混沌の廃墟にて -199-

「都合のよい所だけ」比較広告(1)

1992-12-30 (最終更新: 1996-03-15)

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今年のパソコン業界を賑わせたのは不況の話題が何といっても一番だが、それ に加えてアスキーの経営に関する報道、NECの比較広告、ボーナス現物支給問 題が華を添えたようである。アスキーの件に関しては何度となく書いているので、 今回はNECの動向に関して考察してみたい。
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まず、ネットではあまり話題にならなかった方を片付けておくと、11/11の共同 通信ニュース速報などで、NECが管理職・役員に対してボーナスの一部を自社 製品の引換券で支給することが報じられた。これに関して、給与の現金支給の原 則に反していないか、という点が問題になったらしい。NEC側の説明では、あ くまでボーナスに加える+α分を引換券としたのであるという主張だったらしい が、建前は筋が通っているとはいえ、いかにも苦しい説明である。もちろん、本 当に苦しいのは不況の対策の方かもしれないが。
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問題の比較広告は、1992年11月9日のことである。NECはパソコンの広告とし ては日本で初めての比較広告を、日本経済新聞に掲載した。これに対する反応は、 ネットのあちこちで見ることができた。個人的には、概して良い印象を持った人 は少なかったような感じがする。もっとも、これは感想を書いている人達が、パ ソコン市場や98の実状を知っている影響ではないかと想像する。

この広告の第一印象だが、まずソニーが昔出した名広告、「βはなくなりませ ん」を思いだしたのである。ソニーはこの広告の責任は立派に取っており、すな わち、今もβのデッキを販売しているようだが、近所のレンタルビデオからもβ のソフトは駆逐されて久しいのを見ると、特に日本国内のビデオシェアの中から は、βはなくなったという錯覚に陥ってしまうのだ。ここは一層奮起して、8ミ リやVHS同様、半年に一度程度の新製品追加を大いに期待したい。

もちろん冗談だが。

もし真剣に責任を取る気があるなら、ソニーのβデッキを下取りして、安価で 8mmビデオにリプレースするようなサービスをすれば、8mmのシェアも広がって一 石二鳥だと思うのだが。こちらの案の方を、真剣に期待したい。

ともかく、他の人のメッセージも見ると、やはり同じことを思いだした人がい たようだ。このような印象的な広告は少ない。NECも伝説の広告を出すことが できた、という意味では価値ある全面広告だった。語り継がれる広告というのは めずらしいのだ。

さて、ということは、次のように連想してしまう結果になる。「βはなくなら ない」という広告を出したβは、マニアを除いてユーザーがいなくなった。「9 8は問う」という広告を出した98は?

この広告を見た個人的感想は次のように続く。

この構図を現状維持すれば、あと5年、最悪で見積もっても、あと2〜3年は 98は安泰だろう、と思っていたのである。この広告を見るまでは。

しかし、この広告を見て、思ったよりも事態は深刻ではないかと思い始めたの だ。「予想以上に98は危ない、あと1年もたてばシェアが逆転するかもしれな いぞ、遅くて2年程度ではないだろうか。」シェアというのは短期の販売台数と いう意味である。過去の累積はとりあえず無視している。今あるマシンであと1 0年給与管理をしようと考えるのは実に合理的な判断で、そのようなシーンから 既存マシンが消えてゆくには相当長い期間が必要だ。

もちろん98の対抗馬はDOS/Vマシンである。比較広告にDOS/Vマシン対応日本 語ソフトの本数が書かれていることから、NECもそう受け止めていると考えら れる。

ここで世界の動向を考えてみると、実用になっているかは無視すれば、現状は MS Windowsへと流れている。アメリカでは相当Windowsの勢力は強いようだが、日 本ではいまいちパッとしない。原因は明らかである。特に日本語環境でWindowsを 使う場合、実用以前の問題で一つの必須条件がある。このコラムでも飽きる程書 いてきたが、高解像度の環境である。現状の98の解像度640×400というのは、 1つのアプリケーションを使う限り我慢できる限界だが、ウィンドウ環境では問 題外の狭さだ。

