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NO-FUTURE

はい、そんなわけで何をテーマに書くかと言えばまあそれは当然ネットつまりネットいわゆるネット、それ関連のことをただたらたらと書き綴ることくらいしかヒキコモリの私には思い付かないわけすが、なんつうんでしょうか?この時点で私はこの作業が思ったよりも遥かにキツいことに気付きました、というのは私の打鍵速度は通常より若干はやめだからです、つまり文章の書く速度に、脳の思考がおいついてこないとかまあそんな感じでして、このままこの作業を続けていくことにより私もガリィのような脳内アクセラレーターを持つ身になれるかどうかというところははなただ疑問であります。ところで前の文章のつながりを見ずにただただ画面上に点滅するカーソルのその位置のみを凝視してひたすら書き続ける作業というのはこれは又えらく不安になるものですね、なんて言うのかなこう自分が何を書いているのかわからないというのはイコール自分の存在があやふやになっているのと同義でして、これは一言でいうと不安どころの話ではないですね実際。たぶん後で見直して死ぬんだろうなあちなみにここまでで3分です。これをあと20回繰り返せば無事クリアーというわけですが、既に体が雷電最終面プレイの時と同じ状態になっちゃっているというのに後57分も持つんでしょうか?逃げちゃ駄目だ逃げちゃ駄目だ逃げちゃ駄目だすげえ逃げたい。はい、ところで何の話でしたっけ?そうだなぜ私がこのようなことを始めようと思ったのかというそのことの顛末?じゃねえなきっかけだ、それについて少しお話しようと思うのですよ、つまりですね最近とみに思うのですが「プレイ」という言葉が軽々しく使われすぎてやしないかとそう思っている次第でして、花も恥じらううら若きお嬢さんのサイトまでもが放置なんとかとか岩瀬プレイとかそんなことを書いてる始末でして・・・あっ間違えた岩瀬プレイじゃなくて”言わせ”だよクソまあいいや、岩のある瀬で波にバシバシしばかれてると思いねえ、どうでもいいやクソっつうかうんこ!でですね、何を言いたいかというと、お前らちゃんとそのプレイという意味の本質を分かっているのかと?苦しみの先にある本当の快楽はそんなに簡単に得られるものじゃないんだぞと、まあそういうことを訴えかけたいわけでしてもうね、話の方向性が明らかにアレなことはこの時点で気付いているんだけどもう遅いもう手後れ、突っ走るしかないというわけです、で快楽と言えば少し前にどっかのサイトで見たんですが合法ドラッグがどうのキノコがこうのと書いてた方を見かけましてね、ホントそういう文字をネットという形態で見たときはね情けなくてねこう涙がね。その程度かと。きさまの変態性はその程度かと。いやしくもサイト・マスターを名乗るものが快楽を得るために物質的なマテリアルに頼るとはと。悲しくなりましてね。っつうかサイト持ちっつうのはその時点で相当ヘンタイなわけですよ明らかに異常者なわけですよ、そういうヘンタイがテキストを書くことによる快楽の追求を極める前にそういう物質的なものに手をだすのはいかがなものかと思うわけですよ。でこの試みに至ったというわけです、純粋に文章を書き続けるという行為は果たしてエクスタシーに結びつくのか?という壮大な実験なんですよこれは!ハッキリ言いましょう。この時点で私のチンコ半分たってます。やっと12分だくそ。これをあと5回?そんなことを思うだけでね、こうね、興奮してくるわけですようんたぶん変態ですね私まちがいない、そしてこの文章を読んでるお前らも!というか休める時間が日本語の変換時間のみというのは一体全体どういうことですかね?「というか」とかいう形容詞?を使ってるときは私の思考がとまってるときです、間違いない。そしてお約束どおり当然セーブもしてないというわけでしてね。この時点でフリーズしたら私はこのマックをマジで叩き壊しますよ実際。いややらないな、ますますチンポを憤らせてやり直し!ヒィ!