えた。

しかし、2006年8月6日、第88回甲子園が始まるまでは、
「ふたり」というよりは、駒大苫小牧田中投手に世間の注目が集中していた。私自身も昨年の甲子園の田中投手の投球を目の当たりにして、これは松坂を超えられる 逸材になるかもしれないと思ったほどだ。しなやかな腕をムチのようにして投げ込む速球とスライダーは、二年先輩のダルビッシュ(東北高校→日ハム)や涌井 (横浜高校→西武)を遙かに越えていたように思う。そこで「今年第88回大会は田中のための甲子園」になると予想していた。大会開催以前、私の興味は、田 中は、どのようにしてあの甲子園史上屈指(?)のヒーロー第80回大会(1998)松坂大輔(横浜高校→西武)を越えるか、その一点にあったと言ってよ い。

早実の投手斉藤佑樹(ゆうき)については、今年の春の選抜を観て、粘り強く低めを突くクレーバーな投手との印象しかなかった。これまでさほどの才能の煌め きを感じたことはなかった。しかし東京都の都大会で、連日苦しい試合をしながら、8回9回に140キロ後半のストレートを投げ込んでいる姿を目の当たりに した時、斉藤の急成長振りが、感じられる程度だった。

そして投手斉藤彼の評価を決定的としたのは、甲子園の2回戦(8月2日)、大阪桐蔭戦での打者中田翔(二年)との真っ向勝負であった。この試合は、斉藤と いうアスリートの心の強さを強烈に印象づけるゲームだった。

昔、怪物と呼ばれた江川卓(1973年第55回大会:作新学院→法大→巨人)という投手がいたが、彼も4番バッターや中心打者に対しては、それまでの投球 内容をガラリと一変させて全力投球になって相手を押さえ込むようなところがあった。斉藤は、対大阪桐蔭戦、一年後輩の中田を見下すように、「経験が違うか ら抑える自身はある」という趣旨の発言をし、甲子園の新怪物と呼ばれる中田を牽制した。試合が始まると、斉藤はその言葉通り、第一打席から、内角高めに 147キロの速球をズバリと投げ込んで、前の試合で140m級の大ホームランを打っている相手に思うようにバットを振らせなかった。結局中田は四打席3三 振、1レフトフライに終わり、試合も早実が優勝候補「横浜高校」を下した西の横綱「大阪桐蔭」を11対2の大差で下したのであった。この試合によって、斉 藤の評価はスピードメーターの針が振り切れるほどに上昇したのである。

一方、88回は田中の大会になる。どのように松坂越えをするかと思われた田中は、第1試合で大きくつまずいてしまった。第2回戦から登場した田中の相手 は、かつての豪腕津田恒美投手(南陽工→広島)を輩出した山口県南陽工であった。この試合、田中は、被安打7、14奪三振の力投であったが、3失点を奪わ れ、一時は一点差まで詰められるなど、四死球が6個が示す通り不安を覗かせる投球内容だった。

続く3回戦は、青森山田との対戦だったが、一時は大量点を奪われて、リードを許すなどの大苦戦で、9対10の逆転勝ち。田中は、リードを許した3回からの 登板であったが、、6回と三分の二を投げて、被安打6、奪三振5、失点3という成績で、昨年の150キロエースの面影は失せてしまっていた。何よりも、勝 利インタビュー後の、表情はとても、勝利者のものではなく、目がうつろで泳いでしまっていた。おそらく自己に対する信頼が少し揺らいでいたのが見て取れ た。

野球の神さまはふしぎなもので、ヒーローになれる資質のある者には必ず試練を与える。松坂大輔の時もそうであったが、簡単に偉業というものを達成させるも のではない。試練を幾つも幾つも与え、それを乗り越えた者だけが、高校球史に残る大ヒーローに登り詰めるのである。

そしていつしか、私の中で「第88回は田中の大会」という思いが、完全になくなった。それでも田中は、必死にもがいていた。準々決勝東洋大姫路戦、ホーム ランを打たれ、5回まで、4対0となり、これで万事休すか、と思ったが、駒大苫小牧の底力を見せて、5対4で逆転勝利を収めて勝利をもぎ取った。ここで、 田中は完全に開き直ったのか、準決勝の智弁和歌山戦では、二回途中から登板し、打倒田中で、打撃マシンを150キロ以上に合わせて練習を積み重ねてきたと いう智弁和歌山に真っ向から立ち向かって、8回を投げ、被安打4、奪三振10、自責点1の今大会で一番の投球を見せた。それでも去年のような凄みのある投 球とはほど遠い内容であった。田中も高校生である。周囲の期待や喧噪を背負って苦しい一年だったはずだ。春には、部の不祥事もあって、出場辞退も経験して いる。相手校のマークも厳しい。その中で、17歳の田中将大(まさひろ)という少年が、仲間とともに決勝までやってきたことは、それだけでも称賛に値する ことだ。しかも、今回は、母校の夏三連覇の偉業までを背負ってのことである。

早実の斉藤は、「田中の大会」から完全に主役を奪いつつあった。かつての甲子園の怪物野球解説の江川卓氏は、「斉藤投手の投球には意思を感じる」とその野 球センスを彼独特の表現で讃辞を送った。確かに、斉藤の資質は、これまでの高校球児の数多のヒーローとは、少し違っている。とかく高校野球の投手というも のは、つねに全力投球で投げていくようなところがある。斉藤の場合は、相手に応じて、投げているという印象だ。バッターの力量や、勝負所と彼が判断した時 に、急にギアチャンジェをする。

