混沌の廃墟にて -234-

究極の選択 (2)

1995-07-16 (最終更新: 1996-03-15)

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 死刑が犯罪抑止力を持つというのは自明である。死刑というから話が混乱する のだ。「死」を考えてみれば、こんな単純な話はない。

 いま、何かしようとしている人をランダムに百人ほど選んでみたとする。そこ にあなたが現れ、銃を突きつけて「それをやったら殺すぞ」と言うと、どうなる か。

 ほとんど総ての人間にとって、「死」は極めて大きな行動抑止力を持っている。 つまり、自己の命を守るという命令は、極めて高い優先度を持っているというこ とだ。何かすれば死ぬ、という時には、よほど特殊な条件がない限り、まずそれ を回避しようとするのである。

 従って、上のような状況では、ほとんどの人は、とりあえずやろうとしている ことを止めるだろう。中にはブラフだと判断して強行する人もいるに違いないが、 そのような人達は死んでしまうから、結局生き残っているのは抑止力が働いた人 だけになる。:-)

 ここで、「何か」を重大犯罪、銃の代わりに「死刑」を当てはめてみればよい。 死刑に全く抑止力がない、というのは、銃を突きつけても一人も止めないという ことだ。そんなことがあるかどうか、考えるまでもない。

 死を避けるための行動は、場合によっては、他のあらゆるタブーを無効化して まで、それを実践しようとすることがある。例えば、法律というルールですら、 多くの人にとって、まさに生命の危機に直面した時には無力である。だから、ヤ ミ米を食べずに死んだという話が美談で残るのである。そして、また、自己の生 命を守るという行動は、場合によっては正当防衛、緊急避難という名目で、通常 なら違法であるべき場合であっても、合法として社会的に認められることがある。

 従って、犯罪者が「死刑」イコール自殺行為であると認識している限り、死刑 が適用される行為への抑止力を持っていることは、極めて自明なことで、全く説 明の必要がない。死刑廃止を主張する人が「死刑は生命を奪う結果になる点で他 の刑罰とは違い取り返しがつかない」と強調しながら、かつ「死刑に他の刑罰と は異なる抑止力があるとは思えない」と述べるのを見ると、ギャグを通り越して 「烏は死ぬと消える」に近い論理を感じてしまうのは私だけなのだろうか。

 こう主張すると、面白いことに、「でも死刑になる犯罪者が後をたたないでは ないか、それは死刑に犯罪抑止力がない証明ではないか」とか主張する人がいる のだ。抑止力は根絶力ではない。重大犯罪がなくならないのは、その点では当た り前である。

 まず、少なくとも、その犯罪が死刑になることを知らなければ、死刑の存在は その人にとって何の抑止力にもなり得ない。加賀乙彦著、「死刑囚の記録」によ れば、実際に死刑を宣告された犯罪者の大部分が、犯罪時に死刑を意識していな かったという調査結果が出ている。これは即ち「犯罪者が死刑を意識していない 場合に限って、死刑が適用されるような行動をするとみなしてよい」という事実 を示している。死刑があっても、その可能性を自覚していなければ、やはり犯罪 は起きるのだ。逆に、この調査から、犯罪前に「これをやったら死刑になるかも しれない」と一瞬でも思ったら、遂行には至らなかったのだ、ということが推測 できる。実行すれば自分も死ぬかもしれないと事前に考える。よって躊躇する。 自明の成り行きと言えよう。

 次に、実際に多いと思われるのが、衝動殺人のような突発的犯罪である。かっ となったり、興奮して自分を見失って、思ってもいない犯罪に至るのである。一 時的に、自分が何をやっているかわからない状態になるのだ。このケースにおい ても死刑の抑止力は消滅する。ハイな気分のまま、人を殺してしまって、直後に ハッと目がさめて、なんてことをしたのだ、と驚愕することになる。「死刑囚の 記録」によれば、犯罪直前にそれを想定した人は、一人もいなかったのに、約二 割の人が、犯罪直後に「死刑になるかもしれない」と思ったという。

    *
 究極の選択という話がある。とはいってもカレー味の…というアレではなく、 一人乗りの救命ボートと二人の遭難者、の方である。つまり、生命が絡んだ選択 ということになる。例えばあなたが「ここにサリンがあるので地下鉄に捨ててこ い。言う通りにしないとポアするぞ」と言われたとする。サリンを撒くのが何の 罪になるか全然分からない場合は問題外だ。拒否すると死ぬのだから、その通り 実行するしかない。問題は、サリンを撒いて逮捕されると死刑になることを知っ ている場合である。つまり、実行してもしなくても死ぬ危険があるなら、どちら を選択するか。