わ〜すっげ楽しいすっげx楽しいアギアギアギアギ同じ文字を繰り返すときほど楽な時間はないですね今至福を感じてますそしてその時間は終わりさらなる苦痛タイムが私の脳と両腕を容赦なくむしばみ、そしてそれは快楽の頂点へとつながっていくのです!おおおおいなる神の意志かな!ハレルヤ!ハレルヤ!さてネットの話に戻りましょう、少しコツが分かりかけてきましたよ、下らない文章を書いて時間かせぎをしている間に次のはなしの展開を考えればいいというわけですね、にゃるほど?でもその前に腕がむちゃくちゃダルいです。いつも使う「ン」もたぶん私使えてません。それでも打鍵は止まらないというわけでたぶん今の私ならエルメスのビット攻撃もキュベレイのサイコミュも楽勝でかわせますそして悲しいけどこれテキストなのよねとかそんなテンションで再びネットの話に舞い戻るわけですが、その前にね。ちと困った事態が発生いたしました。実はこの時点で20分経過なのですが、私ですね。私、この時点でにょうっつうかにょーつうか、つまり著しく放尿を欲しているというわけでしね。このままだとトイレの便器とか路上の電信柱とかそういったもの以外に尿を垂れるという極めて貴重な3度めの体験をまたまたさせていただくことになるのかなあと。ふと思いましてね。まあいいやあと40分だろ?持つだろそんなもん。ちなみに1回めは畳です、普通にもらした覚えがあります小学生の頃、で2回めはホモサピエンスのメスです。便器と勘違いして頭からブッカケたらしいのですが、まあこれは99年頃の過去ログにも書いてあるので興味ある人はそちらをお読みください。で3度めの危機が今!というわけです。そこにある危機。うわあ怖ええ、で、小便と言えば好きな人のソレを飲むことは可能か否か?という議論が私の周囲では常に行われているというわけでして結論から言うと軽々と可能と。ただ普通に「じゃあ飲んで?」「オッケー!」とかそんなテンションじゃ全然無理であくまで”状況”がそれを可能にする必要不可欠の要素であることはまだオナニーも覚えてない幼稚園児ですらわかっているロジックでして。というのは幼稚園時代に好きな女の子には小便をかけるという遊びが私の周りではやっていたからです。いやあコレは面白いですねえヒューマンにはそんな幼いときからすでにマーキング機能が普通に備わっているんですねえ、というかこれはアレか?幼いからこそ可能なのか?大きくなるにつれて忘れ去られていくこんなにも大事なこと我々は今振り返る必要があるのではないでしょうか。とするならば成長なんて全然ノーフューチャーですね。かえりたいのですあの頃に。本能のままに生きていけたあの頃に。ハイどこまできましたっけ?ああそうだ尿は互いに飲むことが可能というところまでか、これはマジです私すでに実験済みですから。ホント若い頃の本能だけで突っ走れるエネルギーってのはある意味すばらしく偉大でもありそして同時に恐ろしくおろかでもあるということは社会通念上において今さら言うまでもないお約束項目なんでしょうが、それを既に頭でも体でも理解しているこの私がこのようなサイト運営などというものに手を染めている時点で、つくづく人は学ばない生き物なんだなあと心底絶望的な気分にさせてくれるような若き日の過ちを思い出したところで、さらにそれを認めている時点で私の立ち位置はシャア・アズナブルより上というわけですね、あ〜すごいっと。ちなみにウンコは試してませんよウンコは。流石に想像しただけで駄目だったような気がしますが、この辺が私の人間としての器の小ささでしょうかね?何故に自らの想像の範疇で出来るか出来ないかを決めつけてしまったんでしょうかねまったく。そこから一歩先んじてこそ挑戦してこそ本当の進化じゃないか、たとえ出来ないにしても試してみることが重要じゃないのか?それこそ人間が人間たる由縁でありソレを放棄してしまった私はサル以下じゃないか!くそ今からでも遅くない今度こそは!と私思ったのですがよく考えたら相手がいませんな。