これは98が今後支持されてゆくために、大きな妨げになる可能性がある。9 8が生き延びるには、安価なディスプレイボードを大量に販売するか、旧機種か らハイレゾマシンへのリプレースのサービスを行なうことが、残された道ではな いかと思う。なお、H98という機種があるが、あの解像度はまだ足りない。今 一度書いておくと、日本語環境でウィンドウを実用的に使うには、ウィンドウを 2つ並べて表示できるだけの能力が必要だ。仮に16ドットのフォントを使うとし て、40文字を表示するウィンドウを横にちょうど並べた時の1280+αが最低条件。 縦は、これに合わせて計算するとよいと思う。

ただ、簡単にハイレゾと言い切ってしまったが、それでは既存のソフトウェア が動かないかもしれない。これも大きな問題である。

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私が98に対して悲観的な感想を持った理由は、単にNECの比較広告が出た からではなく、むしろその内容が納得できないからである。

有名な経営者は数多の名言を残している。しかし、今回はその言を借りるまで もない。よい経営とは何であるか。あるいは商売の成功する秘訣とは何か。答え はたった一つである。お客様に信頼されることである。信頼できないメーカーか らモノを買う人はあまりいないのである。

では、信頼を得るには、どうするか。一つの必要条件は、誠意である。NEC の今回の広告は、それが欠けていると言いたい。なぜなら、比較の結果が98に 都合のよいものだけを選んで、故意に情報を操作しているからである。パソコン に関する詳しい知識のない人がこれを見て98を買ったりすると、後でDOS/Vの方 がよかった点に気付くことになる。こういう宣伝の仕方が、誠意あるものとはと ても思えないのである。

かなり前になるが、私がLDプレーヤーを買った時の話である。LDプレーヤー に限らず、AV製品は製品のサイクルが短いので、どれが何なのかさっぱり分か らない。とりあえず私はソニーのファンだから、メーカーが決まっている分迷わ ずに済むのだが。そこで、店員にどれがどうなのか尋ねてみるわけだ。しかし、 LDプレーヤーなんて、どれが画質がいい等の差は殆どないのである。しかも、 私の持っているテレビの画質を考えると、高画質のものにこだわるのは結構空し いものがある。

ソニーの製品を買う時には、一つコツがある。新製品は買ってはいけない。少 なくとも半年前のモデルを買うのがよい。理由は以前書いたと思うので今回は省 略する。

という訳で、まず店員にどれがどんな特徴があるか、説明させる。ここで、店 員にとっては売りたい製品というのが多分ある筈で、客に対してそれを買う気に させるような印象を与える説明をする筈である。この時、最後に買おうかなと思 った製品があって(実際それを買ったのだが)、最後に店員はこのように説明し た。「ただし、このLDプレーヤーは、ヘッドホン端子が付いていません。」

この一言で買う気になった訳ではないが、今から売り付けようとしている製品 の弱点まで客に説明した理由は、後で話が違うとどなり込まれた時に備えている のだというひねくれた解釈もあるだろうが、もう一つは、やはり正しい情報を事 前に与えて判断してもらおうという誠意の現れと解釈したいものだ。

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比較広告の戦略としては、一つはひたすら自社製品が一方的にいいようなイメー ジで宣伝して、都合の悪いことは一切書かない、というスタンスに徹する方法が ある。これも確かに一つの方法ではある。ペプシのコカコーラを意識したCMな どはこの典型的な例だと思う。

もう一つは、本当に比較材料を提供し、お客様に選んでもらいましょう、とい うスタンスである。しかし、これは製品に自信がなければできない。比較して、 やっぱり別メーカーの方がいい、では洒落にならない。

今回のNECの広告は、一見後者のように見せかけているが、内容は前者とい う巧妙な仕掛けになっている。誠意が感じられないと書いたのはその点を根拠と したのだ。私の主観では、自社製品に都合のよいことだけ並べて、都合の悪いこ とは書かないという態度が誠意あるものとは到底考え得ないのである。逆に、信 頼できないという判断に至るのは、当然の結果である。もちろん、これはNEC も承知の上で広告しているのだと思われる。あるいは、最高に自虐的なアイロニー という位置付けの広告という解釈もできるかもしれないのだが。

