混沌の廃墟にて -241-

fjあれこれ

1995-12-31 (最終更新: 1996-03-16)

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 今年はインターネット元年とかいう噂もあったりするが、NG派、ML派の人は 「インターネットって何?」と言い返したい所だろう。世間ではインターネットと はWWWのことだという話になっているらしい。ま、細かいことはどうでもいい、と いう気もする。WWW自体は非常に強力なメディアになる素質を持っている。既にな っているのかもしれないが。Windows95みたいに、うわーっと騒いですぐに流行が 終わってしまう、ということがないよう祈りたい。
    *
春頃、fj.life.in-japanというngで、こんな投稿があった。
 >  MY FRIEND SUZUKI,  I LOST YOUR E-MAIL BY ACCIDENT.  I HOPE YOU SEE THIS SO
 >  THAT YOU CAN SEND IT AGAIN.  I AM SORRY...PLEASE SEND YOUR E-MAIL ADDRESS
 >  TO ME AGAIN AT
 >                                         kevin.hilley@mdtnbbs.com
 要するに「アドレスがわかんなくなっちゃった、そっちから連絡してくれ」と いうことだが、日本に鈴木さんがどれだけいるかということと、にもかかわらず、 Kevin Hilleyさんと電子メールで連絡していた鈴木さんは多分一人しかいないこ とを考えると実に面白いものである。

 外人には日本の名前事情が分かっていないらしい。上のような内容だと、全然 無関係の、単なる同姓の“鈴木”さんにメールがやってくるそうだ。日本に何人 鈴木さんがいるか分かっていないのである。アメリカで“Do you know my friend Tom?”と別人のTomさんに尋ねるのと同じだということが想像できないらしい。も しかすると、日本には人間が数万人程度しかいないと思っているのかもしれない。

 この手の投稿は、少なくともあと一件見かけた。今後も定常的にあると思う。

    *
 NIFTY-Serveから見えるインターネットは、メール、ニュースグループ、ftpな どだが、そのうちPC-VANのようにWWWも使えるようになるという噂で、アナウンス によれば来年早々サービス開始とのことである。私の場合、ニフティを待ってい られなかったので、現時点では他のプロバイダと契約している。他プロバイダだ と悪いということはないが、一応NIFTY-ServeでSYSOPなんだからNIFTY-Serveを使 うのが筋なのだが、まだそのサービスがないので、まぎれもなく「仕方無い」。 とりあえず、私の場合はWWWから情報を得るというのではなく、むしろ情報発信し たいという希望がある。それにしても話ばかりで全然具体化しないのは他のプロ ジェクトと同様である。

 少し前は、インターネットに接続すれば、全世界に情報が発信できますぞ、と プロバイダがこぞってアピールしていた。「ホームページが持てます。」少しも 間違ってない。事実である。しかし発信できるということと、実際に発信すると いうことは全然違う。「通信ソフトのプログラムをお手伝いできます」というの と、実際にプログラムを書いてくれるのとが違う程度に違う。

 お絵かきツールや音楽ツールを使えば絵を描いたり作曲したりできる、という のは正しい。しかし「このグラフィックソフトを使えば素晴らしい作品ができる」 と宣伝する時に、「もちろん貴方の才能が必要です」と注記するメーカーはいな い。実際はその人が使いこなせる能力があり、イマジネーションを持っているこ と。これが重要だ。インターネットも同じことで、情報を発信できるといっても、 発信する情報がなければ何も発信できない。当たり前のことだ。

 情報といっても、修行、勉強して身に付けなければならない才能が必要なわけ ではない。むしろ、アイデアが勝負だ。有名なWWWサーバーに、俗にコーヒーサー バーと呼ばれているものがあって、これは、ある大学(確かケンブリッジ大学だっ たと思う)のコーヒーサーバーの画像を見ることができる、というただそれだけの ものだ。このサーバーを起動した人は、他の場所にいる時にもコーヒーが切れた ことが分かれば早めに補充可能と考えたという噂なのだが。コーヒーが切れたら 世界中からメールが来るそうである。

    *
 NGの分割の議論は、昔からfjの華である。見ていて面白いのは、必ず「分ける とつかいにくくなるから嫌」という意見が出ることだ。例えば、fj.料理、という NGをfj.食い物、とfj.酒、に分けようとしたとする。今までは料理も酒もまぜこ ぜの状態で投稿されているわけだ。NGを分割すると、料理も酒も興味がある人は、 二つのNGを見ないといけないから、面倒、というのである。これに対して、片方 にしか興味のない人は、分けないと興味のないものまで読まないといけないから 面倒、というのである。

 ところで、分割反対の意見を見ていると、acの人や、あるいは企業から直接ア クセスしている人が多いようなのだ。私のように、直接自腹を切ってプロバイダ からアクセスしている人は少ない。なぜか? 想像してみよう。

