日本の気候は日本人の暮らしに大きく影響を与えてきました。住環境でいえば、陽射しの調節のために、地域によって微妙に異なる長さの庇がありますし、座敷と庭の間に縁側などを設けるなど、季節を暮らしに取り込んで、うまく過ごせる工夫が様々に発展してきました。
高温多湿の日本では、古くから家は夏向きに建てられてきました。周辺に豊富にあった、調湿力にも優れる木材を使い、開口部の多い、開放的な柱組の家を作りました。
風の通りもよく、多湿であっても、空気が常に動いて入替わるため、かなり快適に夏場を過ごせる形態が伝統的に受け継がれてきました。柱、梁、板の間などの木材は、吸湿力も大きいので、意外に湿気を感じない住まいでした。襖や障子といった、紙も湿度を調整するのには、効果的でした。
これらの日本の伝統的な住居の特徴は、おおいにリクガメ達の飼育ケージなどに利用できるでしょう。また、高温多湿の環境への対応方法を示してくれているわけです。何百年と受け継がれてきた知恵です。
地中海リクガメなど、大陸西側の地方に棲息する種に対しては、特に応用できると思います。
幾つかの、床暖房も試みられたことはありました。ルーツとしては、中国や朝鮮半島に伝わるオンドルというもので、土で固めた床下に溝を巡らせて温度の高い煙熱を通すといった手法でした。しかし雨の多い日本で土で床下を塞いでしまうと、湿気のために土台などが腐りやすいとか、土台がゆがむなどの問題が多く、普及しませんでした。乾燥地帯では有効なオンドルも湿潤な日本の気候には向きませんでした。
時代的には、平安後期から鎌倉にかけての日本の気候は、比較的暖かく冬も凌ぎやすかったそうです。しかし、室町時代以降からしだいに寒冷となって、江戸時代の18世紀後半には小氷期と呼ばれる寒さのピークを迎えました。大飢饉が相次いだ頃です。
それほど寒かった江戸時代でも暖房具といえば、火鉢か炬燵(こたつ)行火(あんか)程度で、平安時代とたいして変わりませんでしたが、かつては貴族専用だった暖房具が庶民のものとなったということが、大きな変化でした。
今でも、古い、りっぱな旧家にお住まいの方でリクガメを飼育されておいでの方には、幾つか考慮すべきことを示してくれています。個人的には、そのような形態と様式の家が私も好きですが、ついつい便利さなどに走ってしまいます。様々な現代の住宅問題の根底には、その辺の理由がありそうで、エコ問題が話題になってからは、近代の都市型住宅ではなく、旧家に見られるような様式の住宅をあえて望む声も増えてきています。
話が少しそれましたが、実際庶民の暖房具を含めたいわゆる家財道具が発達したのが江戸時代になってからです。木製の長火鉢や、江戸中期以降にもめん綿の蒲団が普及してから、炉の上に櫓をのせて、蒲団をかけた炬燵や行火が登場します。しばらく太平の世が続くのですが、鎖国下の日本では、無駄なものはつくらないで、合理的な選択がされ、知識も技術もエネルギーも、物や量でなく質の追及に向けられたため、新しい発明といったものより、趣味や遊び、芸事に文化を昇華させました。
寒い冬は、火鉢と炬燵で見栄を切る。それが江戸人の理に適った暮らしであったようです。
炬燵などは、屋内放し飼いの飼育環境の一部として考えれば、利用もできそうです。リクガメではありませんが、アカミミガメを座敷ガメにして飼育されている方の中には、炬燵を有効に利用している方もおいでです。リクガメの場合には蒸れの対策は必要でしょう。
そのころの西洋ですが、ペットとしてのリクガメの歴史はヨーロッパでは大変古く、1600年代の始めの頃には、すでに飼育しているリクガメの様々な研究や観察が行なわれていました。緯度もかなり北に位置する北ヨーロッパでの飼育を日本の事情と比較して考えるのは、無駄なことではないでしょう。
文明開化とともに、レンガ積みの暖炉が日本に入ってきました。それまでは床に切ってあった炉が壁のほこらにあるのですから、驚きが大きかったといいます。また、銀座のレンガ街の姿に見られたように、洋風の建築も増えてきました。明治5年の大火以降には、政府が多額の費用を負担したこともあり、レンガ造りの家屋を商家に払い下げて開店をいそがせたといいますが、庶民にはレンガの家など病気になって死んでしまうと警戒されて空き家が多かったということです。
