混沌の廃墟にて -272-

ネット独立主義

1998-01-18 (最終更新: 1998-1-20)

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 NIFTY SERVEのとあるフォーラムで、現在のフォーラムの運営に封建的、前近 代的な規範が通用しているという指摘があった。この話題に一口乗って発言を書 いたのだが、発言中に引用がいくつかあったので、念のため引用個所を含めてそ のまま転載してよいかと尋ねたら拒絶されてしまった。

 引用は著作権法によれば承諾を得る必要はなく、勝手に行っても合法である。 だから拒絶されたにせよ、引用してしまうという選択もあり得る。ではなぜ勝手 に引用しないかというと、承諾を尋ねてしまったからということもあるわけだが、 拒絶の理由に話題の紹介だけでも関係者に迷惑云々ということが指摘されていた のが気になったからだ。話題の紹介だけでも誰か迷惑するというのは結構壮絶な ことである。私のような臆病者だと、とてもそのような話題をネットに出すこと はできないので引用しただけで他人に迷惑になるような内容を公表しないで欲し いものだと思うのだが、人それぞれだから仕方無いのかもしれない。

 もちろん、その内容を紹介した場合に誰がどう迷惑するのかさっぱり理解でき なかったのだが、以下の文章で「私は迷惑だ」という人がいたら、今後のために 「どこがどういう理由で迷惑なのか」を教えていただければ幸いである。

 NIFTY SERVEのフォーラム程度の規模になれば、そこに書いたものはおおっぴ らに公開されたと看做すのが当然である。つまりそれが著作物であれば公表され たことになる。従って誰がどこに引用しても構わないような内容であるべきだ、 というのが個人的なポリシーである。しかし、最近見かけなくなったが、希に「 引用禁止」と主張する人もいる。

 法的には勝手に引用して構わないことを承知の上でなお、個人的な好みの問題 として「引用禁止」と主張するのなら、それは個人の思想の範疇の問題だから、 それはそれで別に構わないと思う。ただし、こちらとしては、そういう人とつき あっても不毛だと思っているから、基本的には「引用結構、転載も結構」という 人を相手にしたいと考えている。やりとりをWebで公開したり、他の会議室のネ タに使ったりできれば、いろいろバリエーションも増える。ネットという場を活 用したような気にもなれるし、そのような対話を優先した方が楽なのだ。

 しかし、とにかく引用は拒絶されたわけで、仕様が無いから手間をかけてちょ ろちょろと修正したのが以下の文章である。


 とにかく、こりゃ面白いテーマだと思った。というのは、私自信はフォーラム で封建的とか前近代的な規範が適用されるという光景を見た記憶がないのだ。も ちろん、現代的な規範なら結構通用していると思う。例えばゴネれば意見が通っ てしまうとか、根回ししてから発言するとか、…。「叩きなさい。そうすれば叩 かれます。」とか…。こういうのは現実社会が最も得意としている技であるが、 やはりネットという社会にも進出して来るのを誰も止められない。

 考えてみると、ネットから追放するという発想は、「島流し」の発想と似てい るような気もする。

 所謂パソコン通信が始まった頃、ネット民主主義という発想があった。今もあ るかもしれないが。私の知っている限られた狭い世界の中で、その傾向が特に顕 著だったのがアスキーネットである。今から思うと、アスキーネットでネット民 主主義を唱えた人達は、その理想や崇高さを誇りとしていたような気がする。悲 運は世界そのものが消滅したということだ。現実はシビアだ。

 NIFTY SERVEに対して「SYSOP独裁」という評価をする人がいる。これがどうも 個人的には理解できない。独裁だとか違うというレベルの話ではなく、どういう イメージで独裁と表現しているかよく分らないのである。私のイメージだと、独 裁というのは織田信長とかアドルフ・ヒトラーのように「おまえ死ね」と言った ら相手が殺されてしまうような、そういう状況を思い浮かべてしまうのだ。

 確かに、NIFTY SERVE会員規約においては、会員はSYSOPの独裁を形式的に容認 している。

 >  会員は、フォーラムでの発言等一切の行為について、当該 SYSOPの指示に従
 >  う他、当該フォーラム内の規則(以下ローカルルールといいます)がある場
 >  合はこれを遵守するものとします。
 (ニフティサーブ会員規約第31条(フォーラム及びステーション)の2.より 引用)

 SYSOPがアレしろコレしろと指示したら会員はアレしたりコレしないといけな い。出ていけと言われれば退会しないといけない、となれば、確かにこれは独裁 という解釈も可能だ。もちろん、契約といえども非常識なことは命令できないと いう常識が歯止めの役割を果たしているから、「その発言は不適切だから皇居の 回りを逆立ちで一周して反省してこい」と命じたSYSOPなど聞いたこともない。