 分割しなくていい、という意見は、根本に、見たくなければ読み飛ばせ、とい う発想がある。ここで欠落しているのは、見たくないかどうか、見るまで分から ないという事実である。仮にfj.食い物、とfj.酒、という二つのグループがある としたら、酒だけに興味があれば、fj.酒、だけを見れば済む。もっと具体的にい えば、fj.酒だけをフィードしてもらうような設定にしておけば、課金が少なくて 済むのである。全部フィードして読み飛ばす場合には、興味ないデータにまで課 金を払うことになる。

 企業や大学からアクセスする場合、その中に多数の利用者がいる。管理者は、 各人が読みたいニュースグループの和集合を、インターネットから受け取るよう に設定する。これらはスプールに蓄積され、最終的に読む人は多数のNGの情報の 中から、自分が読みたいものだけを選択するのである。従って、回線料金として 影響するのは、そのサイトが必要な全NGを受け取るまでで、それを各自に分配す る所はLAN内の通信で済むのである。企業や大学のように多数の利用者がいれば、 中には料理に興味のある人もいれば、酒だけに興味のある人もいるわけで、複数 の人が読むデータは一度だけ受信すればよく、無駄がない。

 ところが、個人でプロバイダに参加したり、NIFTY-ServeやPeople、その他のネ ットからニュースを見る場合、fj.酒だけで済むのと、fj.食い物を見て酒の話題 だけを見るのとでは、特に、食い物の話題はいらない人が大変だ。

 fj.rec.foodが分割されていない時点で、トラフィックを調べたという投稿があ った。これによると、酒の話題は全体の6.5%である。つまり、酒の話題だけ読み たい人は、6.5%の内容だけあればよいのに、93.5%の不要な記事もフィードされる ことになる。データの量は約15倍の差である。ということは、酒の話題だけ欲し い人は、NGが分割されていれば毎月100円で読めるはずのニュースに1500円払うこ とになる。

 このことを、acから利用している人達は、多分、全く想像していないのではな いか。つまり、「鈴木さんはいますか」と同じように、さまざまな環境があると いうことを発想でカバーできない現象ではないかと思うのである。インターネッ トは、確かに、この点では確かに広域ネットワークだと思う。それは一言で表現 すれば「井の中の蛙」の巨大な集合体なのだ。

    *
 最近は、企業や学校からではなく、個人でNGに参加する人が増えてきた。最近 fj.news.usageであった議論だが、
 >  (署名の中で)自分がどこそこの大学であると言いながら「これは個人の発言
 >  です」というなんて無責任です。
    From: moqueen@cisnet.or.jp (Masayuki Okamoto)
    Message-ID: <49r066$coq@ih1.cisnet.or.jp>
 という主張があった。これを見た瞬間、今まで数年NGを観察してきた経験から、 「企業や学校から投稿しても、それは個人としての意見であり、企業や学校とは 無関係だ」という反論が山のように出るのではないかと想像した。

 実際出た。

 その中ですごく面白いと思ったのは、個人的な発言なら署名から企業名等は外 すべきではないか、という意見に対して、

 >  とすると、signature に「bekkoame」とか「Nifty」とか書くのも
 >  同じことであると言えますが、そうなのですか?
    From: docile@ulis.ac.jp (yasushi -FEEL Mie- ikeda)
    Message-ID: <DJ09F9.273@ulis.ac.jp>
 という質問(反語?)である。

 なんだか、今までfjで「これだからNIFは…」だとか「パソコン通信の人は…」 のようにレッテルを貼ったの投稿を何度となく見てきたような気がするのだが、 あれは気のせいだったのかなあ。

 もちろん気のせいではなく、fjの参加者がダブルスタンダードを自ら適用して いることを暴露しているだけのことだ、おっとちがった。fjの参加者の中に、そ のような人がいる、ということだ。うっかり同じ穴のムジナになってしまう所だ った。fjの参加者なんてグループを勝手にまとめては駄目だな。

 とりあえず、社会的な傾向として、一部の行為が所属する団体そのものの判断 にすり変わることがあるという事実は「世間の常識」である。例えば、fjという 社会の中でさえ、NIFTY-Serveから、変な投稿(?)が多いと、「NIFTYは何をしてい るのだ」という叱咤が飛ぶのであることが(なぜかこの種の人達は、殆どの場合、 NIFTY-ServeとNIFTYとNIFの区別をしない)、これを証明している。

 しかし、NGという世界で書いている多くの人は、このような常識は通用しない のか、世間というものを知らないか、あるいは知らないふりをしているように見 える。にもかかわらず、NGを見ている人の中には、世間の常識に従っている人も いるだろう。例えばそのような人は、ある人の言動を参考に、「この大学の学生 は論理的能力がない奴が多いなあ、よし、次からは**卒の学生は採用しないこと にしよう」と考えるかもしれない。一般論としては、個人が全体を直ちに表すと は限らないが、サンプル調査としては、ある学校の学生が複数名類似の傾向を見 せた時、他の学生もそうである可能性が高くなることは否定できない。もちろん、 無関係かもしれないが。あくまで可能性はあるということである。たかがNG上の 一個人の発言といえども、それは所属団体の傾向を判断する材料としてリスク回 避の目的に使われるかもしれないのである。