本当に都合の悪いことは書いていないのか? 実証するのも簡単すぎるので、 私が書くまでもないが。決定的なことをまず指摘しておこう。他の多くの比較広 告を見ても、まずこれだけは間違いなく比較の対象となるはずの価格が、どこを 見ても全く書いてないのだ。パソコンの場合、絶対価格に加えて、同じ価格帯の 製品に対する性能比は、購入時の判断基準としては、最も重要な項目のはずであ る。こんな重要な項目が欠落している理由は何か。説明するまでもない。98の 方が、はるかに劣っているからに他ならない。

私が悲観的な感想を持ったというのは、次のような理由もある。 価格という点では、98だけを攻めるのは酷だという人もいるだろう。日本の メーカーは、まだ現時点では低価格競争には参加していないようである。その理 由として、サポートや品質を問題にしているという噂も聞いている。これも裏か ら見れば、低価格マシンのサポートや品質が不十分という、事実無根かもしれな い印象を付けるための戦略としか思えない。

仮に品質やサポートを充実させるためにコストがかかる、だから値段は高いと いう理由があるとする。私はサポートは別料金にすべきだと主張しているが、今 回はその問題はパスすることにして、ともかくそれを説明した上で堂々と価格を 比較した広告を出せばよいのである。「わが社の製品は、これだけ高くなってい ますが、その分品質もよく、サポートも充実していますよ」と書けばいいのであ る。A社のパソコンは定価**円、一人あたりのサポートにかかった費用、** 円、B社のを買うとこんなにサポート料金がかかるぞ、そういう比較広告にすれ ばよいのである。それが誠意ある態度ではないか。

では、一般論として、値段の比較は棚上げにして、いかにもサポートが充実し ているように感じさせる点を強調した広告を出すことがあるとしたら、その理由 は何だろうか。

それは値段が高い分に見合ったサポートが期待できないからだ。私にはその解 釈しか思い付かない。

もっとも、これは個人的な経験から来る先入観による影響が大きいかもしれな い。私のように、PC-8801を使っていた頃の悲惨な経験が物を言い、金輪際NEC のパソコンは買わないという人もいれば、またある人は、もう二度とEPSON のマシンは買うもんか、と主張しているのである。しかしどちらを買っても98 (互換機)には違いない。DOS/Vマシンはこの壁を叩き壊してくれそうな気がする。

なにしろ、経済力ほど高い壁はないのである。いくら素晴らしいパソコンでも、 金がないので買えないものは買えない。今も使っている J-3100 SS001 を買った 時の条件が、予算20万円以内、というものだった。これが398,000円だったら、現 在のJ-3100のシェアはなかったと思う。これを超えると無条件で駄目になる、と いうのはブラックジャックみたいなもので、絶対的な意味を持つこともあるのだ。 私のような経済環境だと、DOS/Vマシンの安さは魅力的である。今メインで使って いるEPSON PC-386Mは、これも現在は過去のマシンスペックかもしれないが、一応 386SXがCPUで16MHz、通信や原稿書きには大抵間に合う。TeXでプリントするには ちと重いかもしれないが。それにしても悔しいのは、PC-386Mは、確かCPUボード が簡単に差し替えられるような設計だった筈なのだが、いつまで待っても486ボー ドのような製品は出る気配がなさそうだ。一発大逆転でP5のボードでも出るのを 待つか(出ないって)。

さて、このマシンは2十ン万で買った記憶があるが、不思議なことに、同じ程 度のスペックのマシンを現在買うとしても、なぜかあまり変わらない値段である。 調べてみると20万円をちょっと割った程度で買えるらしい。しかしDOS/Vマシンと は全く勝負にならない。なにしろ、386SXの25MHzというマシンスペックなら10万 円を割っている機種もあるのだ。現在のPC-386Mの実売価格で、DOS/Vマシンなら 486が載ったものが買える。

能書きはこの程度にして、実際に比較広告でどのような比較が行われたかを検 討してみよう。

(つづく)


    COMPUTING AT CHAOS RUINS -199-
    1992-12-30, NIFTY-Serve FPROG mes(6)-350
    FPROG SYSOP / SDI00344   フィンローダ
    (C) Phinloda 1992, 1996