たとえ相手がいたとしてもたぶん駄目でしょうね、発言した途端カラスの餌にされますね、これだから女は駄目なんですな、自分の常識で世界を構築しちゃうとこなんかもうミトコンドリア以下ですな、じゃあンなことホザいてる私は?といいますとこれがもうビックリ実はプラナリアでございまして、せめてハルキゲニアぐらいに進化して5億年後かなんかにバージェス頁岩で化石化しているところを発掘されたいものですなあ、まったく。ところで話がとんでもなくヤバい方向に向かっているような気がするのは私の気のせいでしょうか?こうやって書き続けているとどこまで書いていいかいけないのかという保護機能が軽々と失われますね。アレだバトラーはみんなコレやればいいんだ。いいわけとか論理性とか正統性とかそういった仮面のおくに隠れた本当に本当の自分が軽々とツラを覗かせますよ。で、覗いてみた私のツラはまごうことなき変態だったというわけです。凄まじくやりきれない。しっかしアレですね、学生時代はいわゆる文系分野の古文とか国文とかいう勉強がダイキライであげくに古文のテストで解答スペースに全部「をりはべり」と打ち込んで3点くらったうえにクラスメート全員の目の前で自己批判させられた私がこんなにも文字をかいているというのはこれはもう奇跡どころの話しではないですな。でここまで来たところで書くことが何一つ思い浮かかばなくなりました話おわる話おわる引き出しもうないなんもない、ここはちょっと時間をつうかアギアギアギアギアギアギアギあぎあぎあぎあぎあぎあぎあぎチーンで40分経過というわけですよやっと折り返し地点を過ぎました、ここまで読んでるヤツはおそらく誰一人としていないんじゃないでしょうか?だからこそ私はますます好き放題に書きまくれるという、わけですね。じゃあアレだ嫌いなサイトの話でもいたしましょうか。ただここで私が訴えかけたいことは「キラい」という感情は確実に時間とともに変化していくということです。例えば3か月前にダイッキライだったあのサイトは今やすっかり巡回先とかそんな感じでして、わりとキライだったサイトがすきになっていくことは私の中ではよくありがちです。でここでいうキライという言葉はサイトからにじみでる人間性うんぬんとかじゃなくて純粋に文章のスキキライ。だから俺アイツ嫌いとかいう脊髄法とシンプルにむすびつくわけではないということは強調しておきたいですね。だから単なる可哀想な人になってしまったソレそのものの取り扱いについてはとりあえず今後の後進の為の良きサンプルとしてホルマリンづけかなんかにして棚とかに飾っとくとわりといいんじゃないかなとかまあそんな感じですよ。で、結局のところじゃあどういう文章が肌にあわないのかと申しますとこれ最近だんだんわかってきました。つまりナルシスト系のとこがかなり駄目みたいです私。でもソレいっちゃったら全部のサイトを嫌いになるしかないんですが、そこはソレ、ホラ、アレは気持ちいいとかそんなテンションです、つまりそこが持てるナル魂の描写方法の違いなんですよ言いたいこととしては。この説明法でいくとすべてのサイトはいわゆる自虐への道を辿るしかなくて、実際文章表現の差はあれど全てのサイトはこの理由付けで説明が可能だったんですよ、あコレはいわゆる日常系とか思想系とかそんな前提のところに限った話です狭い領域でごめんいいや地球におけるアリの存在と全宇宙域における地球の存在を相対的Iに語ったところで意味ないしね。ところが最近この枠内にまったくおさまらないスーパーなサイトが見つかっちゃいまして。これは驚きでしたビックリでした。過度にそれを演出していることを差し引くにしてもどうやったら自我をここまで肥大させることが可能なのかとも言うべきヘルレイザーなモノ書きさんでして、正直なところ私が今一番閲覧してるのはそのサイトです。例えるならばYMOですよ。高橋さんこのドラム凄いですねえ「ええ!凄いです!」とかそんな感じですよ。まさかここも好きになったりするんだろうかというか既に自分にないものを確実に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