例えば、先の大阪桐蔭中田を全力で押さえ込むことで、大阪桐蔭全体の志気がへこむのを見越しているのだろう。つまり「これは中田もあれほど打てないのだか ら斉藤攻略は厳しい」と思わせ効果がでる。また準決勝の鹿児島工戦では、代打の切り札の今吉というムードメーカーが打席に入るや、それまで130キロ代で のらりくらりと投げていた斉藤が急にギアを入れて、最後には内角高めで145キロのストレートで三振を意図的に奪って、相手に勝利のムードを完全に断ち 切って見せたのである。

江川氏が言ったことがある。「江川は手抜きと言われるけれど、手を抜いて投げているのではない。1番から9番まで全力で投げる訳にはいかない。」確かに全 盛期の江川投手は、上位を抑えて下位のバッターに打たれる傾向があった。

斉藤の投球センスは、桑田真澄(PL高校→巨人)に似ているものがある。桑田は、ゆったりしたフォームから、内外に球を散らして、相手が打たないと見るや ズバリとインコースを突くような小憎らしい投球術を持っていた。すでに高校の頃から、完成されたような雰囲気があった。しかしここぞという時の斉藤のス ピードボールなどを考えれば、明らかに桑田の高校時代を上回る潜在能力を感じる。もちろん斉藤が目標にしているという先輩の荒木大輔(早実→ヤクルト→西 武コーチ)の高校時代よりも上である。どことなく荒木には、投球フォームもギクシャクしたところが見受けられ、線の細さのようなものを感じたが、斉藤には それがない。おそらく、甲子園に来てからも、彼は成長しているのだろう。無尽蔵のスタミナを含め、まだ底を見せていない点も魅力だ。


 2 甲子園決勝・勝者と敗者を分けたもの

ふたりの体格を比較すると、田中は185p、83s、斉藤は176p、70sと公表されている。斉藤は画面を見ていても分かるが、最近の大型化する高校球 児としては、並の体格というよりはむしろ小柄な方である。田中に比べ、身長で9p、体重では13s劣っている。この体格のハンデを補うのは、下半身の瞬発 力と強靱なスタミナ、それと省エネ投法とも言えるような打者の力量に合わせた投球術である。

斉藤のこの投球術は、昨年の秋の神宮大会での駒大苫小牧戦5対3の敗北や今春の選抜での横浜戦での大敗(13対3)で、自身のスタミナ切れを痛感させられ ることで身についたものだ。斉藤は、この2つの敗北から学んだのである。特に横浜高校戦は三連投で完全なスタミナ切れを起こした結果だった。そこで斉藤 は、駒大苫小牧や横浜高校をどうしたら倒せるか、という課題にぶち当たる。はじめは互角以上に戦いながら、最後に点数を奪われるのは、自分のボールがスタ ミナ切れで威力がないからだ。それは明白な答えだった。敗れた原因が分かれば、それを克服すればよい。斉藤は骨身に浸みてそのように思ったのである。

そこで余力を残す省エネ投法を工夫すると同時に走り抜いて体力強化を来る日も来る日も続けてきた。そのことの成果が、今大会において一気に花開いたとみる べきである。またボールの威力を増すためのフォームの改造にも取り組んだ。よく見れば、斉藤のフォームは全体に重心が低くなっている。左足を大きく上げて 振りかぶった際、軸足の右足が少し曲がっているためだ。私はこのフォームの修正に注目したい。このことによって、プレート板を蹴るパワーがより伝わるよう になり、結局ボールの威力が増す結果を生んでいるのではないかと推測される。

もう少し細かく言えば、斉藤は大先輩の王さんと同じくノーワインドアップモーションである。王さんの場合はコントロールが悪いので、それを修正するため に、これを採用したようであるが、斉藤の場合は、省エネ効果をこれによっても得ている気がする。

それは静から動への転換がスムーズにはかれるようになったからだ。真に打者の手元において最高に威力ある球を投げるために大事なことは、投球において、静 の動作から動の動作に移る一連の流れである。並の投手の場合は、静であるモーションを起こした時から動の状態になっているものだ。これは静であるべきモー ションの初めから無駄な力が入っているために、「動から動へ」という流れになって、肝心のボールが指先から離れる瞬間に逆に力が分散して、フォームの割 に、ボールに威力がないという結果を招くことが多いのである。投球の基本は「静から動へ」でなければならない。

斉藤の現在のフォームの特徴は、「静から動へ」の流れがスムーズで、ボールへ素直な形で力が伝わっていることになる。一見振りかぶった時、速球も変化球 も、ゆったりと同じフォームから来るために、打者としては、実にボールの軌道が見極めにくいのである。

今後、高校プロを問わず、振りかぶった時い軸足が伸びきらずやや折れている投球フォームからインスピレーションを受ける投手が出てくるのではないかと思わ れる。プロに入って、フォームをいじられて、駄目になる投手もいる。自分のフォームというものは見えないものだから、それも致し方ないが、巨人の大ベテラ ンで200勝投手の工藤公康投手(愛工大名電→西武→巨人)は、高校時代からフォームは変わっていないという。そのくらいの頑固さが必要であろう。工藤投 手のフォームを見ると、右と左の違いはあり、やや反っくり返って構え力感を感じるが、斉藤と同じく軸足がやや折れ、それがタメとなって、ボールにパワーが 伝わっている原理がよく分かる。同時に工藤の場合も速球も得意のカーブを投げる時にもフォームが変わらないので、打者から見て、見極めが難しい投手であ る。

