混沌の廃墟にて -215-

親指シフトはタッチタイプできないという妙な結論(2)

1994-03-06 (最終更新: 1996-04-15)

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 私の質問に対するコメントは3つの部分に分かれており、原文には数字がふって ある。まず最初から難しいことが書かれている。
 >  1.カナ入力の方がローマ字入力より遅いこと
    (FKBOARD MES(2) 054、PDG00555  神田 泰典さんの発言より引用)
 つまり、カナ入力の方がローマ字入力より遅い、というのだ。

 これについて、検証のための資料を紹介してくださった。まず、1977〜8年頃に 見た何かの雑誌だそうである。何かの雑誌では分からないのだが、残念ながら見 つからないとのことだ。どなたか御存じの方がいらっしゃれば、教えていただけ れば幸いである。もう一つ紹介していただいたのは、次の資料で、学術的には信 頼できると思われる。

 >  「タッチ打鍵法による日本文入力法の研究」田中二郎 山田尚勇 1978年7月
 >   東京大学理学部情報科学科 TECHNICAL REPORT 78-01  の中に引用されて
 >   いる数字です。

 > 龍岡 博(1962)  カナ 150文字/分   ローマ字  160 180文字 /分
 >      ことばと文字の交差点 On-typeとは何か 実務と用字 PP4-7  1962年4月

 > 佐伯 功介(1961)カナ 120文字/分   ローマ字  160         /分
 >      国字論抜粋  日本ローマ字会  36pp  (1961)

 >              (文字数は漢字かなまじり文に換算して)
    (同発言より引用)
 さて、1961〜2年というと、今から30年以上も前の調査である。当時の環境は、 現在のワープロで入力する環境と、どれだけ共通性を持っていただろうか。パソ コンもワープロもその前兆すらなかった時代である。いずれにしても、確かにこ の数字は、カナ入力よりローマ字入力の方が速いことを示しているようだ。数字 が漢字かな混じり文に換算した値であるが、これに対する神田氏の考察結果も引 用させていただく。
 >  カナ入力とローマ字入力が漢字かなまじり文換算で仮に同じ速度としてもカ
 >  ナ入力のタッチ数が1.6倍位遅いということになります。(これはタッチタイ
 >  ンピング出来ないということではなく、入力速度が遅いということを言って
 >  いるだけですが)
    (同発言より引用)
 ローマ字入力の場合、キーを押す数はカナ入力の約1.6倍程度であるというのだ が、この数字は日本語の文字出現頻度を使って、「あいうえお」はそれぞれ1、 「かきくけこ…」は「KA KI KU KE KO」だからそれぞれ2タッチ、のように全カナ 文字について数え、出現確率を掛けて期待値を求めれば検証できる。

 ところで、私は「カナ入力とローマ字入力はどちらが速いか」などという質問 はした覚えはないのである。従って、ここで私は「カナ入力の方がローマ字入力 より遅い」というのは何を示すための主張なのかを考えるべきである。ところが、 これが未だに分からない。少なくとも「タッチタイピング出来ない理由」ではな いことは明白だ。本人自らそう書かれているのだから間違いない。では何を示す のが目的なのかだが、残念ながら全く想像できないため、この疑問は永久未解決 問題として保留することにした。

 余談だが、よくネットで見る光景として、訳のわからない質疑応答が延々と繰 り返され、あげくの果てが双方分かってない、という結末になることがある。理 解しようという努力は素晴らしい。しかし人間の理解できる範囲には限度がある のだ。全てを理解しようとしても、それは無理である。人生に無限の時間があれ ばよいが、そうでなければ、分からないまま放置しておいた方がよいこともある はずだ。すると、何かちょっとしたきっかけで、今まで分からなかったことが理 解できることもあるのだ。(*1)

    *
 ここでは、発言の意図よりも、「カナよりローマ字の方が速く入力できる」と いう主張そのものの方が重要である。この主張を読んで「なるほど」という感想 で終われば話は簡単だが、後で述べるように、コメントが他ならぬ神田氏からな されたという事実が、あまりにも重要な意味を持つ。

 さらにもう一つの違和感があった。私自身、最初はタイプライターでアルファ ベットを入力することを覚えていたので、まずローマ字入力方式を使っていた頃 があった。その後JISカナでタッチタイプするようになった。このような経歴を持 っているので、ローマ字とカナ入力のどちらが速いかという質問をされれば、即 答できる。カナの方が速い。

