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無題

俺って言うのはこう落ち込みがちっていうかすぐにやる気無くしたり何やったらいいかよくわかんなくなっちゃうちょっと哀しい30代って風情のスピリチュアル低速タイフーン。そういう生き方に飽きてちょっとさっき布団に潜り込んだ状態で俺最高俺かっこいい俺自身に満ちててやる気まんまん俺いけてる俺えらい俺すごい俺頼もしい俺素晴らしい俺生き様ほれぼれするね全くていうか俺実際凄いしそして俺の伝説ーとかゆって自己暗示をかけ続けていたら単純なもんでテンションだけはガンガンに上がってしまいましたが性能は別に変わってないのでなんか元気なだけで何もできずもてあますこの朝というこれはこれで困った状態になってしまったわけですがそんな時こそテキストプレイ。爆走疾走やがて迷走する思考のやり場に最適なこのバトルフィールドに俺のこのテキストウィザードっぷりが炸裂してビットを埋め尽くすぜベイベ。しかしあれだ、テンションだけが高まって何も出来ないというのはなんなんだろーねー。ずっと何もしてない状態(まあ全く何もしてなかったわけじゃないですよ?あずまんが大王50回くらい読み返したり)が続きすぎて俺☆ザ存在の構成要素から実行とか活動とかそういう部分ががっつり欠落してしまったような。まあそんなときはポジティブシンキング。村上春樹がいいました「才能とは欠落である」今のは欠落という単語が使われているだけで俺の話と全くリンクしてない上に村上春樹だっけそれ言ったのとかなりあやふやな状態のテキストプレイ、まだまだイントロ気ぃ抜くんじゃねえぜ皆の衆。しかしあれだぜ、継続は力って、こういう時だけえらく重たい格言になっちゃうな。普段は、あっそ、死ねば?<言い出した奴、とか思うだけなんですけどね。例えば俺は絵を書いたりするのが時々好きだったりするのですがやっぱり書きつづけてるときはどんどんどんどん来るわけですよ、好きが。そんでもっと書きたいな書きたいなとか動物かするポストモダン(よく知らない)と化しているうちになんかちょっと上達した感じがしてうれしかったり絵を見てくれた人からレスポンスがあってモチベーション上達、といううれしげスパイラルが形成されていくわけで阿修羅級の豪運が炸裂するかのようなナイス循環になっていって、まあそれがずっと続いてたら俺の人生もかなり違っていたものになるだろうねハハハ。なんか突然ブルー。自分打たれ弱すぎなんですよ。ちょっとした冗談とか(小泉さんが痛みを伴う改革とかいうとか)間に受けちゃってすんごい引きずるし。ものすごい速さで諦めるし。ご飯の上にふりかけたかつぶし踊るじゃないですか。ぺろぺろと。あんなビジュアルが浮かぶような諦めっぷり。萎びよ我が心、ご飯の湯気とともに。しょうゆかけて食うとうまい。それでまあいろいろそういうのを乗り越えようとしたりするんだけどそういう時に限って、いやそういうときって無闇にかつてないほどのナイーブさが大噴火するわけで、どうしたらいいかマジわかんない。こういう話書くとサカイさン以下インターネットの人全員がイヤな顔しそうなんで書くんですけど、俺こう心の病院とかカウンセリングとか受けるんですけど初めは頑張って治そうという意志もあるんですけどほんとどうでもいいところでそういうのが挫けてまうのです。なんか病院の予約入れ忘れたとか。それでもうなんかいきなり人生が終わるとか、もう一生俺はダメなままなんだ。そういう方向に急転直下する俺のマインドオデッセイ。冷静に考えて何なんだそれ。病院行け。いや行ってるけど。カウンセリングすげえきついぜ?とりあえず初めのセッション、面接の事ねセッションて、で自分が自分で問題だなーと思うことを説明するためにある程度自己紹介するんですけど、例えば俺は29歳なので29年分の自己紹介やるわけですよ。幼稚園の時の、いやこれなんかサカイさンがトラウマどうとかゆってたからやめよう。トラウマでもなんでもないんだけど引っかかりそうだし。とにかく自分でアイタタと思って封印していたあの思い出やあの思い出などをムリヤリ引きずり出して目の前の初対面の先生状の生き物に戒告するわけですよ。マジきつい。