田中のフォームの特徴は、長身を利して、しなやかな腕をムチのようにして上から投げ下ろすことだ。最近では、日本人でも190p近い長身投手は多くなった が、田中のようなしなやかでしかも強い腕を持った投手は少ない。体の出来からすれば、日ハムのダルビッシュや西武の涌井の高校時代を上回っている。彼らは 19歳や20歳で、既にプロで10勝を越える投手に成長しているが、田中もプロ球団のの大エースに成長する素材であることは間違いない。今大会、田中は、 明らかな体調不良から来る不調であった。それはおそらく大会前に引いた風邪による高熱が原因であろう。高熱は、筋肉に微妙に影響し、自分では目一杯力を入 れているつもりでも力が伝わらないことがある。自分では普段通り150キロを越える感触で投げているにもかかわらず、ボールが思うように走らなかったので あろう。別の言葉で言えば、彼は駒大苫小牧の田中将大の看板を背負って投げていたのである。だた要所で決まる外角のスライダーは、高校生では打ち崩すこと の難しい抜群の球で、プロでも十分に通用する切れがある。

昨年、大阪桐蔭に辻内崇伸(巨人入団)という155キロの速球を投げる左投手がいた。弱冠荒削りながら、その速球と184p、88キロという体格も買わ れ、巨人軍に入団した。しかし現在のところ、気の弱さもあるのか、150キロの速球は影を潜め、コントロールの悪さも災いして二軍の試合でも打ち込まれ苦 労をしているようである。どんなにスピードがあるにしても、行き先の分からないような球であれば、高いレベルでは通用しないということである。その点、田 中は、コントロールという点でも抜群のものを持っているから、プロのレベルにも直ぐに順応するのではないかと思うのである。

ふたりの潜在能力を冷静に見た場合、実力は田中が斉藤を凌駕していることは動かし難い事実だ。それでも勝負は逆になるのだから面白い。

それでも最終的に斉藤率いる早実が、最終的に勝利を収めた最大の理由は、早実の斉藤と早実の選手ひとりひとりが、甲子園での一戦ごとに選手として成長を遂 げていたことが上げられる。つまり上り坂の斉藤が、三連覇のプレッシャーのなかでもがき苦しみながら勝ち上がってきた世代の最強投手と誰もが認める田中を 破ったということになる。

田中の体調不良を駒大苫小牧の幸田監督は熟知していた。決勝戦以前でも、田中を温存して、6点差まで差を開かれた青森山田戦もあるが、発熱後の特徴である 体に力が入らないだけではない状況があったと推測する。幸田監督自身、昨秋十二指腸潰瘍を発症したということである。この病気は精神的なプレッシャーが引 き起こす病である。さらにこれに追い打ちをかけるように今年の3月、卒業した部員による不祥事が発覚し、春の選抜辞退という事件が起こった。幸田監督は、 二年間高校球界の王者として君臨し、これを守ることの辛さを、幸田監督は身をもって体験したことになる。監督も苦しかったが、エースの田中も苦しんだはず である。幸田監督も「私たちは挑戦者」と常に発言していたが、絶対のエース田中投手のいる駒大苫小牧は、日本中の高校球児の絶対の打倒目標となっていたの である。

この点を考えると、エースの体調不調を抱えながら、夏の甲子園3連覇という大目標を掲げ、決勝まで進んだ駒大苫小牧ナインの頑張りは、最大級に評価されて よい。

それにしても、8月20日の決勝戦は、「野球は投手。打撃は水もの」という言葉を改めて痛感させられるゲームであった。前日どんなに打撃が好調に見えて も、好投手が出てくれば、たちまち貧打戦となる。これは野球というスポーツのひとつの真理である。打撃戦は、一見派手で、面白いようだが、実力のある両 チームの投手が、自分のペースで試合を作っていく試合こそが、野球の醍醐味である。その点で、延長15回、両チームががっちりと守り、一球たりとも、目を 離せない歴史に残るゲームを展開した第88回甲子園大会決勝は、孫子兵法の原点である「孫子」を読むような、シンプルでありながら、野球だけではなく人生 の示唆に富んだゲームだった。

続いて、決勝戦を私なりの方法で分析してみる。

3 延長15回の死闘を読む

8月20日、晴天の甲子園決勝は午後1時、開始のサイレンが鳴り響いた。

先攻は駒苫、第1打席には小柄なサード三谷が入る。マウンドには、涼しい表情の斉藤がいた。初球は、相手の出方を窺うように外角低めに外す意図を持った カーブを投げる。続いて同じく外角にストライクを取りに行くよくコントロールされたストレート。135キロ。

斉藤は、駒苫がどんな作戦で来るのか、様子を窺っているように見えた。あくまでも出だしは、静かな入りである。

孫子の兵法の有名な言葉に、「敵を知り己を知れば百戦危うからず」(攻謀篇第三)という言葉がある。孫子というとこの言葉ばかりが一人歩きをしているきら いがあるが、実はこの部分では、敵と戦った際の勝利を得るための5つの原則が列挙されている箇所だ。

第一 に戦うべき時と戦わざる時をわきまえている者は勝つ→タイミング
第二に衆寡(しゅうか)の用を知る者は勝つ→大軍と小隊の用い方(集中と分散)
第三に上下の欲を同じくする者は勝つ→チームワーク
第四によく準備し準備の足りない敵をつく者は勝つ→万全の準備をして相手の隙を突く
第五に現場の将が有能で主君が戦闘に口を出さなければ勝つ→有能な指揮官