 なぜか。実感としては、やはりタッチ数の差だと思う。ローマ字の方が1.6倍キー タッチが多いということを思い出してほしい。指が同じ速度で運動すると仮定す れば、この差は最終的な速度差に大きく影響する(ただし、JIS仮名の場合には、 一番上の段のキーを押す時に若干遅れが発生するので、ちょうど1.6倍になるわけ ではない)。とにかく、上の実験ではカナ入力の方がローマ字入力より遅いという 結果が出ている。この差は何なのだろうか。また疑問が増えてしまったのである。

私の経験では、カナ入力はローマ字より速くタイプできるのに、ある実験で は逆の結果が出ているのはなぜか?
 この疑問に対する根拠ある回答は見つからない。誰か教えて欲しい。根拠のな い想像ならできる。例えば。

    *
 「ある実験」と書いたのに気付いていただけただろうか。カナ入力がローマ字 よりも速いと主張しているのは私だけではないのだ。

 具体的にそのような実験を例示するのが実に簡単である。灯台元暗しとはよく 言ったもので、なんと、FKBOARDの資料会議室にあるのだ。008番の発言、「【親 指】各種キーボードの比較の論文」である。これはオアシスフォーラムのデータ ライブラリから転載されたもので、二つの論文が収容されている。

 まずは、日本能率協会による実験で、初心者の練習時間に対する入力速度の変 化を調査したものである。親指シフト、JIS、ローマ字に対してワープロ未経験の 20〜30才の女性10名による調査となっている。詳細は同発言を参照していただき たい。

 結果は、文字/分の値が、次のようになっている。

 >        10時間   20時間  30時間  40時間
 >  親指    33     50    62    76
 >  JIS   28     42    52    65
 >  ローマ字  24     32    42    53

 >  のようにローマ字の成績が一番悪いという結果がでています。
    (FKBOARD MES(15) 008、「【親指】各種キーボードの比較の論文」より)
 もう一つは、やはり日本能率協会によるもので、「標準時間法による入力方式 別スピード比較実験」と称されている。1987年の調査である。天声人語約771字を 手書きより若干速い(原文では「早い」)速度で打つものとして、入力時間を推定 したというものだ。詳細は元の発言を参照して欲しい。
 >       正味所要時間分   比率
 >   JIS   7.81   100
 >  新JIS   7.38    94
 >  ローマ字  10.20   131
 >  親指シフト  6.04    77
    (同発言より引用)
 最も時間がかかっているのはローマ字入力である。打鍵数はJISに比べて1.46倍 で、従って1打鍵あたりにすればJISより11%速くなっている。これは、JIS配列の 最上段入力やシフトケースが影響しているのではないかと思われる。
    *
 ローマ字入力の欠点として、速度の遅さを指摘しているものは、この論文だけ ではなくて、同じ会議室にもまだある。

 全部紹介するのはきりがないので、最も印象に残る資料を一つ引用させていた だく。やはりオアシスフォーラムのデータライブラリからの転載とのことである。

 >  ☆ローマ字入力の問題点
 > コンピュータの専門家には受け入れられやすい方法である。しかし、日本人
 >  はローマ字を使っていないから、入力だけに使うのは不自然であることや、
 >  カナの2倍弱のキータッチ数が必要で入力速度が遅くなるなどの欠点がある。
    (FKBOARD、MES(15)、011)
 これだけなら何も驚かないが、これがニュートンという雑誌の1986年7月号に掲 載された原稿、「論文 日本語ワープロの技術を考える (神田泰典)」の再録と 聞けば、皆さんも驚くのではないか。

 ここではローマ字はカナの2倍弱のキータッチが必要で入力速度が遅くなると主 張されており、ローマ字がカナより速いとは書かれていない。

 話が違うではないか。どういうことなのだろう?

 例えば、時が経って考えが変わることは、私にもよくある。中には、一旦主張 したことは後で誤りに気付いてもも頑固に押し通すという人もいるようで、それ が発言の責任だとか大間違いをしている。もちろん、間違ったことは間違ったと 速やかに認め、なぜ間違ったのかを明確にし、必要があれば対策を考え、実践す る、これが発言の責任ということだと思う。

 今でも覚えているのだが、既に廃止されてしまったFFUTUREというフォーラムで、 以前に議論になった時、私が以前の発言と矛盾したことを書いた。これは考えが 変わったのと、状況によって判断が変わるような問題だったせいもある。早速、 前書いたこととちがうじゃないかと反論された。この時に私は「若輩者なので、 考えを変えることもある」という趣旨のことを書いた。これは開き直りである。 若い奴のすることだから見逃せというのだ。今考えても無責任なことだ。傍観者 はあきれただろうが、当時はとりあえずこれでなんとかなっている。

