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ぶん

さあ、始めます。30分以上が一応、目標で。文章について書きます。テーマなんて崩れていくものらしいが。まったく、私のようなしろうとが文章について書くなんて、ちゃんちゃらおかしいわけですが、今、一番興味があることなので。文章というのは、不思議です。ずっと一人の人の文を読んでいると、脳みそがその人の文のリズムになる。理数系推理小説の面白いところは、推理じゃなくて、理数系の考え方です。私の場合だが。私は文系なので。考える手順の違いが面白い。だけど、そういう風に他人の文章にとっぷり浸かったときというのは、すごいミスをしやすい。会社に行く電車の中で読んだ本の考え方は朝礼の時に消し去る努力が必要。帰りの電車ではそういう努力をしないから、バスで財布を落としても気づかなかったりするのですよ。って、のめりこみすぎです。でも、のめりこむのが楽しいのだと思う。小説はな。小説はそうだけど、実用書とか学術書は違う。小説は短いのでも文章によってその人の思考が味わえるけど、学術書はその人の書きたいことが思考を上回るから、一冊読んで初めて、その人の気持ちがわかる。気がする。私が鈍いからか。そうか。のんびり屋だからな。いや、そんなことはいいのです。文章の話だな。もう破綻しているのか。いやいいです。文章の話。テレビでやっている映画をみて泣くのは至難の業です。私には。潤むぐらいなら違いますが、CMのたびに我に返らないかね? 無料配信のテレビだから、だけど。でも、DVDもそうだ。映画館以外で、映画を見て泣いたことはない。映画館は凄い。むちゃくちゃ泣く。真っ暗で、映画と向き合う。泣かされる。悔しいぐらい泣かされる。映画に行こうと言われたら、泣くから嫌だと答えるほどだ。そして、無理矢理連れて行かれるのだった。あ、また話がそれてますぜ。映画。そうです。映画館は映画と向き合うための空間だから。でも、小説は違う。どこでても読める。ネット小説は印刷して、だけど。どんな場所ででも読めるから、その世界にのめりこめるかどうかは、文章力がものを言う。文章力というのも、どんな文章がのめりこめるかは、人によって違うでしょう。でも、本当に凄い人には好みの垣根もないのではないかと思う。小説を読む方は小説と向き合うが、書く方は不特定多数を想定して書く。そして、不特定多数が感動したり、いろいろなことを想像したり、考えたりする。凄い事です。三島由紀夫が、あらゆる小説に出てきた人の中で一番美人だと書けば、それがそうなると書いていたのを見て、昔、笑いましたが。いや、笑うところじゃないところで笑う傾向が私にはあって、ときどき学術書読んで大爆笑している。って、話がそれてますぜ。文章の話でしたね。文章。例えば、青と書かれて想像する色が人によって違う、だから五月の空のような青とか書いてあるわけですが、今が五月で空が曇っていたら、おりゃどうすりゃいいんだ、と思うわけです。嘘。昨日だかおとといだか、晴れた空を想像するんだけどさ。どんな言葉でも、一つの言葉を百人見たら、百人違うことを想像する。それが文章のおもしろいところだけど、作者のえがきたい場面をおのおのの頭の中でちゃんと想像してほしいわけですから、文章を整え、想像を駆り立てる文章テクで必要なのですね。でも、私のような者ですと、作者の書きたいことは全然わかってねえのだろうなぁ、むしろ自分好みに捻じ曲げているよな?ということがあるわけです。だから、申し訳ないが、でもそれが読者の自由な楽しみですね。うわ、パニックの形相になってまいりました。そろそろ二十五分。だいたい、テキストプレイはパニくるとハイになりませんか。ふふふ。楽しくなってきた。楽しい。駄目だ。今回はハイやパニックを楽しむんじゃなくて、人間らしいまっとうなことを書こうと思っておったのに。人生とはそういうものでしょうか。苦あれば楽あり。楽と書いてハイと読むのか。ちげーよ。まともな話をしようとしてんだよ。ええとですね。文章。文章の話。私のようなしろうとがてめえの書いた文章について書くのも変ですが、私は文章を書いたら、すぐ順番を入れ替える。読みやすいように。何度も入れ替える。だからテキストプレイはいつもと全然違うことをしているから、ハイになりやすいのかもしれませんね。あ、ハイの話したがってるよ。違うって。文章の話だよ。ええと。文章。一度書いた文章は山のように読み返すのです。そして、削って削って削りまくる。この作業は非常に楽しくない。この作業をする時はとても批判的になっていて、人様の文章が読めない。人様の文章読んでも削りたくなるから。テレビのナレーション聞いても削りたくなる。精神に平和なし。嘘。そこまでない。でも、削りマニアに変貌するわけです。ちっとも楽しくないのにそういうことをするのは、読む人が少しでも読みやすかったらいいなと思うからです。読みにくい話が私自身苦手なので。なんだそりゃ、みたいな言葉ばかりで辞書引きまくりの小説でかつ面白い、本もたくさんありますけどね。中島敦とか。中島敦は違うけど。でも中島敦好きだ。最愛の作家の一人。あの文章、たまらん。もちろん、内容も。中島敦の中国古典の話が好きなのですが、あれは、辞書ひきまくりだ。辞書ひいても載ってなかったりする。でも好き。何度も読んだ話で読み返すたびに辞書が必要になる私も私だ。なんで、かたっぱしから忘れるのか。いや、まあ、いいです。文章の話でしたね。外国の詩を好きな人はこの国の言葉に精通してる人なのだろうと思う。日本の和歌が外国で理解されないという話はそれはそうだろうと思う。私が人生で一番感動した文章は詩でも和歌でもない。科学の本だった。五十億年後には太陽が水素の核爆発を終えて膨らむので地球は飲み込まれるというの。楽しいというか、うわ、人間ちっせー!と思い、とても感動いたしました。小学校のときは、ひむがしの野にかぎろひのたつ見えてかえりみすれば月かたぶきぬ、という短歌が大好きだったけど、それより感動した。文章じゃなくて、大切なのは内容なのですね。でも、小説は両方大事。ここで、指が二秒以上止まってしまいました。39分でした。


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