上記の五つの原則が整った上で、「敵を知り己をしれば百戦危うからず」なのである。

この原則をじっくり考えてた上で言えば、戦う以前から、早実の有利は、動かない事実だった。逆に言えば、駒苫チー ムによっては、戦いに勝利するタイミングではなかった。その第一は、第四の戦う準備が整っていなかったことが上げられる。それはエース田中の体調不良であ る。野球の八割は、投手の出来不出来が勝敗の勝ち負けを左右する。もし力が同じであれば、投手の体調不良は決定的な敗因となる。それでも駒苫が、何とか、 エースの不調というハンデを背負いながらここまで勝ち上がって来た理由はなにか。それはおそらく、駒苫チームの打棒と2連覇しているというプライド、対戦 する相手チームに対する潜在的威圧感など、様々な要素が、複合的に絡み合って底力となって、ここまで這い上がってきたものと推測できる。聞くところによれ ば、田中投手は、甲子園に入る直前に発熱し、開幕前は下痢で、食事も喉が通らず、おかゆしか食べられなかったという。その為、初戦となる2回戦の南陽工戦 では、五対三で勝利したものの、14三振、被安打7、四死球6で、持ち前の制球力を乱し、速球も、最速で140キロ前半しか計測せず、昨年とはほど遠い出 来であった。この時、田中は脱水症状を起こしていたということである。

さてゲームに戻る。

斉藤の第3球目は、真ん中に入るスライダーだった。三谷この明らかな失投を見逃さずライト前ヒット。ノーアウト、ランナー一塁となり、斉藤はいきなりピン チを迎えた。

駒苫二番三木は、バントの構えで、斉藤の内角低め131キロの速球を見送る。続く真ん中高めを三木はバントして二塁に走者を送る。速球のスピードは133 キロ。本来であれば斉藤は、もう少し高めに力のある速球を投げて、ピッチャー前に強く転がし、セカンドで一塁走者をアウトにするイメージだったかもしれな い。しかしまだ斉藤の精神的なギアチェンジがなされていないようだ。

スコアリングポジションにランナーを置き、左の強打者中沢を迎え、やや斉藤も気合いを入れ始めたのぁ。初球は外角高めに139キロの速球を投げ込む。中沢 はこれを空振り。2球目は、球速を抑えたカーブをやはり外角に持っていく。気負った中沢は、タイミングが外れてこれも空振り。3球目は、外角高めに外す 139キロの速球で、ボールカウントはツーワン。続いて、5球目、三振を取りに行った124キロのスライダーが真ん中低めに鋭く落ちる。中沢は腰砕けで三 振、これで駒苫ツーアウトとなる。

続いては、駒苫の4番スラッガーの本間。面白い場面。斉藤に見せ場である。斉藤は勝負所で中心打者を徹底的に研究してこれを潰し、相手チームを「今日の斉 藤は打てない」と錯覚させるような術を自然に身に付けている投手だ。大阪桐蔭戦での「甲子園の新怪物」と呼ばれる二年生の4番中田翔を抑えた時もそうだ が、中心打者には絶対に打たせないという執念のようなものを感じる。駒苫では、それが4番の本間であり、6番に下がってはいるライバル田中である。

打気満々の本間は、その巨体をバーターボックスに入れる。ここで斉藤が一球目に投じたのは、外角低めへの126キロのスライダーだった。これはコースが外 れボール。続く2球目も同じようなスピードの外角低めのスライダー、いい角度で飛んだが、センターフライに倒れ、スリーアウトとなる。斉藤は、この4番本 間を内角高めのストレートを見せ、最後には渾身の外角ストレートで三振に取り、駒苫打線を心理的にへこませようとしたのではないか。何故ならそれが斉藤の 投球スタイルの基本だからだ。しかし本間は外角のスライダーを引っ掛けて凡打に終わった。

続いて一回裏、駒苫のマウンドには田中登らなかった。二年生菊地が上がる。やはり、田中は本調子ではない。私はそう確信した。香田監督の苦肉の配慮が伺え る。田中が登場したのは、両校0対0で迎えた三回一死、ランナー一塁二塁のピンチの場面だった。目で監督に「どうしても行きたい」と言ったのかもしれな い。田中には斉藤とはまた違う独特の勝負に対する嗅覚が備わっているように思う。確かに早実のこの回の攻撃は、一死から、9番佐々木内野安打、一番川西の 打席バントヒットで、流れが早実に急に傾きかけていた。

田中は早実に傾きかけた流れを断ち切るように厳しい表情でマウンドに小走りで駆け上がる。負けん気の強い田中の意地が見えるようだ。
早実二番小柳に対し、田中の第1球は、内角高めに渾身の速球。しか しスピードガンの球速表示は140キロ止まり。田中自身は、少なくても140キロ後半の球速を投げるつもりだったはずだ。手の振りの割には、スピードが出 ていない。私にはこの大会の田中の不調を象徴するような一球に見えた。打者小柳はバントの構えで田中の第一球を牽制するが、これが外れてボール。2球目は 画得各低めに129キロのボール。これも外れ、ツーボールとなる。田中は開き直ったように、内角高めに139キロの速球。次には外角低めにコントロールさ れた132キロの速球で、ボールカウントはツーツーの平行カウント。5球目は、外角低めに130キロの高速スライダー。これに小柳はまったくタイミングが 合わず三振。スピードは、いつもの田中ではないが、NO1投手の意地とプライドを感じさせる気迫の投球たった。 


  4 4回から11回 スクイズ外しまで

回は4回に入る。駒苫の攻撃。斉藤のコントロールの良さを感じたのか、積極策を取り始める。打順は三番中沢からの好打順。斉藤はスピードを封印し、コント ロール重視の省エネ投球に終始している。中沢は外角高め130キロ台前半の速球を打ちそこねてセカンドゴロでワンアウト。

