混沌の廃墟にて -219-

安易な実名発言は無責任ではないか (2)

1994-06-30 (最終更新: 1996-07-07)

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 ネットが大規模になると、似た名前の人は増える。従って、人違いのような事 故が起きる確率は高くなる。自分が全く言った覚えのないことが、いつの間にか 言ったことになっている、そんなことがあるかもしれないのだ。しかも、ネット は世界規模である。あっという間に至る所にそれが伝わることも考えておくべき だ。

 ネットが大規模になった結果の大きな変化の一つは、極めて多くの“ふつう” の人が見る機会を得るようになった、ということである。ネットの黎明期は参加 者が少なかった。ネットワーカーはマニアックなごく一部の人達によって占めら れていたのである。ネット人口が数十〜数百万人の規模になってくると、思いも 寄らぬ人達がそれを読んでいることになる。フォーラムの電子会議を見ていると、 実際に参加しているのはほんの数十名であるような感じがするかもしれない。発 言者もそのつもりで書いているのだろうか。それは危険な考え方である。実際は 何千、何万という人が読んでいるのである。数十人で会話しているだけだと思っ ていると、とんでもないことになりかねない。内輪話で書いたつもりのことなの に、近所の人達も会社の同僚も皆それを読んでいた、なんてことがあるかもしれ ない。

 氏名というのは、それが重複していないことが保証される場合のみ、個人を限 定するのに十分な役割を果たす。そのためには、まず比較的小さな社会の中で使 われるという条件が必要である。また、今でも、村のような同族が多い社会では、 同姓の人達が多数存在することがある。このような場合、姓は識別の役目を果た せないので、屋号のような別のコードを用いるのである。しかし、このような社 会は特別な集団と考えられる。一般論としては、小さな規模の集団においては氏 名というのは識別の役割を十分果たすことが多い。

 ところが、少し規模が大きくなると、姓だけでは不十分である。佐藤、鈴木と いった、同姓の人口が多い姓は、ある学校の生徒だとか、大きな会社の社員とい う集団の中では不十分な識別子になってしまう。この場合も、名まで特定すれば 個人は特定できることが多いし、大雑把に個人を絞るという意味では姓はそれな りの役割を果たしている。

 では、会員数65万人のネットでも、同じように考えてよいのだろうか? ネッ トが大規模になったことを考えるということは、それをもう一度考えてみるとい うことだ。(*1)

 NIFTY-Serveには会員検索機能がある(*2)。例えば鈴木さんが何人いるか、調べる気 になれば調べることはできる。実は私は実際にやってみた。皆さんは実際に調べ ない方がいい。何千人の鈴木さんのリストを目の前にして呆然とするだけだ。正 確にいえば、94/5/22現在、会員情報を公開している鈴木さんは5193名いる。もち ろん、これだけ多人数だと、完全に同姓同名の方も大勢いるのだ。しかも、地域 まで一致してしまい、公開されている会員情報だけでは全く区別できない人がい るのだ。ある名前の鈴木さんは、同じ地域に会員情報を公開しているだけでも5 人もいた。会員情報が非公開の人も加えると、もっと数は増えるだろう。そして、 NIFTY-Serveの会員がこれから百万人、それ以上になれば、同姓同名の人達もどん どん増えるのである。

 ネットのような大規模なコミュニティにおいては、氏名という情報は個人を特 定するためには不十分なのだ。極端な場合だが、日本の全ての人がネットに参加 した状況を考えてみればよい。例えば、私は中村明というお名前の、非常に有名な 人を少なくとも三名知っている。お名前だけではそれが誰なのかは区別できない。 氏名というのは、限られた社会の中でのみ、個人を特定するという効果を持つの だ。もちろん、氏名によっては、日本にただ一人、という場合もあるだろう。こ のような人は氏名だけで完全に特定できる。しかし、ありふれた名前になればな るほど、情報は希薄なものになるのだ。

 あくまで私の個人的な意見だが、ネットがこのような大規模な社会になった以 上、実名だけで発言するというのは、仮名で発言するよりも、さらに無責任なこ とだと思うのである。というのは、先程書いたフィクションのような事件が、い つ起きるか分からないからだ。

 もはやネットは実名だけでは誰だか特定できない規模になっているのだ。しか し、ネットの参加者の多くは、そのことにまだ無頓着だと思われる。ネットのよ うな大規模な広場に一同が会するといった経験は、殆どの人が初めて体験する世 界である。だから、そのことに気付かずに、いつもの社会集団の規模で物事を考 えてしまう危険がある。