最初のカウンセラーすごかったな。なんかとりあえず生活態度とかどうにかしてえとかそういう話をしてまあ俺としてカウンセラの先生に期待するのは例えばこう一日の行動パターンを見ていってこういうところで気をつければ昼夜逆転を止められるんじゃないでしょうかな?おおなるほどさすがカウンセラの先生に見てもらうと違うなあ。もう昼夜逆転は直ったも同然ですね。ようしけむろ君、あの夕日に向かってダッシュ。先生ー。そんなやつなわけですよ。んで、現実のボウンフラがのたまわく、「目覚まし買ったらどう?」こっちは一回のセッションに六千円払ってるんだよ。あんまりという言葉ではものたりなさすぎるほどのあんまりすぎ。そんで俺が「目覚まし使ってるんだけど意識ないまま消しちゃったりするんですよね」ボウフラ、ちょっと考えてから「もう一個買いましょう」おいこの一回六千円。ちょっと考えてそれならせめて即答しろ。そのあとも何回かその蚊の幼虫との戦いの中でマインドアストレイな呪文を何回か投げつけられたのだけれど、一番衝撃がでかかったのは俺はかなりマジで自分の問題をどういう方針で片付けていったらいいんでしょうかと問うた時。2分くらいかの沈黙の後そのウィルビー吸血昆虫はこういった「わかりませんね」おい。お前今すぐ国連の査察受けろ。マジで誤解して欲しくないんで言っておきたいのは、カウンセラの人はまともな人のほうが多いです。実際結構改善されてきたし。問題は俺が不意のしょんぼりにとりつかれて外に出れなくなって通院できずカウンセリングがなかなか進まない点だが。そういえばこの間ICQで1年くらいぶりにリアル世界からの友達からメッセージ。「けむろ、カウンセリングってどこがいいのかな。」彼女に振られただかなんだかしてストレスが体にキテルと。自殺も考えちゃったりしてると。なるほど。風俗行けというのをぐっと我慢してメンタル系は金銭体系よくわかんねえし時間も金もかかりすぎる上に当たり外れが多いのであんまりオススメできまへんという事と、あんまり辛いようだったら外来で緊張緩和したりするようなおくすり貰ってきたら?とだけゆってその後布団に潜ってネットだけでなくリアル友達にもメンヘル担当として指名されるようになったのかと呻いた。まあさんざんやらかしてたからいいんだけど。とここまでかいてこれこの系統の話題やっぱダメすか?NG?とかすごい思いはじめちゃったんだけどテキストプレイこっからが本番身を引き締めなアングリーボーイズ。なんかだんだん肩痛くなってきた。頭はあんまり辛くないというかやっとエンジンかかってきた感じでなんか楽しくなってきてる。ちょっと思うんですけど、これ自分の書いた文章読み返す時間が許されてないから自分で何かいたかもう思い出せないじゃん。もちろんその原因の一つには俺がアホであるという部分も大きすぎるっていうかそれのみといっても過言じゃないんだけど。他の人どうなんだろうなあ。なんかもっと明晰なわりと流れのある文章書いてる気がする。あーテキストプレイ掲示板に試しにやってみたけどいつもと書いてる文章と変わんないとか書いちゃったけどやっぱまだあんまはっきりといつもの文章と違う!って言う部分ないなあ。気分的には一人で長電話してるっていう感じ、うわ、一人で長電話って書いたらすんげえ寂しい気持ちになってきた。ゆうべは古い同人仲間と長電話してたなそういえば。なんかこう、バンプオブチキンとかゴスロリとかtatuとか世間の奴らは反応するの遅すぎるというしょぼくれたpeople=shitを二人でやってたんですけど、別に俺らがそれらの内一つでも普及に努めたかというと別にそんなことは全然ないのでなんか情けないなーこういうの。あとなんかわりと皆が認知する前に対象に入れ込んだりするのは一種の情報過敏、ちょっとした病質の一つって話もどっかで読んだ気がする。それと自分らは情報が早いとかそういう思い込みもあるわな。それで知らない情報、興味のない情報については都合よくオミットした上で「俺たち情報ハヤーイ」とか。情報偏重主義。俺らネットやるまえからこうだから重症かも。しかもガチのマニアから見たらやっぱりそんなたいしていい目も早い耳も持ってないような気もするし。もうちょっとそういう部分は謙虚になんねーと。