paisley underground 1990年 She Hangs Brightly でデビューした Mazzy Star のサウンドを人々はそう呼んだ。 ペイズリー模様のアンダーグラウンド。 dark psychedelic なん使い古された名前では表現しきれないナニかを感じたにちがいない。 中心メンバーは vocal の Hope Sandoval とギターの David Roback。 1993年にリリースした So Tonight That I Might See が Top 40 のヒットになり、1996年には Among My Swan をリリース。 以上の三枚のアルバムをリリースした後、しばらく新しいアルバムはリリースされていない。
ところで Roback はこれ以前に元 Dream Syndicate の Kendra Smith と Opal というバンドをやっていたが、 Kendra の突然の脱退により Hope Sandoval がその後を引き継いだ。 このあたりのいきさつを Hope Sandoval のファン・サイトの記事から引用してみよう。

Hope had admired Kendra Smith as a teen-age Dream Syndicate fan. Sylvia Gomez handed Kendra Smith a demo tape which was comprised of Hope Sandoval on vocals and Sylvia on guitar. David offered to produce some recordings for them and they went into the studio and recorded an album that to this day is yet to be released.That obviously helped solidify Hope and David's relationship. Hope は Dream Syndicate の10代のファンとして Kendra Smith にあこがれていた。 Sylvia Gomez は  Hope Sandoval が作曲してヴォーカルをとり、 Sylvia がギターを弾いているデモ・テープを Kendra Smith `に渡した。 David は彼らのレコーディングをプロデュースすることを申し入れ、そして今日まだリリースされていないアルバムを録音した。 それは明らかに Hope と David の関係を強化させている。

Hope and Sylvia played gigs in California throughout the mid '80s, and stayed friends with both Kendra and David. During the Opal tour in Decemeber '87 Kendra left the band and disappeared. David called Hope to see if she would be interested to take Kendra's place in Opal. They found Kendra and had some discussions. They did two more shows together but then she flew home. Keith Mitchell flew home and next day he flew back with Hope. After that tour Opal became Mazzy Star and Hope has been a very popular bandmember ever since.

Hope と Sylvia は‘80年代中期を通してカルフォルニアでギグを行っていたが、 Kendra と David とはどちらも友達関係でいた。 ‘87年11月の Opal ツアーの間に Kendra はバンドをやめて消えてしまった。 David は Hope を呼んで、彼女が Opal での Kendra の位置を占めることに興味がないかを確かめた。 彼らは Kendra を見つけだし、何度か議論した。 彼らはなおも二度のショーをおこなったが、彼女は家へ飛んで帰ってしまう。 Keith Mitchell が家へ行って翌日には Hope と戻ってきた。 そのツアーの後 Opal は Mazzy Star となり、そして Hope はかつてない有名なバンドのメンバーとなった。

 あくまで Hope Sandval サイドの記事なので、本当にはナニがあったのかは知ることはできないが、Kendra Smith はその後殆どの音楽活動から身を引いている。 その為か Hope をかなり悪く言う Opal ファンがいるようだ。 確かに Hope の多くの(言葉少ない)インタビューの端々に David Roback への信頼の感情が読み取れるのだが、それを Kendra との女性同士の対立という構図に捉えてしまうのは単純過ぎるだろう。 ちなみに Hope Sandora はかなりインタビュア泣かせのようで、殆ど喋らず、時々話し出しても消え入る様な声で答えるだけだとか。 またステージでも客の反応がうるさいと唄えないと泣き出してステージを降りてしまうこともあるらしい。 よく「エーテルの様に透き通った」と形容される彼女の声は、まさにそんな彼女自身を投影しているのだろう。
 さて2001年の後半、突然 Hope Sandoval の新しいアルバム Bavarian Fruit Brerad が Rough Trade からリリースされた。 バンド名は Hope Sandoval & The Warm Inventions そして MBV の Colm O Ciosoig が Hope と共にプロデュースをしている。  さて Mazzy Star はすでに解散したのかと心配になるが、そうでもないらしい。 2002年8月の KURT BRIGHTON によるインタビュで Hope は次の様に明言している。
「わたしは何故人々が Mazzy Star は終わったっていってるのかわかないの。 多分わたし達がそんなにも長い間ナニもしてこなかったからだろうけど。 でもそうじゃないの。 バンドは解散もナニもしていないの。 わたし達は新しい曲を録音してるわ。 そして Warm Inventions ツアーの後に最新の録音のいくつかを仕上げてレコードにするつもりよ。」

by seven Dec'8. 2002

Hope Sandoval

Suzanne

8,Dec' 2002