 これに対して、ハンドルは二つの意味で有益である。まず、個人を特定する機 能となること。同じ電子会議で同じハンドルの人が複数いるというこはまず有り 得ない。後から参加した人が、たまたま先にいた人と同じハンドルを使ってしま うことがある。私の経験では、もしそうなったら、どちらかが改名する場合が殆 どである。異なるIDで多数の人が同じハンドルで発言していて、しかもお互いの 発言者がそれを承知しているという異様な事態は、私の知る限り、NIFTY-Serveの FSHISOでしか見たことがない。もっとも、これは非常に特殊な例だし、意図的に そうした理由があるわけで、一般化することはできない。

 もう一つは、現実離れしたハンドルを使うことによって、実社会との間に壁を 作ることができること。つまり、そのハンドルと同じ実名の人間が世の中に存在 しなければ、発言の結果は実在のいかなる人にも迷惑をかける危険はない。

 タレント等の有名人の名前を借用してハンドルにする人がいて、SYSOPやスタッ フから注意を受けていた。この場合、そのタレント本人と誤解する人がいるかも しれない。本人も迷惑するし、誤解した人も困る。しかし、もしたまたま同じ実 名の人だったとしたら、どうすればよいだろうか。また、相手が有名でなければ、 名前が重なっても構わないものだろうか。ハンドルは実名とは違って、自分の意 志で自由に決めたり変えることができる。実名は、衝突したからといって、簡単 に変えることはできない。

    *
 もはや、実名併記=責任ある発言、というのは幻想だ。実名はハンドルより無 責任である。もし個人を特定できるという意味で実名発言するのなら、完全に個 人が特定できる情報を付記していただきたい。例えば、住所や電話番号を併記し たり、勤務先を書いて、完全に誰であるかを特定できるようにするなら、それが 責任ある発言だという考え方があることは認めてもよい。ただし、私はそれでさ え同意は致しかねる。違う意見があることを認めるのと、同意することとは、別 の問題である。私の考える「責任ある発言」とは、あくまでその内容に基づくも のなのだ。

 IDがあるから個人が特定できるという反論は却下させていただく。それはハン ドルで発言している人と同じなのだから。

 ただし、念を押しておくが、本当に実行するのなら、よくよく十分考えた上で 実行していただきたい。フィクションの「山田さんの悲劇」の中では、住所や電 話番号を書くと、無言電話、白紙FAXが送られてきたり、申し込んでいない品物が 届いたり…、ということを書いているが、私もかなり前の話だが無言電話で迷惑 したことがある。これはたまらないものである。実際に無言電話をかける人がい る以上、これはフィクションではなくて実際に有り得ることなのだ。新聞記事を 見ていただきたい。ほんのつまらない喧嘩から人を殺すような人さえも世の中に はいるのである。もちろん、それはごく少数であり、ほとんどの人は平和な毎日 を暮している。普段付き合いのある町内、学校の友人、同じ会社の人といったグ ループの中では「悪い人はいない」と言い切ってもよいのかもしれない。しかし、 大規模なネットの中にそのような人が一人もいないとあなたは信じることができ るか。

 もう一度念を押しておく。「フィンローダがそういうのなら住所と電話番号を 公開しましょう」という人がもしいるなら、そのことをよく考えてから実行して 欲しい。また、私はそれに関してどのようなトラブルが起きたとしても、一切の 責任は負わないから、皆さんご自分の責任において判断していただきたい。(*3)


補足

(*1) 1996年5月末のNIFTY-Serve会員数は177万人と発表されている。

(*2) 現在は「鈴木」という条件だけでは検索できない。不特定多数へのメールを 送るリストを作成されたりしないための防御策かもしれないが、個人的に、ある 人のIDを検索しようとして挫折したことがある。あまりに制限が多くなって、役 に立たないサービスになってしまった。クラッカーは笑っているに違いない。

(*3) fjの投稿を見ていると、電話、FAX番号を書いてあるものは多数ある。いた ずら電話や白紙FAX攻撃を受けたという話は聞いたことがない。なぜだろう?


    COMPUTING AT CHAOS RUINS -219-
    1994-06-30, NIFTY-Serve FPROG mes(6)-007
    FPROG SYSOP / SDI00344   フィンローダ
    (C) Phinloda 1994, 1996