続く4番本間には、第1打席と同じく初球をスライダーで入る。これを本間打ち気に流行って大きな空振り。タイミングがまったく合っていない。ここで斉藤は やや力んだのか、抜けた137キロの速球が外角低めに外れる。斉藤に限らず、力むと球の離れる位置がズレるために当然コントロールは悪くなる。斉藤も場合 もその例にもれず、球離れのタイミング早くなって、ボールが散る傾向がある。大阪桐蔭4番中田の第1打席の三振を奪った内角高めの146キロの速球も、こ の球であった。この球を投げた後、斉藤の体は一塁よりに倒れ、通常のフィニッシュを取れなかった。この辺りは、斉藤の研究課題であろう。3球目、4球目、 テンポ早く投げ込むが、スライダーが外れる。5球目も外角低めを狙った136キロの速球が外れ、フォアボール。

5番鷲谷は、ワンアウトにもかかわらず、バントの構え。それを見た斉藤は、セカンドで走者を刺すつもりなのか、内角高めに138キロの速球を投じる。面白 いシーンだった。内外角にスピードに変化をつける斉藤の投球に、よいバントをするのも容易ではない。4球目はヒットエンドランを外す意図で外角にウエスト ボールを投げ走者を牽制。5球目、内角低めにスライダーが決まり、空振りの三振。ここで一塁走者の本間が走り、盗塁に成功。大柄な4番の本間だが、足は相 当に速そうだ。

走者を二塁においてライバル田中を打席に入る。斉藤は田中との対決は、務めて冷静にしているような雰囲気に見える。一球目、相手の出方を窺うように外角に 外す速球。球速は132キロ。続いて外角低めにスライダー。田中大きな空振り。3球目も同じところにスライダー、空振り。この斉藤、田中の心理戦を突い て、本間三盗にに成功。虚をついた見事な攻めだ。これはノーサインか。4球目、外角低めに130キロの球、これがボールに判定。この球はフォークボール か。続く5球目、思いっきり腕を振った133キロのフォークボールが真ん中低めに鋭く落ちる。タイミングを外された田中は空振りの三振で4回表スリーアウ トチェンジ、三塁に本間残塁。

ここぞという時に斉藤はフォークボールを使う。大阪桐蔭中田の四打席目も、落差はなかったが、140キロ台後半の速球を意識している中田にはこれがチェン ジアップとなり、三振に打ち取っている。

4回裏早実の攻撃は4番の後藤から。「絶対に相手(斉藤)より先に降板したくない」と語った田中は、守りに集中する。思ったようなスピードは計測しない が、外角低めの139キロの速球で後藤をファーストフライに取る。続く5番左の船橋には、内角129キロの高速スライダーで空振り三振。斉藤が打席に入 る。田中に対する斉藤の構えは、バントの構えをする。その構えが、どうも意識してのことが、気迫がまったく感じられない。これは意識してのことなのか。田 中のライバル心を削ぐためにワザとしているとは思えないが、速球のタイミングを計っているようでもある。田中は、これに対して、真ん中高めにに140キ ロ、141キロの速球を連発して、斉藤を追い込む。3球目の130キロの高速スライダー、ふらふらとセンター前に落ちてポテンヒット。しかし続く7番内藤 がショートゴロで、4回裏終了。試合はまったくの膠着状態となる。

6回裏、田中を最大のピンチが襲う。2番小柳のレフト前ヒットに続き3番桧垣が一塁側に自分も生きるバントヒットで1、2塁。続く後藤が送りバントでワン アウト、2,3塁でバッターは5番の船橋。ここで田中は本領を発揮する、このゲーム最速の144キロを計測する速球を投げ、ファールで粘る船橋に8球目、 鋭い高速スライダーで空振り三振に取る。続くライバル斉藤には、渾身の速球(141キロ)を投げてセカンドゴロでピンチを逃れる。


7回表、今度は斉藤がピンチを背負う。一死の後、6番田中が、ショートゴロエラーで出塁。これを犠打(バント)で送り田中は二塁に。ここでピンチヒッター 山口に斉藤は死球を与えてしまう。ツーアウト、1,2塁。打者は、9番小林。斉藤もこのケースギアがトップに入る。外角に4球とも速球を集め、空振り三振 でスリーアウト。


8回表、ゲームが動き出す。往々にして、このような投手戦は、長打によって変化が生まれることが多い。しかも中心打者というよりは、伏兵選手にやられる ケースがある。この回、斉藤は1番三谷を三球でショートゴロに取った後、167pと小柄な三木に初球の真ん中に入った速球をセンターに運ばれてホームラン を打たれる。まさに出会い頭の一発であった。それにしても、ボールは飛びすぎだ。斉藤は本気モードになる。三番桧垣には、初球142キロのストレート、続 く2球とも低めにスライダーを決めて、2球とも空振り、的を絞らせない。サイトは外角高めの速球を投げてサードゴロでツーアウト。そして4番本間。本間に は一転してスライダーを外角低めに三球決めて、空振りの三球三振で寄せ付けない。しかしスコアは1対0。早実の打撃機会は残り2回。早実やや追い詰められ た印象となった。

