混沌の廃墟にて -218-

安易な実名発言は無責任ではないか (1)

1994-06-30 (最終更新: 1996-07-04)

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 また「実名論争」が盛んである。きっかけはONLINE TODAY JAPANに掲載された コラムである。FOLTJではコラムを書いた武井さんも参加して盛んな議論が行なわ れている。私はFOLTJは随分前から入会しているし何度か発言しているが、今回の 議論には参加する気がない。

 >  本名で参加できないネットワークなんて、贋物だ。本名で、胸を張って議論
 >  できないような意見には、耳を傾ける価値はない。
    (武井一巳、"What's your name?", ONLINE TODAY JAPAN June.1944, p.18)
 とはっきり書いている人が議論している所にわざわざハンドルで出て行って意 見を書いても「耳を傾けられもしない」結果になるのがオチだと思うからである。

 実名派の主張は昔から一貫して変わっていない。実名の書かれていない発言は 無責任だというのだ。さらに、なぜ無責任なのか説明を問うと、答がはっきりし ないという特徴がある。その理由は簡単で、説明が難しいからである。例えば、 実名が明記されておりかつ内容が無責任な発言はいくらでもある。その意味では、 実名が書かれていようがいまいが、責任とは何の関係もない。ただし、実名を出 すことが責任だという主張をする人もいる。それが定義だと言われては反論不可 能だが。

 ネットに参加する人が増加したことによって、ネットも変質しつつある。この ことは既に多くの人が指摘していることだ。この変化に注目し、もう一度実名問 題を考えてみようではないか、という人もいる。しかし、それではネットという 社会が大きくなったためにどのような特徴が現われ、どのような問題が新たに生 まれ、どうやって解決することができるか、と具体的に検討した意見はあまり見 掛けない。ネットの大規模化がどのような問題を産み出すのか。これは重大な問 題である。

    *
 山田太郎氏は、あるオーディオメーカーX社に勤務しているやり手の営業マン である。山田氏は実はP社の車の大ファンである。レースになると必ずP社のチー ムを応援するし、休日にはP社の車をころがしている。ところが、因縁とは恐ろ しいもので、X社はP社のライバル会社であるF社の主取引先なのだ。F社のカー オーディオ製品は殆どX社が提供しているのだ。だから、P社のファンだという ことは、極秘である。ばれると、裏切り者にされてしまいかねない。アメリカな らプライベートという概念がはっきりしているから、F社の社員が個人的にP社 を応援しても構わないかもしれないが、日本ではそんなことをすると義理を欠く ものとされてしまうのだ。:-) (*1)

 ネットにはハンドルで参加するという慣習がある。山田氏はこれに注目した。 どの企業の誰という立場でなく、完璧に社会の関係から独立した一個人として発 言できるのだ。X社員という立場の人間が取引先のライバル会社を応援するから 問題になるのである。一個人がP社を応援したとしても、誰にも迷惑がかかるわ けでもないし、だいいちP社の車のファンは大勢いるのだ。全て丸くおさまる。

 だが、山田氏は結局、車の話題については一切沈黙することにしたのである。 ハンドルで書いたにしても、自分がF社の社員であるという事実は変わらない。 そのことは自分自身がよく知っている。ハンドルという隠れ蓑を使って、得意先 のライバル会社の車を応援をすることが、どうしても、いま一つよい気がしなか ったからだ。

 さて、これで何も問題はないはずだったのだが…

 レースの話題が盛んに出るフォーラムで、痛烈な発言があった。あるレースで F社がとった行動が、非常に汚いやり方であり、レース精神にあるまじきものだ という、実に批判的な内容である。読み方によっては罵倒と言われても仕方ない ような表現であった。それだけならよくある出来事である。ただ、この発言を書 いた人は、山田太郎という名前だった。

 山田氏はたまたまこの会議を暫く見ていなかったため、このことを知らなかっ た。知ったのは、後日、上司から厳重な注意を受けたからである。「山田君、き みはネットでF社のことを罵倒しているそうだが、F社はそれを見て、うちとは 取引しかねるので今期限りで取引を止めると言って来たよ。一体どう責任を取る のかね?」

 F社の営業担当者が、ちょうどその発言を見ていたのである。しかも、この担 当者は、山田氏がこのネットに入っており、いつもはこの会議を見ていることを 知っていたのである。だから、発言者が山田氏だと考えたのは不思議なことでは ない。だから会議で「もしかしたら、これはX社の山田さんじゃないかなあ」程 度の瞹昧なことをうっかり言ったのである。ただ、営業部長はこれを「X社の社 員がネットでF社を罵倒している」と受取ったのだ。これが悲劇の始まり。