 それに、私の場合はFPROGで何か話がややこしくなった時には、とりあえずニ フティに相談している。また、ニフティはそういうシステムでフォーラムを仕切 っている。だから、会員の皆さんからはSYSOP独裁に見えても、実はニフティの 指導べったりの傀儡政権、という状況もあるかもしれない。もっとも、会員から 見た場合は、それがSYSOPだろうがニフティだろうがどうでもいいのかもしれな いが。

 要するにNIFTY SERVEは民主団体ではないのである。今まではネットという社 会の持つ公共性を理由に「フォーラムは民主的であれ」とか、ネット民主主義と か、そのような意見が受け入れられる傾向があった。ところがインターネットの 普及という技術革命がこれを根底から覆そうとしている。

 NIFTY SERVEの昨年末実績で255万人の会員。実際に使っているのが半分として も100万人のオーダーというのは確かに大きなコミュニティである。もちろん、 「場」はここだけではない。BIGLOBEもあればPeopleもある。FPROGではこれをネ ット三国時代と表現して、AOLが統一に乗り出してきた、というノリのことを書 いたが、「NIFTY SERVEがなければ何も出来ない」というわけではないにしても、 大勢の前で主張できる場としての存在・影響力としては、NIFTY SERVEという場 はやはり特別な意味があったような気がする。


 ところが、ここ2、3年で世界が大きく変わった。WWWの普及である。インター ネットに個人ページや掲示板を簡単に作れるようになった。理論上は、NIFTY SERVEの会員をはるかに超える人に対して、意見を発表することができるように なった。この文章だって、WWWにも発表しているからNIFTY SERVEと無関係に読む ことができる。もちろん現に読む人がどうかというのは別の話だが。

 誰でも意見を発表できる場がどんどん増えると、NIFTY SERVEの中のフォーラ ム、すなわちたかが1商用ネットの中の1グループに公共性を持たせる必然性が希 薄になっていくだろう。

 fjを見ていると、この兆候を感じる。少し前は質問に対して「それならニフテ ィサーブの○○フォーラムにある」という回答が書かれることが割とあった。最 近はURLを紹介する回答が多くなったと思うのだ。NIFTY SERVEに行かないと困る、 というような状況は、どんどん消滅しているのである。

 こういう時代には、むしろ「フォーラム民主主義」などというのが前時代的な 発想のような気がするのだ。以前はTV放送局のような位置付けだったフォーラム が、今や町の喫茶店とかラーメン屋程度の意味合いしか持たなくなって来る。不 満なら他に選択の余地が山ほどある世界では、それぞれのプロモーターが意図し た内容のサービスをしていれば十分なのである。

 フォーラムに向かって運営スタンスが気に入らないというのは、ラーメン屋の オヤジに向かって「この店のメニューにワンタンメンがないのはけしからん」と 言っているようなものだ。

オヤジ「わしはワンタンは使わん主義だ」 客  「こんな民主的でないラーメン屋はいかん、オヤジ、引退しろ」    「そうだそうだ、こんな店は潰せ」

 そして客が提案に関して投票する…そんな光景は滅多に見られるものではない が、仮にあったとして、そんなパワーがあるのだったら、隣の店に行ってワンタ ンメンを注文した方が現実的じゃないのか?


 考えてみれば私の場合も「このSYSOPは気にいらねえ」と、ちゃぶ台ひっくり 返して退会したフォーラムがいくつかあった。NIFTY SERVEは最初からSYSOPが運 営するコミュニティだと思っていた。そこで、気に入らない時にどうするか。出 ていけばよい。当たり前の結論に到達するわけである。

 そうやってquitしたフォーラムもどんどん消えてしまって、残っている所は今 は一つしかないようである。形式的に現存していても、スタッフが入れ代わって 会議室も総入れ替え、という状況である。会員が見捨てたフォーラムはニフティ にとっても存在価値がないのだから、会員に「気に入らないから」といってquit させるような運営方針のフォーラムが続くというのはおかしいのである。今でこ そあまり聞かなくなったが、ニフティは儲からなくフォーラムの行く先には伝家 の宝刀「発展的解消」という必殺技を持っているのだ。

 一応念のため補足したいが、いくら商業ベースといっても、それこそ公共的役 割を考えて存続の意義があるとニフティ判断した場合には、そう簡単に消滅する ことはなかったと思う。


 ある人達は、ネットという社会は仮想現実の近未来的世界だと思っているよう だ。北斗の拳というマンガに出てくるようなあの世界である。そこは、特定の強 者が弱者から略奪し、好き勝手に暴虐三昧してこれではメロスも激怒するのでは ないか、というような無法地帯である。現実世界がそうだと大変だが、ネットは virtual worldとしてそのような形の存在を許されているのではないか。という ような空想をしてしまうのだろう。それってとってもサイバーだから、割と納得 できる空想である。

