混沌の廃墟にて -186-

カルトQ

1992-09-13 (最終更新: 1996-03-15)

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少し前の話である。FBUNGAKU でSYSOP が無断で発言を他会議室に複写した(*1)。 これに対してある会員が「警告」と称するクレームを付けたため、かなり論争に なった。この件に対して、運営サイドがどうやって収拾を付けるのかを、興味 津々と見守っていた。

NIFTY-Serve では、発言は著作物であると解釈している。これについては、GO RULES で掲示を参照できる。暇があったら、一度全文をダウンロードして読んで みるとよいと思うが、一部紹介するなら、フォーラムの発言に対する著作権は、 以下の文章が参考になる。

登録された個々のメッセージやソフトウェアについては、その登録者が著作 権を持っています。
  (GO RULES、5. 著作物に関する権利関係、内の
             5.2. サービス内の著作権、内の
             5.2.3. フォーラム、より引用)
従って、原則論として、発言を無断で複写すると、著作権の侵害行為になるは ずだ。

ところが、NIFTY-Serve では、一般に SYSOP あるいは SUBSYSOP はフォーラム 運営上の作業として事前通知なく発言を移動、複写できるということが慣習とな っている。実はそれは不文律ではない。すなわち、そのようなことが掲示されて いる。(*2)

これについて、FBUNGAKU の SYSOP さんは、以下の文章を指摘し、これをもっ て「フォ−ラム内の移動、転載はこの文章によってル−ルを明示したもの」と解 釈し、従って著作者に事前通知せずに発言を移動できると考えている、と主張し た。

SYSOPは雑誌の編集者のように,編集作業の一環として,発言などを登録した 方に事前通知することなくフォーラム内でその発言などの編集,移動(電子会 議からデータライブラリへの移動も含む)を行うことがあります。
(GO FORUM「フォーラムの楽しみ方」の「(2【Hop】SYSOPって何をする人?」よ り引用)

さて、ここで、中級カルト問題です。

Q1:この文章は、いつから掲示されているか?

    *
この春頃までは、FBUNGAKU は今よりはるかに大騒ぎで SYSOP 間には有名なフ ォーラムだった。SYSOP にとっては、運営上のトラブルはいつ自分の身に振りか かるかわからない。とはいっても、実際にトラブルを経験するのも遠慮したいも のである。とにかく、いざという時のために、ケーススタディを欠かすことはで きない。従ってトラブルがあるフォーラムに SYSOP が集まるという奇妙な現象が 発生している。

ところが、もっと奇妙に思われるかもしれないが、私が FBUNGAKU に入会した のは FBUNGAKU が設立した頃で(だから、随分若い会員番号をもらっている)、 しかも入った理由は、トラブルがあると思ったからではない。

童話に関する話を書こうと思ったのである。

しかし、実際機会もなく、何も書かずに延々と ROM を続けていたが、先日つい に初めての発言を書いた。これは、立原えりかさんの話題が出てきたのに、つら れたのだ。

話が変わるが、最近フロッピーのデータをMOに転写していると、懐かしいログが 出てきた。SYSOP になる以前、某ネットで童話に関する小さな会議を開いたこと があった。童話というと、何かほのぼのとした優しいイメージを持つかもしれな いが、意外と侮れない。解析し始めると、そんじょそこらの難解な文学作品より もさらに難解なのである。童話にはそういう性質があるのだ。

この頃議論していたのは、「青い鳥」と「なぎさの愛の物語」。「青い鳥」に 関しては今回は省略する。

「なぎさの海の物語」は立原えりかさんの童話で、ちょうど文庫本が発売され たタイミングでテーマに選んだのだが、割合コメントが付いて、好評だった。個 人的には、もっと初期の作品が好きなのだが、このあたりの作品は、人生への荒 涼としたさわやかさが表現されていて、読むと背筋が寒くなるような快感がある。

立原えりかさんの童話の中で、最初に読んだのは「あんず林のどろぼう」だっ たと思う。特に初期の作品の中では「まぼろしの祭り」「輪」「妖精たち」「小 さい妖精の小さいギター」などが気に入っている。その頃私は中学生だったのだ。 立原えりかさんの作品は、私の文体に最も大きな影響を与えた。だから、もしそ の頃立原さんの童話を読んでいなければ、私は今のような文章を書けなかったの ではないかと思うことがある。

今、分かりやすい文章はどうすれば書けるのですか、と尋ねられることがよく ある、と書こうとしたが、考えてみれば滅多にないではないか。

自分の文章がそれほど分かりやすいとも思えないので、何とも言えないのだが、 文章の書き方、といった類の本なら少なくとも20〜30読んだ。さらに、詭弁の方 法やレトリック、キャッチフレーズの作り方などの本も読んだ。SYSOPイコール文 章を書かなければならない人、とは一概に言えないが、私の場合は率先してがば がば発言するつもりで最初からいたので、本気で文章を書くにはその位はノウハ ウを仕入れておかなければならない。

ただ、もし「私はどうも分かりにくい文章を書いてしまうのです、どうすれば わかりやすい文章を書けるようになるでしょうか」と質問されたら、皆さんなら どう答えるだろう。ヘビーネットワーカーならある程度は思い付くことがあるは ずだ。誰々が書いた文章読本を読んでみては? 「わかりやすい文章の書き方」 という本がありますよ。そういった答を想像してみた。

私なら何とアドバイスするかというと、こうである。「まず立原えりかさんの 本を一冊買いなさい。なるべく初期の作品の方がいい。講談社文庫から出ている、 「木馬がのった白い船」あたりがいいでしょう。一冊読み終わった後で、自己紹 介でも書いてみてください。」

