一神教と多神教



 

哲学者の梅原猛氏が、朝日新聞のエッセイ「反時代的密語」(2004.7.20)で、面白いことを言っている。

「一神教は、守が破壊されて荒野となった大地に生まれた種族のエゴイズムを上の意志に固くする甚だ好戦的な宗教ではないか。この一神教の批判あるいは抑制なしには人類の永久の平和は不可能であると私は思う」

よくぞ、ここまで、ズバリと言われたものだ。きっと梅原は、自己の哲学的信念のすべてを賭けて、このような本音の言葉を吐いておられると思った。

梅原は、一神教と多神教の分かれ道が、農業生産の違いによって引きおこされたと主張する。

「小麦農業は人間による植物支配の農業であり、牧畜もまた人間による動物支配である。このような文明においては人間の力が重視され、一切の生きとしけるものを含む自然は人間に支配されるべきものとされる。そして集団の信じる神を絶対とみる一神教が芽生える。
 それに対して稲作農業を決定的に支配するのは水であり、雨である。その雨水を蓄えるのは森である。したがって、そこでは自然に対する畏敬の念が強く、人間と他の生き物との共存を志向し、自然のいたるところに神々の存在を認める多神教が育ちやすい。」

ここまで言い切って良いものか、という思いもあるが、梅原の主張は、充分説得力を持つものである。この一神教と多神教の対峙は、そのまま西洋人の考え方と東洋人の考え方の違いを考える上で重要である。西洋人の思考の論理は、真理というものをどこまでも、論理で求めて、真理というものを得ようとする。それに対して、東洋人の思考法は、真理を求めるというよりも、真理を求める過程やその時の姿勢や態度の有り様を重視して考える。

この真理に至る考え方は、「巡礼」というものの違いにもよく表れている。西洋では、巡礼と言えば、聖地と言われる所を目指して、ひたすら歩いて行くことに徹するものである。そこには到着すべき明確な場所というものがある。日本の場合は、巡礼と言っても、四国88カ所を巡る「お遍路さん」に代表されるように、聖地周辺の道に点在する寺々を廻って歩くことに意味がある。ここに一神教の巡礼と多神教と違いがよく表れている。一神教においては、聖地にたどり着くことが目的だが、多神教の場合は、むしろ発心をして、歩くことに意味がある。一神教と比べ多神教の思考法は、悪く言えば曖昧とした部分があるが、よく言えば他に並び立つ神を即座に否定して邪教と断じることはない。

今年の世界遺産委員会で、「紀伊山地の霊場と参詣道」が世界文化遺産になることが決定されたが、これも吉野(修験道)から高野山(真言宗)、熊野(神道)の三カ所結ぶ古道が世界遺産として認められたようなもので大変意義深いものがある。同時にこれは多神教的世界観が認められたものと考えることが出来る。日本人は、多神教の権化のような民族で、その多神教ぶりは、「神仏混淆」(しんぶつこんこう)と言われている。無用な争いを避けて、他の神を認め受け入れてきたのである。

ユング心理学者の河合隼雄氏は、古事記の神話研究を通して、日本人の深層に、西洋の一神教世界とは違う心理が働いていることに着目した。そこで、「中空・均衡構造」という概念を提示した。それによれば、西洋型の思考の特徴は、「『統合』への要求が強い」ということである。それに対して、東洋型の思考の特徴は、対立するものを『均衡』させる力が働くというものである。

古事記には、有名なアマテラス(太陽神)とツクヨミ(月の神)とスサノオの兄弟が登場する。この三すくみの関係の中で、アマテラスとスサノオは対立概念である。姉のアマテラスを困らせる暴れん坊の弟として散々姉を困らせる。しかしツクヨミは、表記はされているものの、存在感のない表記だけの神さまのようである。この神話は、日向のアマテラス一族と出雲のスサノオ一族の対立の神話化とも考えられている。

さてその後、アマテラスの一族は、スサノオの後継のオオクニヌシ(大国主)を攻めて、国譲りを迫り、出雲を併合してしまう。大きくなったアマテラスの一族は、その後、様々な国を統合して巨大な国家を造り上げてゆくのであるが、この過程で、「海彦(ホデリ)・山彦(ホヲリ)の神話」が登場する。この神話は、弟の山彦が、兄の海彦に、「道具を交換しましょう」と釣り道具を交換し、兄を騙して、降伏させるという神話である。ここにも2番目の兄弟に「ホスセリ」という「ツクヨミ」と同じような表記だけの神が表れる。これも何の意味もない表記だけの神である。この神話は、アマテラスの一族(日向)が、海彦に象徴される隼人族を屈服させたことの神話化と見なされている。

河合は、古事記に示された構造的な特徴の分析から、このように結論づけた。
「日本神話の論理は統合の論理ではなく、均衡の論理である。それは一見すると、天皇家の正当性の由来を明らかにするためのものであり、権威の中心としての天皇の存在を主張しているように見える。しかし、(中略)それは権威あるもの、権威をもつものによる統合のモデルではなく、力もはたらきももたない中心が相対立する力を適当に均衡せしめるモデルを提供するものである。」(「中空構造日本の深層」(1999、中公文庫)より、「『古事記』神話における中空構造」(初出「文学」1980、4岩波書店))

この日本人の深層に中空構造があるという河合説を私なりに解釈すれば、それは対立概念を「曖昧化」して、いつの間にか「和」しているという特徴である。そう言えば、日本人は、第二次大戦中、アメリカを敵として「鬼畜米英」と叫びながら戦い、「ヒロシマ」、「ナガサキ」の原爆の惨禍を被ったにも拘わらず、無条件降伏した後は、アメリカを感情的又は直情的に恨むということもせず、どちらかと言えば、否定的な気持ちをどっかに隠してしまって、すべてを水に流しているようにも見える。もちろん否定的な気持ちを持っている人間もいるであろうが、大多数の日本人は、いつの間にか、アメリカの文化を許容し、「和」しているようである。今回イラク戦争で、アメリカは、この日本占領のモデルを、イラクでも試みたのだったが、日本のようにうまくは行かなかった。これは多神教の日本人の心と一神教のイラク人の心の持ち方の違いのようにも見えてしまうがどうだろう。

つづく
 

 


2004.7.22

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