8回裏、二番の小柳がファーストゴロに倒れた後、3番桧垣が真ん中に入る田中のスライダーをレフトとセンターの間に運んで二塁打。これを駒苫守備陣中継ミ スで、桧垣は三塁に到達。同点の絶好のチャンス。しかも打順は4番後藤。田中は、初球内角高めに142キロのストレートを投げる。この回を乗り切れば、駒 苫の勝利は見えてくる。2球目も田中は外角にストレートを投げる。やや高めで甘いコースに入る。これを後藤が思いっきりセンターに叩くと、センター右に ホームラン性の打球が飛んでゆく。フェンス5m前で失速するが、楽々犠牲フライで早実、同点に追い付く。甲子園の神さまは、いったいどちらを勝者にしたい のか。この時点でも神さまの心は揺れていたのかもしれない。


9回も両チーム得点を取れず、延長戦に突入。

11回表、駒苫の攻撃。斉藤に最大のピンチが来る。しかしここで、本人もおそらく気付かなかったであろう非凡な野球センス(感性)が現れて彼を救う。まさ に自助だ。これは神さまが救ったのではない。

まず三番中沢がセンター前ヒット。4番本間には、少し力んでデットボール。5番鷲谷は犠牲バントでランナー2、3塁。バッターはライバル田中。ここで早実 ベンチは田中を敬遠し満塁策を取る。一死満塁。斉藤は、7番岡川に初球を内角低めに141キロのストレートを投げる。これを打者は見逃す。2球目は外角低 めに、スライダーを外す。3球目ドラマが起こった。斉藤の投じたスライダーに対して、打者はスクイズの構えをする。当然三塁ランナーは猛然とホームに突入 してくる。コントロールのいい斉藤に対して、ストライクを取りにくるところをスクイズで一点をもぎ取る作戦は決まれば見事だ。ところが斉藤は、三塁ラン ナーが、走ったのを横目で確認すると、直感的にスライダーをワンバウンドで投げる判断をする。捕手の白川ならば捕ってくれるだろうという暗黙の信頼が浮か んだという趣旨のことを、斉藤は試合後に平然と語った。斉藤は周囲がよく見えていた。

捕手白川の捕球も見事だった。今年の夏の大会斉藤の難しいワンバウンドの球を一度も後逸していない。斉藤の成長の影に隠れているが、あの縦横無尽な投球ス タイルを支えているのは、白川のキャッチングにあることを想起させられた一瞬でもあった。鋭い外角にワンバウンドするスライダーにバットを当てようとした 岡川だったが、空振りをした。それを見て三塁ランナーはあわてて三塁に戻る。打者と交錯した白川は、前に落としたボールを取ってサードに投げる。頭から戻 る三塁走者だが、白川からサード小柳にストライクの送球が渡ってタッチアウト。これでツーアウト、ランナー1、2塁。この後、皮肉にも岡川はレフト前ヒッ ト。しかし早実のレフト船橋が浅く守っているため、2塁ランナー田中は3塁でストップ。まだ斉藤のピンチは続く。8番山口はライトフライ。斉藤絶体絶命の ピンチを逃れる。

余談になるが、スクイズを見抜いた斉藤の感覚は見事だった。広島カープ時代の江夏豊が日本シリーズ(1979年)で近鉄のスクイズを見抜き、瞬間でボール を外角高めに外し、日本一の栄冠を勝ち取ったことがある。この時の江夏の投球は「江夏奇跡の21球」として語り継がれている。斉藤の11回の直観は、まさ にこの時の江夏の心技体に匹敵する「超感覚」と言っても誉めすぎではない。この延長11回、斉藤がスクイズを外したエピソードは、甲子園球史に刻まれ、永 遠に語り継がれることになるだろう



   5 斉藤スクイズ外しの「超感覚」考察

人間がひとつの道を目ざし、その世界に精通し、無我の境地になった時、自分が集中しているもの以外視界から消えるような錯覚になることがあると言う。私は このことを説明する時について、次の芭蕉の句を例にあげる。

芭蕉が山寺(やまでら)と呼ばれる山形の立石寺で詠んだ、

 閑かさや岩に染み入る蝉の声

である。山寺の夏はジージーと鳴く蝉がうるさいほどの喧騒を醸し出す。とにかく騒がしいのだ。だけれども、何故その喧騒の中で、芭蕉が「閑かさや」と初五 に置いたのか、山寺には巨大な岩壁が聳え、そこには里の人々の遺骨が納められている。急峻な里山に建てられた五大堂や開山堂を廻り奥の院にたどり着くため には、この骨の岩を横目に見ながら、延々と伸びる千十五段の階段を登り切らなければならない。

芭蕉はふと立ち止まり、東に岩に掘られた無数の穴を見る。それが里人の塚だと聞かされた瞬間、芭蕉は異様な気持ちになって、先の句を詠んだと思われる。芭 蕉にとって、蝉の声は命の声である。

芭蕉が別のところで作った句に、

 やがて死ぬけしきは見えず蝉の声

というものがある。これは奥の細道の旅から1年後、幻住庵(滋賀県国分山)で作った歌であるが、山寺の岩を見た瞬間、蝉の声が岩に染みこむようにして、周 囲から蝉の声が聞こえなくなったのである。芭蕉は、その岩に命そのものが染みこんでいくと感じた。しかも蝉は命の比喩あるいは象徴である。もっと言えば、 自分の命もそこに吸い寄せられていくような錯覚に囚われたのかもしれない。

句作という一筋の道を歩いてきた芭蕉にとって、その道の果てには、自分の命が、やがて朽ち果てて行くことを思ったのである。余分な情報が一切視界聴覚から 消えて、人間芭蕉が見ているのは、命の本質そのものであった。これは偶然な出来事であるが、禅で言えばひとつの悟りの境地である。これを「超感覚」と言い 換えることも可能だ。