 この資料の年号に注目して欲しい。最初に紹介していただいた「ローマ字が仮 名入力より速い」というデータは、1978年7月に発表されている。ニュートンの出 る8年も前である。親指シフトの開発は、もちろんそれまでのキーボード研究結果 の調査もせずに進めた無頓着なものではない。従って、親指シフトの開発当時に はこの資料も調査済みで「ローマ字が仮名入力より速い」という結果を知ってい るはずである。しかし、親指シフトの調査資料には、それがどこにも出てこない のは、なぜか。

また、FKBOARDで、神田氏は次のように発言されている。

 >  1977〜8年ころ キーボードの調査を始めたときに、カナを入力をする方法と
 >  して、ローマ字入力とカナ入力があり、その速度はこれこれという数字をみ
 >  ました。それでは、ローマ字の方がカナ入力よりも早かったのでした。
 これはニュートンの記事の出た1986年よりも、かなり前である。その時に、ロー マ字の方がカナ入力より速いという調査結果を知っていたはずだ。とすると、既 に「ローマ字の方がカナ入力よりも速い」という情報を得ていながら、ニュート ンではこれを無視して「カナの2倍弱のキータッチ数が必要で入力速度が遅くな る」と書いたことになる。なぜか。想像だが、1986年までに、他の実験結果を検 討し、やはりローマ字は遅いという考えに改めたのかもしれない。しかし、もし そうだとすると、さらに1993年になって電子会議の発言でこれを覆して「カナ入 力の方がローマ字入力より遅い」と正反対のことを書いたのはなぜか。また考え が変わったのだろうか。

 他にも解釈がある。正直に書くと、実は冒頭で紹介させていただいた「カナ入 力はローマ字入力より遅い」という主張をなさった神田氏とは、ニュートンに原 稿を書いた神田氏とは同姓同名の全くの別人である、とも考えた。これは矛盾が ない解釈である。より現実的に考えれば、原稿を書く時に、本文は別のゴースト ライターに書かせることは、一般的によくあることだ。この場合もそうかと思っ たりした。

 しかし、これは本人に質問すればすぐ解決することである。質問はしていない が、総合的に判断して、お二人が同一人物だと私は結論付けている。

 考察はこれで終わりである。これも結論は放棄した。私には理解不可能である。

    *
 ともかく、ローマ字入力は入力速度が遅くなると主張する人もいる、というこ とは事実だと断定できそうである。また、これは私の経験的事実と合致する。

 さらに紹介すると、FKBOARDのMES(15)発言027、「【親指】親指シフトキーボー ドご提案書(2)」でも、ローマ字入力の欠点として

> ・かなの二倍弱のキータッチが必要で、入力速度が遅くなる.

 と指摘されている。なお、これは富士通によるセールス用資料である。

    *
 いろいろな結論が保留されたが、しかし、検討の結果、一つだけ貴重な事実が 生まれた。ある論文Aでは「ローマ字よりカナが速い」と書いてある。また別の論 文Bでは逆の結論が出ている。明らかに矛盾している。この矛盾が合理的に説明で きない場合の結論は3通りしかない。Aの論文が信用できないか、Bの論文が信用で きないか、あるいは両論文、いずれの結果とも信用できない、この3つである。科 学的態度としては、誤りが論証されるまでは、ひとまず両者とも信用できないと 考えるしかない。

 従って、この時点で、

 「親指シフトの優位性を示しているデータは信用できない」

 という、極めて重要な結論に到達することができた。

 もちろん、間違いと立証されたのではない。将来は追加検証され、信用できる データになる可能性もある。単に、現時点では疑わしい、ということである。

 私は親指シフトのファンでもないから別に構わないが、本当にこれでいいのだ ろうか。FKBOARDでは、カナ入力よりローマ字が速いという主張に、誰も反論も 質問もしなかった。もしかして、親指シフトの調査データは、所詮そんなもの、 と割り切っている人ばかりなのかもしれないが、個人的にはどうも釈然としない のだ。


補足

(*1) ちなみに、今でも分からない。


    COMPUTING AT CHAOS RUINS -215-
    1994-03-06, NIFTY-Serve FPROG mes(6)-200
    FPROG SYSOP / SDI00344   フィンローダ
    (C) Phinloda 1994, 1996