 死刑の意味があると思われるのは、このようなケースである。つまり、逮捕さ れると無期懲役※だというのと死刑だというのとでは、実行に対する抵抗感がか なり違うのではないか。「やらなければ殺される」という前提条件があるとする。 逮捕されれば死刑だと知っていれば、やらなければ死ぬが、逮捕されても死ぬの であるから、それらは相殺される。後は、逮捕されない確率と、モラル、ルール をどう評価するかという点が重要になってくる。死刑がなければ、とりあえずサ リンを撒けば、逮捕されようとされまいと死なずに済むことが確定するので、か なり有利な選択となる。

※日本では、無期懲役でも十年ほど模範囚でいれば仮釈放になり市民生活に復 帰できる。これは、死刑の是非を論じる上での大きなポイントになっている。 実際、殺人で懲役に服した後に仮釈放された犯罪者がまた殺人を犯して、二 回目の殺人で死刑になった例がある。最初の殺人の判決が死刑だったら何の 罪もない人が死なずに済んだのに、という例は現にあるのである。
 冗談半分の話だが、死刑に犯罪抑止力があることを簡単に証明するには、例え ば微罪を死刑にしてみればよい。私は、その犯罪が激減する方に全財産かけても いい…と思ったが、考えてみれば全財産を計算すると借金の方が多いので賭けに ならないようだ。それはともかく、例えば、キセルは死刑にするとか、万引きは 死刑とすれば、このような犯罪は減るはずである。スピード違反を死刑にすれば、 スピードの出し過ぎが原因の交通事故は減るだろう。駐車違反をする人は、見つ からなければラッキーだし、失敗しても反則金程度ならしょうがない、という計 算をした上で、わざと違反するのである。駐車違反が死刑なら、見つかった時の リスクが強烈だから駐車違反は減るだろう。そうだ、著作権侵害も、死刑にして はどうか。違法コピーに頭を悩ませているソフトウェア業界にとって朗報になる のではないか。(^^)

 著作権法第百十九条

  次の各号のいずれかに該当する者は死刑に処する。

  一 著作者人格権、著作権、出版権又は著作隣接権を侵害した者。

 こうすればネットでの著作権バトルも盛り上がる。なにしろ、勝手に他人の発 言を転載したら死刑になるかもしれないのだ。スリル満点である。
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 極端な死刑廃止論者の中には「死刑には特別な犯罪抑止力がないのが通説だ」 と主張する人がいるらしい。もう少し慎重な人だと「死刑に特別な犯罪抑止力が あるかどうかは分からない」と主張する。もちろん、死刑の犯罪抑止力を認めた 上で、かつ死刑廃止の方がよいと言う人もいる。

 ところが、実はこれは通説ではないようだ。例えば、小田晋氏は「人はなぜ犯 罪をおかすのか」で次のように述べている。

 >   アメリカの犯罪研究者であるS.スタックは、多くの社会科学者が主張する
 >  、死刑に犯罪抑制効果はないという考えに対立して、死刑執行が公表された
 >  場合、それは強い殺人抑制力を持つと論じました(一九八七年)。
 死刑が特別な抑止力を持つことは、単純に考えれば既に述べたように自明であ る。にもかかわらず、現実はこのような単純な論理が簡単に無視されるという、 どう考えても不自然な状況にあるのである。要するに、同書のp.232にあるように、
 >   じつは、ニューヨーク州立大学のE・エーリックが一九七五年、死刑が自
 >  由刑に比して殺人に対する抑止力がより大きいと論じて以来、これに対する
 >  賛否両論の論文が多数発表されたのです。死刑反対論者は、エーリック論文
 >  を批判する論文だけを紹介しています。
 という状況ではないかと思う。つまり、学問としても、死刑の犯罪抑止力につ いては結論が出ていない状況なのだが、死刑廃止を主張する人達は、自説に都合 のよいものだけ賛同して反論を無視するという不公平な判断をする傾向があるの ではないかと思われる。死刑廃止派には「生命は何物にも代えられない」という 極めて説得力のある理由があるのだから、もう少し合理的な論旨を主張した方が よいと思うのだが。

 典型的な例として、死刑に犯罪抑止力のないという主張の根拠の「突発的犯罪 者は死刑によって防ぐことができないし、確信犯は死刑を恐れない。従って、死 刑には犯罪抑止力はない」という下らない論拠がある。この論理は「死刑がある ので犯罪を思いとどまる」という人の存在を最初から意図的に無視して、その他 の人には死刑の抑止力がないから、あらゆる人に対しても死刑の抑止力はない、 と拡大解釈しているのだ。こんな低レベルの論法だとNIFTY-Serveの電子会議なら、 勝負以前の問題で、誰も相手してくれないだろう。

(つづく)


    COMPUTING AT CHAOS RUINS -234-
    1995-07-16, NIFTY-Serve FPROG mes(6)-091
    FPROG SYSOP / SDI00344   フィンローダ
    (C) Phinloda 1995, 1996