「それだけ?」
「ですよ。」
「そんな簡単に分かりやすい文章が書けるんですか?」
「さあ?」

    *
立原えりかさんの作品については、これ以上は説明しない。勝手ながら、講談 社文庫から出ている「小さな花物語」から、神沢利子さんによる解説を引用させ ていただきます。
立原さんの童話は、感受することが大切で、それゆえ解説をこばむものの ように思われるのです。
そこにあり、だれでもが扉をあけて入ってゆくことができるその世界でど んな体験をし、何を手にして戻ろうと、みなさんの自由だからです。
平易な、だれにでもわかることばで綴られている立原さんの童話には、ぎ くしゃくした耳ざわりなことば、不消化な難しいことばはどこを探しても見 あたりません。
目にやさしく、口にひびきがよいのです。限られたことば、それもごくあ たりまえの耳なれたことばを使って書かれた文は、親しみやすいものです。 それでいて内容は、決してあたりまえでないふしぎな世界を描いて、そのイ メージはくっきりあざやかです。
これはなかなかできることではありません。
(p.219-220)
「解説をこばむもののように思われる」というのが、それを何度も読み返した 私にはよく分かるような気がする。だから、本当は「人生への荒涼としたさわや かさ」などと表現すべきではないのだ。

しかし、今立原えりかさんの作品を読み返してみても、今更のように驚くしか ない。「だれにでもわかることばで、誰にも書けないような文章を書く」という ことは、魔法のようなものである。他の本を読み終わった時に、暫く感慨にひた ることがあるかもしれないように、立原さんの童話を読んだ直後は、他の人の童 話を読んだ時とは違って、暫くは呆然とした状態が続き、こっちの世界に戻って くることができない。

    *
さて、話が最初の話題に戻る。SYSOP は勝手に発言を会議室間で移動してよい のか?

AGORA(*3)の議論が、いつもプログラマー的であるのと好対称で、FBUNGAKU の 議論は、いつも文学的で不可思議だ。私には訳がわからない会話が飛び交ってい ることが多く、全然追い付くことができない。

FBUNGAKU で出された警告というのは、

の2点に対して行なわれた。後者はローカルな問題なので論じない。全フォー ラムに共通と思われる前者に関してのみ検討する。FBUNGAKU の SYSOP さんの主 張は、最初に書いた通り。

ここで、もう1問。これは超カルト問題。

Q2:以前は、GO FORUM を実行すると、あるメッセージが自動的に表示されて いました。その文章の内容は、

えっ、もうわかったのですか、でも「おっ、これは見たことがあるぞ」という 人はいらっしゃると思いますが、まだ問題が終わってません。ここでボタンを押 してはお手付きになってしまいますぞ。

取り敢えずその文章を引用しておこう。

>go forum

フォーラム FORUM
フォーラムに登録されたメッセージ等を登録した人に無断で他の媒体に転載 することはできませんが、SYSOP はその編集及び管理作業の一環として登録 した人に事前通知をせずにフォーラム内でのメッセージの移動、編集、削除 等を行うことがあります。
(以下省略)

では問題を続けます。このようなメッセージが掲示されていましたが、これは いつまで掲示されていましたか?
    *
私は長い間、この掲示が消滅したことを知らなかった。だから平気で、特に発 言者に連絡もせずに、発言の移動、編集を行なっていたのだが、今年3月に、や っとこの掲示がなくなった事に気付いて真っ青になった。すぐにニフティに問い 合わせたのだが、それ以後の経緯については省略させていただく(実はこれが一 番面白いという話が…?)。

これに関しては、FPROG ではローカルルールに、

電子会議の発言は、発言者に予告することなくデータライブラリに移動する ことがあります。これに関しては事前に転載の承諾を得たものとみなさせて いただきます。
と追加した (92/3/30、VOP(9) #045「ローカルルール追加連絡(重要)」)。こ れに関して何かリアクションがあるかと思ったら、まるで何もないのでかえって 驚いたのだが。確かに、どのフォーラムでも発言をデータライブラリに移動する 時に、いちいち発言者に連絡するということはあまりないので、この程度は「あ たりまえ」と思っていた人が多いのかもしれない。

まてよ、Q1で引用されている文章の中には、「事前通知なく発言の編集・移 動がある」と書いてあるじゃないか。と思った方は、ちと甘い。ヒントを出して おきますと、当然、このメッセージは、FPROG のローカルルールの変更された後 に追加されたのである。でなけりゃ、わざわざローカルルールに追加したりはし ない。

(つづく)

参考文献: 立原えりか、小さな花物語、講談社文庫 ISBN4-06-138140-7
その他作品を参考のこと


補足

(*1) その後退任した。現SYSOPとは別人。

(*2) 平成5年6月に会員規約が変更され、第17条により、フォーラム内の文章は 通知なく移動できるようになった。条文を引用しておく。

フォーラムに登録された文章などは、必要に応じて、ニフティまたはNIFTY-Serveの フォーラムのシステムオペレーターにより会員へ事前に通知することなく、題名の変 更、またはフォーラム内での複写、移動などが行われる場合があります。
なお、この規約により複写・移動を許されているのはニフティまたはSYSOPである から、SUBSYSOPやその他のスタッフは、複写・移動できないことになる。FPROGで は、ローカルルールでこれらの操作を行う承諾を求めている。

(*3) プログラマーズフォーラムにあった電子会議で、最も重い議論を扱う場。


    COMPUTING AT CHAOS RUINS -186-
    1992-09-13, NIFTY-Serve FPROG mes(6)-149
    FPROG SYSOP / SDI00344   フィンローダ
    (C) Phinloda 1992, 1996