その後も欧米をお手本に近代化を急いだ訳ですが、欧米の建築の何をどんな形で日本に導入するかといったことについては、まったく基準もなく、日本的でないように見える建物を洋風といっているにすぎませんでした。それがけっきょく今日まで、大変中途半端な形の洋風の家として残る原因でもありました。
具体的に申しますと、日本の近代化の頃の欧米では、ルネッサンス、バロック、ロココというような過去の様式が次々に新しいものに変わりつつあった時期で、折衷様式といえる混乱期でした。そのためその混乱を日本は、訳もわからず受け入れてしまったと言えます。
暖炉も欧米では、その頃にはすでに主たる地位をストーブに譲っていたのです。
暖炉は結局日本では、様式主義の混乱の中で実用性や建築的な意義も認められないまま、けっきょく蓋をされて、ストーブの煙突の取り付け口と化して行きます。
住居も開口部の少ない、洋風?の家も次第に増えて行きます。
一度ストーブが広まるとその後はもう現代まで一気に進んできます。経済的な側面と技術の進歩が合わさり、住居も暖房効果が優先されました。密封型の住宅が増え、ガス、石油のストーブから電気ストーブ、電気の空調機と次々に暖房が登場します。各種の輻射暖房も今ではポピュラーになりました。
日本の住環境の始めに戻ります。
リクガメとバウビオロギー
住宅に限らず、ビルやさらに超高層ビルに至るまで、冷房にしても、換気にしても、日本の風土気候からまったく切り取られた人工的な部屋の形成が昭和初期から今日まで続いてきてしまったと言えます。それは、近代建築の進んできた方向でもあります。
ある超高層マンションに木造の平屋の家から移り住んだ人がこんなコメントを残しました。「生活でもいままでは天気のいい日は窓を開けてフワッと入ってくる爽やかな風を楽しめたのに超高層では全部人工環境です。人間にとっていちばんいい温度や湿度を自動的にコントロールはしてあるけれども何か違う。
外の気候の変化に全然気がつかない。窓があっても雲の中で、音も聞こえません。ある日、夕方下に降りたらすごい吹雪で、そこに立った時にカルチャーショックを覚えました。
肉体的な冷たさをはるかに越えた精神的なやすらぎがあった。人間も自然の一部だという実感があった。」
このコメントが、本質的なことを物語っているように思います。また、見方を少し変えるならば、リクガメの飼育環境についての話しとしてもかなり興味深いものです。
飼育書の中で語られるリクガメの飼育環境は、温度は何度、湿度は何度、ホットスポットを設置してうんぬん・・・となりますが、精神的な空間の話しがあまり語られてはいません。
飼育というより、生きていられるための条件ととらえる方がよいかもしれません。そこには、健康に、のびのびと、生き生きと、といったフレーズがあまり登場しません。
また、屋外飼育の話は、語られていることは稀というのが実状です。日本の風土の項目で見たように、日本での屋外飼育というのは、北と南でも西と東でもかなり違う条件となってしまうので、日本での飼育とひとまとめにすること自体が無理なのです。そのために語られないというのも妙な話ですが、可能な限りで、自然の風と太陽と緑と土と友達にさせてあげることは、間違っていないと思います。
このようなエコロジカル(生態的)な視点からの環境問題へのアプローチのなかでも、「バウビオロギー(建築生物学)」は包括的アプローチとして有力です。生物と生物、生物と環境との関係学としてのエコロジー(生態学)が確立されたのは130年程前のことです。フンボルトやダーウインによって、世界各地の異なる環境条件のもとでの多様な生物の生活の形式が発見され、進化論が新しい体系を築き始めた時代でした。
今また、人間や生物と環境の新しい関係が求められているわけです。バウビオロギーは、ヒトも生態系の中で生きる生物の一員にすぎないという認識から、現代建築と人と環境との健康な関係性を、生物学的観点から見直し、その再構築を図ろうとするものです。私はこの見地からリクガメの飼育環境を見直してみようと考えています。