 しかし私の感触としては、むしろ逆なのである。

 ネットは虚構に満ち溢れた今現在のリアルワールドに比べて、はるかに現実的 で、あたりまえのことをすると当たり前になり、おかしなことをすると非難され、 規範を破ろうとすると糾弾される、マトモなあるべくして出来た社会だ。しかも ちょっと調子に乗ると訴訟に発展して5万円支払えという命令が出る程度の民事 事件が大々的に報道されるというオマケ付きである。ちゃんと現実の法規ともリ ンクしているのである。

 あくまで一般論だが、フォーラムでよくアレが気に入らないとかコレをああし ろとか、所謂運営上の問題に口を出し、しかもそれが拒否されると納得せず、SY SOPの横暴だ、独裁だ、というノリの人がいるのである。いる…と思うのだが、 そういえばFPROGでは見たことがないなあ? それはともかくとして、私見として は、別にそういうノリも構わないと思っているので、その点は誤解なきようお願 いする。それがいけないと言いたいわけではない。ただ、頭に入れておいて欲し いのは、それで何も変わらないという場合、大抵は、主張の方がおかしいという ことである。つまり、別にSYSOPの横暴でも独裁でもなくて、単にヘンなことを しろと言われるから「やだ」というだけの話かもしれないのだ。

 もちろん、本当に運営側がおかしい場合も何度かあったのだが、私の知る範囲 ではNIFTY SERVEに現在そのようなSYSOPは今は一人もいない。皆、辞めさせられ たから。

 つまり「SYSOPの横暴だ」と騒ぐ人の方がおかしければ、それで話はおしまい である。誰からも相手にされないだけだ。しかし、本当にSYSOPが横暴だと、逆 に「そうだそうだ」という発言が多数の会員から殺到し、事態は深刻化するもの である。

 もしかすると横暴なSYSOPは、誰の真似だか知らないが、会議室を閉鎖して都 合の悪いことを隠そうとするかもしれない。おっと、今ムカっと来たあなた、墓 穴を掘ってはいけませんぞ。今は「横暴なSYSOP」の一般論をしているのだ。誰 の真似って誰だって? そりゃ政府とか経営が破綻した大企業とか、いろいろと …。政府も企業もそんなことするから破綻するわけだな。話を戻すと、運営側が おかしい時は、1日に数十の発言が殺到するなんてことも珍しくない。そうなる とニフティもおかしいと気付くわけである。その後どうなるかはここに書くまで もないだろう。


 今どきフォーラムが独裁云々という発想そのものが時代錯誤、前時代的ではな いか。文句が言いたいだけであって、運営はどうでもいい、というのなら文句を 言うのも構わないが、文句を言うのが目的でないのなら、つまり、運営が気に入 らないのなら自分で作ってしまえばよいのだ。

 フォーラムが独裁というのはいかんというのなら、独裁でないフォーラムをそ の人が作ればいい。フォーラムは大変だというのならNIFTY SERVEのPATIOでもい い。Web pageで掲示板を公開するというのも、ラーメン屋というか、屋台という 感じがしていい。理屈としては、「ニフティの方針が不服なら自分でパソコン通 信サービス会社を作れば?」というのも一理あるかもしれない。しかし、いくら 何でもそれが非現実的なことには異論がないだろう。「NTTの料金が気に入らな いなら自分で電話会社を作れ」というのは無茶苦茶である。しかし、実際「フォー ラム作れ」というのは、そう無茶でもないと思うのだ。

 実際に作った人が言っているのだから、これはそういう点では確かである。た だ、とはいっても、本音としては「じゃあ自分でフォーラム作ったら?」という のはちょっと厳しいかもしれない。電話したら出前が来るという程度の簡単さで はないからだ。また、少し前までは、不文律かもしれないけど、NIFTY SERVEに 「1テーマ1フォーラム」という大原則があった。既にそのテーマのフォーラムが あったら新設できなかったのである。だからFPROGは「プログラムの話題」を扱 うのではなく「プログラマーが参加する場」としてプログラム以外の話題“も” 扱いますということで申請したのである。これが最近はそうでもないのだ。実際、 FPROGなんて情報処理技術者試験だとか、2000年問題だとか、扱っていたテーマ がどんどん他に持っていかれてしまってピンチの連続だった。もっとも、FPROG がなんでもアリ状態だったから、それも必然に違いないのだが。

 だから、もうちょっと気楽に考えた方がネットをエンジョイできるんじゃない かと思うのである。封建的とか独裁とかいうノリでなくって、独立、そう、独立 主義というのはどうでしょうか。賛同できる人が集まって独立した場を作る。支 持された場は発展し、そうでなければ廃れる。

 個人の判断に基づく競争原理というのは、最も民主的なプロセスの一つだ。も しネット民主主義というモノが本当にあるのだとすれば、そういう感じでネット を扱っていくのがこれからの指向ではないかと思う。


        COMPUTING AT CHAOS RUINS -272-
        1998-01-18 NIFTY SERVE FPROGORG mes(6)-229
        FPROG SYSOP / SDI00344   フィンローダ
        (C) Phinloda 1998