 「あの、何の話か分かりませんが、私には全然身に覚えがないのですが…」 「でも、F社の担当はちゃんと証拠を持ってきたのだ。」手渡されたのは電子会 議のログである。確かに山田太郎という人物がF社を強烈な批判している発言だ。 「しかし、これは私ではないですよ、同姓同名の別人ですよ。…いや、もしかし たらライバル会社の誰かがうちの取引を潰そうとして工作したのかもしれない。」 「何言っているんだね、そんなスパイ小説みたいなことがあるかね、まあ分かっ た、百歩譲って、これが仮に君が書いたのではないとしよう。でもこうやって氏 名の欄に山田太郎って書いてあるだろ。これが君でないことが証明できるかね?」

 話が大混乱するので、X社の山田氏を山田X、もう一人の山田氏を山田Yと書 くことにする。山田Xはすぐに山田Yにメールを書いた。実はこれこれこういう 訳で大変なことになった。あなたが山田Xでないことを証明していただけないか。 山田Yはもちろん山田Xを陥れるつもりは全くない。できることはしたいという 返事だ。しかし、勤務先や住所を教えるのは勘弁して欲しい。会議室をご覧なら 想像できると思うが、熱狂的に支持する人もいるが、猛烈な反論で攻撃してくる 人もいる。脅迫めいたメールも何通も送られて来ましたよ。これで勤務先や住所 を公開したらどんな結果になることか。あなたも、無言電話や白紙FAXが送ら れて来たり、夜中に頼んでもいないピザが届けられたり、通信販売の品物が届い たりすることになるのは嫌でしょう?」

 とりあえず、山田Yは同じ電子会議の発言で、どうやら同姓同名の山田氏がと ばっちりを受けているようだが、私はX社とは何の関係もない、と書いた。しか し、既に書いた発言の内容が過激すぎた。ではどんな仕事なのかというコメント が付いたが、それは教えられないと回答したのもまずかった。F社はこれを信用 しなかったのである。もっとも、既に他のオーディオメーカーとの契約が進んで いて、そちらの条件が有利だったとか、いろいろ他にも原因はあったのだが…結 局、山田Yが山田Xと別人であるという証拠は何もないのである。山田Xはネッ トを運営している会社に、事情を説明して、このIDの持ち主の住所や勤務先を教 えてくれと頼んだが、それは法律によって禁止されていると取り合ってくれない。 では、私と同一人物でないことの証明ならどうかと妥協してみたが、検討してみ るという返事があっただけである。(*2)

 結局、山田Xは表向きは処分を受けなかったが、営業部から異動になり、社内 の居心地は極めて悪くなった。社長からは「今後一切ネットには参加しないよう に」と厳重に注意された。もちろん山田X氏は会社には「止めた」といいつつ今 もネットに参加している。絶対に実名を出さないようにして。

    *
 これはフィクションである。しかし、このような悲劇が起きない保証は全くな い。いや、そのうち必ず起きるだろうと言っても過言ではないし、既に起きてい るかもしれないのである。なぜなら、人違いは、現に実際にネットで起きている のである。私もそれを見た経験が何度かあるのだ。中には、同姓同名でない場合、 すなわち似た名前の人と間違えたというケースすらあった。後はその結果がどう 出るかというだけの話なのである。(*3)

このストーリーは実在の団体、人物とは一切関係ありません。 (つづく)


補足

(*1) 最近、FPROGの会議室「VOP」で話題になったが、ビールの銘柄にも気を遣わないといけないらしい。

(*2) 「同一人物でない」ことの証明を運営側に求めたという例は、まだないと思われる。登録住所が異なるという証明なら、出してもいいかもしれない。いずれにしても、結果としてはあくまで参考にしかならないのだが。

(*3) 同姓異名なのに人違い、というのは割とよくある。fjでも何度か見かけた。もっとすごいのは、全く違う名前なのに「おまえ、同一人物だろう」というのがある。しかも、別人と分かって勘違いした側が謝罪した、という事件も実際にあったが、こういうのは一体どう解釈すればよいのだろうか。


    COMPUTING AT CHAOS RUINS -218-
    1994-06-30, NIFTY-Serve FPROG mes(6)-006
    FPROG SYSOP / SDI00344   フィンローダ
    (C) Phinloda 1994, 1996