 しかし、NGという特殊な場においては、そのような習慣を破壊させようと日夜 の努力をし続けてきたというのも事実だと思う。にもかかわらず、最近は、世間 的常識に染まった人達が多数参加するようになってきた。これが大変興味深いflame の火種になっているようだ。

 >  私がsignatureに「東京都目黒区」って書いてあったら、私の
 >  言葉は目黒区を代表することになってしまうんでしょうか?
 >  やだなあ、、、
    From: fujimoto@is.titech.ac.jp (Fujimoto Kou)
    Message-ID: <x2c20qm1nms.fsf@msc.is.titech.ac.jp>
 なると思うのだが。

 議論上は、「代表」という言葉の解釈が大問題である。これを一旦いいかげん なままで議論を進めると、この方とは全く無関係の架空の例として、ある人が× ×区在住という署名でどんどん不愉快な発言を大量生産したりしたら、中には 「ふーん、××区には、ろくな人間がいないな」と短絡的に考える人がいるかも しれないし、現にいそうだ。嫌いな人が住んでいる地域の人を全部嫌いになって しまう、というように思考が拡大されるメカニズムは、心理学方面が不勉強なの でよく分からないのだが、このように一部から全体を結論付ける判断は日常生活 で自然に見られるものだと思う。もちろん、これは論理的には誤っているが、確 率的には誤りとは断言できない。

 次のようなケースを考えてみよう。あるビルの中に、いわゆる悪い人がいる。 この人と目を合わせるといきなり殴る蹴るの攻撃をしてきて、身動きできなくな ったら持っている金目のものは全部取られて外に放りだされる。もちろん、この ビルの中の殆どの人は、ごく普通の善良な市民である。「このビルにはろくな人 がいない」という命題は事実に反するし、悪人がたまたまその中に希にいるに過 ぎない。

 さて、あなたは「このビルの8回に誰々さんというのがいるので、この金を届け てくれ」と頼まれた。行きますか。私は嫌だけど。「だって、あのビルは悪い奴 がいるじゃないか」「何を勝手なことを言っているんだ、あのビルにいる人全部 が悪い奴じゃない、特別な少数で全部を代表するようなことを言うな」「代表し ているのでは?」「してないぞ、断じて。個人のふるまいとビルの他の人とは関係 ない。」で、しぶしぶビルに金を届けに行ったあなたは半殺しになってビルから 放りだされ、届ける金も含めて有り金全部取られるのだ。

 確かに、目黒区の人は全て独立した個性だろう。しかし、ある目黒区の人が何 度も印象に残ることをしているのを刷り込まれると、「目黒区」ということだけ でその人のイメージが出るかもしれない。単なる条件反射だ。それは論理的には 間違っているかもしれないが、あるような気がする。

 もう一つの架空の例を。リスク回避とコストの話。

 A:「かなり致命的で危険な欠陥がありえる場合でも、保険でリスク回避した方
      がコストの点で有利なら、そのまま市販するのが企業の正しい選択である。
      」
  B:「だったら、10万分の1の確率でブレーキに欠陥が発生するような構造が分か
      っていても、万一の事故の時に保険金を払った方が得だと考えたら、その
      まま製造するのか?」
  A:「その欠陥を解決するために、保険金を払うより膨大なコストがかかるのな
      ら、やむを得ないじゃないか。」
  B:「ブレーキのような生命に直接関わるパーツは、100%の信頼性があるべきで
      はないのか。」
  A:「完璧な製品などというものは、有りえない。現に絶対事故を起こさないは
      ずの核施設が事故を起こしても世間は許しているではないか。」
 どんどんエスカレートしているが、議論としては、ありそうな話である。ない かもしれないが。さて、この主張をしたのが私なら別に何ということもない。単 なる論争で済むだれう。では、この議論をしている二人が仮に、
  A:○○自動車の技術部長
  B:××自動車の技術部長
 だったらどうか。あなたは○○自動車を買う度胸があるか? もちろん、この人 は「私の意見は個人的なものであり、企業とは何の関係もない」と主張している のである。書くのも面倒だが、私なら買わない。こんな思想の人が設計した自動 車に乗って事故になり、死んでから誰かに保険金が出ても、ちっとも面白くない。
    *
 もっとも、これがあらゆるNGで同様とは限らないようだ。fj.life.religionで は、統一教会(あえてこう書く)の人が「これは個人的意見だ」とどんなに述べて も、周囲の人はそう解釈しなかった。内容を見ると何ともいえない所である。あ くまで「そういうNGがある」と考えるべきかもしれない。
    COMPUTING AT CHAOS RUINS -241-
    1995-12-31, NIFTY-Serve FPROG mes(6)-125
    FPROG SYSOP / SDI00344   フィンローダ
    (C) Phinloda 1995, 1996