私はあの日の11回のスクイズ外しの場面で、早実斉藤も、偶然ではあるが、極度の集中の中で、これに近い感覚を体験したのではないかと考える。

マウンド上でモーションを起こし右足を軸に左足を挙げた瞬間、五万人の歓声も姿も斉藤の視界から消え、時間と空間を越えた「超感覚」の世界に踏み込んだ可 能性がある。三塁走者が、ホームに向かって猛烈に走る姿がスローモーションのように浮かぶ。同時に頭の中では、スクイズ外しの対応策が瞬間で閃き、スライ ダーの握りのまま、硬直しているバッターの外角にワンバウンドさせることを考える。しかも、捕手白川だったら、取れる範囲を計算して落としているのであ る。まさに絶妙のワンバウンドボールだった。もうボール一個外角にそれていたら、それこそ捕手が後逸する可能性もあった。

よく死に行く者の脳裏では、自分の生涯が、瞬時に走馬燈のように浮かぶとされる。崖から転落し、九死に一生を得た登山家も同じような体験をしたと語ってい る。一瞬の中に永遠の時間が内包されているのかもしれない。

斉藤はまだ奇妙な感覚の何たるかを理解していない可能性が高いが、まさに禅の悟りの境地 が、あの奇跡のプレーを生 んだということになる。通常、かなり習熟したピッチャーでも、投げる瞬間にコースをまったく変えるというのは難しい。しかし斉藤は意図して、あのボールを 投げたのである。かつての甲子園のヒーロー太田幸司(三沢高)も対松山商戦で延長18回を投げ抜き翌日の再試合もひとりで投げ抜いた選手である。彼は斉藤 と自分を比較し、「今年の甲子園の斉藤の投球を自分と比較するのは斉藤に失礼」と言った。その趣旨は、斉藤の投球レベルが驚くほど、ハイレベルで高いとい うことを言いたいのである。もちろんその中には、あの11回のスクイズ外しの冷静さも含まれているはずだ。また早実OBの荒木大輔も「斉藤の方が遙かにレ ベルが高い」と太田と同じようなことを言った。これは斉藤の変幻自在というべきか、延長11回のスクイズ外しのような奇跡的な投球を目の当たりにした驚き の実感そのものなのである。

今後斉藤の11回の「超感覚」については、各方面からの分析が進められるものと確信する。そして私自身、この斉藤の11回の「超感覚」が、イチローが凡打 をして一塁を駆け抜ける時に脳裏に浮かんだという自分のバッティング映像の「超感覚」とどう結び付くのか、別の機会に是非論じて見たい。


 6 12回から15回まで

12回表裏の攻防。双方付けいる隙なしで省略。

13回表、駒苫にチャンスが来る。3番中沢が斉藤の2球目の138キロのストレートを叩いてレフト前ヒット。4番本間は、犠打で中沢をセカンドに送る。続 く鷲谷は打気満々。初球外角高めのストレートを見逃した後、スライダーを2球空振り。4球目の138キロの外角高めのストレートを思いっきり振って三振。 ツーアウト。田中との勝負となる。斉藤は冷静だった。まず相手の動きを見るように外角へ田中の打ち気を誘うように、スピードを抑えた131キロのストレー ト。これがストライクの判定。同じように田中を誘うように外角へ127キロのストレート。この誘いに乗らない田中はこれを見逃す。一転3球目は、内角高め へ思い切った140キロの速球を投じて変化をつける。4球目のスライダーへの布石と思うが、その通り斉藤は外角低めセオリー通りのスライダーで外角低めを 突くが、田中はストレートを待っていると見えてこれを振らない。カウントは、ツーツーとなる。5球目も田中の待ち球のストレートではなく、スライダーで外 角低めつき当たりそこねのサードゴロで駒苫0点に終わる。

13回裏、田中は死力を振り絞って力投。9番佐々木をスライダーで三振。一番川西は、田中の初球(ストレート)をサード前にセーフティバントしてセーフ。 二番小柳は、一死ながら、送りバントを決めて、ツーアウトランナー二塁。次の三番(桧垣)、四番(後藤)の時、苫駒ベンチは敬遠策で満塁にする、思い切っ た策にでる。まさに早実にとってはサヨナラのチャンス。双方のベンチも死力を尽くした戦法である。五番船橋にすべてが託される。チャンスに強い船橋だけに 期待がかかったが、船橋は初球の低めに鋭く落ちる田中のスライダーを引っかけてセカンドゴロに倒れ、13回の攻防は終わる。

14回に入る。駒苫7番の岡川。斉藤の何気なく投じたストレートをセンター前に運ぶヒット。ノーアウト一塁。続く8番山口は、初めからバントの構え。しか し斉藤は、初球にストレート、2球目にスライダーを高めに決めて、あわよくばセカンドで一塁走者を刺すような構えもあり、打者はプレッシャーのためか、た ちまちツーストライクを取られ、最後は、4球目、バントから、ヒットエンドランに駒苫は作戦変更したのか、打者は外角低めのスライダーを空振りして三振、 この間に一塁走者は二塁に盗塁成功。9番小林に対し、斉藤は初球を外角にスライダー、2球目を内角低めに持ってきて、セカンドゴロに仕留める。一番三谷 は、斉藤の初球スライダーを叩くが、平凡なセンターフライに倒れて、スリーアウト。