とか思う。しかしあまりこういうことばっか配慮してもな。それがなんなんだっつうのって話ではあるわな。しかし正直どうなんだろう、こういうのも自分語りに入るんだろうか。その辺の間合いが昔から全然わからんのです。自分語りがダメという理由も、カッコ悪いという以外に思いつかない。危険思想にいきがち、とか一瞬思ったけどそれは人それぞれだな。自分語りだろうが音楽話だろうが恋愛話だろうが政治ネタだろうがヒトシくおもろつまらなの振幅は存在する気がする。というか、面白い自分語りはあるとおもう。具体的に言っていいの?ダメだよね?じゃあ適当にその辺はお察しくださいということで。そういえば家にあるCDを全部MP3にしようと頑張っているのですが半年くらいチンタラやって20ギガぐらい貯まったのにまだ3分の1行ってなくて途方にくれた。誰かバイトやんねえかな、とか頭によぎります。音楽をファイル化するとCDの山から聴きたい曲を掘り返したりする労力が省ける替わりに、なんだかその部分で楽になったぶんだけ行動タスクの上での音楽を聞くという行為のランクが下がってしまう部分もあってすごい複雑な気分。ていうかあついなあもう!なんかテキストプレイはじめる前に寒かったので暖房を最強にしておいたのですがちょう裏目に出た。シャツ脱ぐか窓開けるか暖房切るかしたい。いや全部したい。それでね?音楽ってわりと神聖化する人が多いのでこんなもん嗜好品を金で買ってりょうらく(すいませんマジで漢字わかりません、ていうかなんで変換しねえんだ信じらんねえ)主義に溺れる行為なんですよこんなもんはとかいうとよく殴られる。いや、だってホントにいい音楽とか人生を変える音楽とかあると思うけど、やっぱno music no lifeとかで上手いコピーだとかゆってんの聞いてるとなんかすんげえ違和感。そしてあついです汗かいてきました。ぐおああ。もちろん俺も尊敬する音楽のひととか特別視してるバンドとかあるけど、その、ブランキージェットごにょごにょとか。やっぱちょっと引いて相対してるは俺は。トシ食ったからかもしれないけど。いやそういえば歌詞を複写とかしてたわ。思い出した。ごめん。音楽どうこうのとこナシね。うわテキストプレイの罠にはまった。考えずに書きそして修正できないという。厳密にプレイするならば今の「音楽どうこうのとこナシね」とうのもやるべきじゃないわな。美しくない。開き直りつつキレイに繋げるのがきっとプレイ的にはいいんじゃないだろうか。それにしてもあついです。別のガマン大会が混じって来ました。じゃあいっそ開き直ってみようか。街で買って手に入れた音楽を聴くという行為と音楽を神聖視するという行為の間に横たわる溝がある。って何も考えずに行ってみただけなので溝とは何なのか今から考えるわけですが。正直なところそんなもん連続した体験を恣意的に切り取ってああだこうだゆってるだけで単なる詭弁にしか、いやだから自分で突っ込んじゃダメだって。なんかでっち上げろ俺。そうだな、たとえばそれは戦争のようなものだ。恋のようなものだ。「ある瞬間」からそれはただの日常から特別な時間へと変質し、その両者は全くの断絶にさらされているにもかかわらず、どこで変質したかを捕らえるすべを我々は持たないのだ。単なる空気の振動であり、訓練された肉体のリズムの発露であり、テクノロジーが作り出す規則と逸脱の機微であり、経済活動であり、宗教であり、嘘っぱちであり、真実であり、君にとってどうでもいいものは俺にとってかけがえがなく、俺が嫌いでしょうがないものが君の宝物だ。音楽ってのは聴かれなくても存在できる。記憶の中で反芻されたイメージはレトリックじゃなく音楽そのものでありうると俺は言い切る。すぐれた曲に対するすぐれた批評ははそれ自体が別のバージョンの曲を聞き手のの心の中に響かせる。あ、なんか途切れちった。このままかっこいいオチをつけて、そして暖房を消して逃げようと思っていたのに!マジ泣きそうなんで暖房消していいですか!次はそういうところを気をつけながら挑戦しようと思います。ご清聴有難うございました。


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