14回裏。田中はトップバッターにライバル斉藤を迎える。斉藤はやる気のないような構えから、田中の4球目、渾身の力で投げた145キロ(本日の最速)の ストレートをライト前にヒットを放つ。7番神田は、田中の初球を転がして犠牲バント。斉藤はセカンドにいく。8番白川は、田中の初球スライダーを引っかけ てショートゴロ。この時ランナー斉藤飛び出して、サードでタッチアウト。一塁走者、白川となる。続く9番はピンチヒッター左打者の小沢。しかし田中の2球 目の外角ストレートを簡単に打ってしまい、平凡なサードゴロでスリーアウト。

いよいよ最後の15回に入る。この回を終わって、同点ならば、引き分けで明日の再試合が決まる。駒苫の打順は2番三木から。斉藤は15回。相変わらず淡々 とした表情で投げる。スライダーを内外角に4球配したツーワンと投手優位にした後、一転して外角に2球ストレートを続けて、最後は144キロの外角低めの ストレートで三木を見逃し三振に取る。続く3番強打の中沢にも内角高めのストレートを投げてショートゴロでたちまちツーアウト。

打者は駒苫の不動の4番本間。ここで斉藤は蓄えていた余力をすべてはき出すような変身を見せる。外角高めに外れるが球速はこの日最速の147キロ。甲子園 全体がスコアボードに掲示されたその球速表示に驚きの歓声を上げる。2球目の真ん中高めのストレートがボール(143キロ)。3球目も外角低めにストレー トが外れる。これも147キロを計測。ここまで三球本間は一度もバットを振っていない。

斉藤の長所と弱点をいっぺんに見たような気がした。斉藤は通常、八割の力で投げているよ うに見える。しかし八割の力でありながら、球 の離すポイント(リリースポイント)が一定でボールによく体重が乗る。そのために初速と終速の差が小さく、打者からみれば打ちづらい。俗に言う伸びのある 球が来るのだ。そんな斉藤でも10割の力で投げると、リリースポイントにバラツキが生 じ、コントロールが定まらない。また思いきって投げた時には、体のバランスが悪く、一塁側に倒れる傾向も指摘される。しかし相手打者にとっては、急に斉藤 の腕の振りが早くなることもあり、これにタイミングを外されて、空振りや凡打ととなるケースが多い。大阪桐蔭中田翔の第一打席で投じた内角高めのストレー ト147キロもこのような球であった。しかもこの球を見せられることによって、中田にはどこに来るか分からない斉藤のスピードボールに恐怖感が生まれたの である。この一球が中田の頭にイメージとして残ったことが、すべてだった気がする。つまり斉藤優位の力関係がマウンドとバッターボックスの間に構築された のである。またあの怪物と呼ばれる4番の中田が、青い顔でベンチに帰ってくるのを目の当たりにした大阪桐蔭ベンチも、斉藤恐るべしの心理が生まれたことは 容易に想像がつく。しかしここは本来斉藤の弱点である。もしも中田が、もうひとつ冷静になり、斉藤は力むクセがある。このボールを余裕を持って見逃した 時、逆に斉藤を追い込むことが可能となる。

本間は、斉藤の渾身のストーレート3球すべてを見逃した。続く一球が勝負だと私は思った。斉藤はここでいったんややコントロールされた球を外角に投げて、 ストライクを取りに来ると思ったからだ。案の定、4球目もストレートが外角高めに来た。しかし本間はこれを見逃した。本間は斉藤に追い込まれる前に、この 球を思いっきり叩くべきだった。ただこの球の球速は146キロ。ほぼ今日の最速の球であった。この試合の本間は完全に読みを外されていた。おそらく外角の スライダーを待っていたのだろう。斉藤という人間の性格を考えた場合、勝負所では逃げない傾向が強いのだから、外角のストレート一本に的を絞って行くべき だった。続く5球目も外角低めに146キロのストレートが決まり、これでツースリーとなる。6球目、斉藤が試合で数えるほどしか投げないフォークボール (133キロ)が、真ん中に来るが、完全にタイミングを外された本間は空振りの三振。

確か、大阪桐蔭中田が8回だったが、四打席目3個目の三振を喰らったのも、このような真ん中の甘いフォークボール(134キロを計測)だった。何故打てな いのかと思うのだが、頭に早いストレートボールの残像があるために、これがチェンジアップ効果を生み出して、このような結果を生むのであろう。

本間の三振によって、早実に今日の負けはなくなった。


15回裏、早実最後の攻撃。打順は、一番川西からの好打順。田中も意地でも負けられないところだ。田中は、自分の最大の武器、スライダーを、初球、2球目 に決め、最後は
外角に137キロのストレートを投げて、三球三振に取る。しかし続く小柳には、ワンスリーのカウントから5球目のストレートが外角低めに外れて四球で歩か せる。3番桧垣はストレート中心でツーツーの平行カウントから5球目を外角低めに決めて見逃し三振に取る。最後のストレートは136キロ。けっして本調子 ではないが、斉藤には負けられないという執念を感じる投球だ。4番後藤が打席に入る。長打が出れば、早実の15回サヨナラ勝ちとなる。しかし後藤は、田中 の外角高めのストレート(138キロ)を見逃して、2球目のスライダーをショートに打ち上げて、延長十五回引き分けに終わる。


見事な投手戦だった。野球の神さまは、先攻の駒苫の味方でも後攻早実の味方でもなかった。いやむしろ、どちらも敗者の汚名を着せたくないという思いが強 かったのだろう。15回終了のサイレンがひとしきり鳴り終わった後、球場全体を、爽やかな涼風が駆け抜ける感じがした。

つづく



2006.8.21-28 佐藤弘弥

義経伝説

義経思いつきエッセイ