混沌の廃墟にて -174-

縁による発言

1992-06-11 (最終更新: 1996-07-14)

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実はまだペアレントリンク機能を一度も使ったことがない(*1)。そのうち使っ てみようと思っている。が、いまいち使う気がしない。CompuServe の電子会議 は、もともとペアレントリンクのような表示の方法であるが、いつも「単に発言 時刻順に発言を表示したい」と思いながら使っている。どうすればそのように表 示できるかを知らないので、表示されるままに見ているのだが。

 >  「質はどこでもものをいう(岡田完二郎)」
FPROG専用通信ソフトを作ろうという無謀なプロジェクトの電子会議から、 久保 宏志さんのご発言からの引用である。多重引用である。

ものをいうことは同感である。そこで、ものを言ったら事態が変化するか、と いう別の問題について考える。というのは、ソフトウェアランキングの順位を見 ていると、ものをいったからどうなるというのだ、という投げやりかつ釈然とし ない気持ちになることがあるからだ。質のいいソフトが売れるとは限らないこと は、衆知の事実だと思う。売れ筋ソフトの質が悪い、と言っているのではないか ら念のため。蛇足だが、良いとも言っていない。

ソフトウェアの場合、質の善し悪しを一瞥で判断できないことに問題があって、 さらに、客観的な評価レポートがないことにも問題があるし、場合によっては質 のよい製品が簡単に手に入らないかもしれないし、使う人の質に問題があるのか もしれない。

質のよいソフトが生き残る市場はあるか。ゲームソフトの市場はどうか。質の 善し悪しと売れ行きは相関すると思われる。数百万本売れたソフトは、やはり質 の点でも評価に値すると思う。では、数千本、数万本しか売れなかったソフトは、 質が悪かったから売れなかったのだろうか?

質は確かにものをいうかもしれないが、売り上げとは関係ないこともある。あ るビデオデッキは画質を高める回路を内蔵したのに、あまり売れなかったそうで ある。アピールに欠けたというのである。あからさまに言うと、消費者は、質の よいものを最優先に商品選択する訳ではないのだ。赤く色を塗ってワックスをか けた味のない林檎は、見栄えの悪いがおいしい林檎よりもよく売れる。

質がよくても売れないソフトがあるのはなぜだ。悪貨は良貨を駆逐するから、 というわけでもない。何度も書いたので、もう飽きたが、要するに折角質のいい ソフトなのに、名前が悪いものが多過ぎるのだ。

    *
そこでペアレントリンク機能である。

ペアレントリンク機能がどの程度利用されているか全く想像もできないが、仮 にこの機能が「コメント優先表示機能」とでも名付けられていたら、それだけで 利用者が倍増するはずである。「ペアレントリンク」という表現は、初めて見る 人には何のことか全くわからないからだ。多くの人は、わからない機能をわかろ うと努力するよりは、使わないように心掛けるものである。

上の文章は全くの想像で書いていたのだが、その後ビギナーズスクエアを見る と、もろに「ペアレントリンクとは何ですか」という質問があった。こんな質問 が出ることは誰でも想像できるはずである。

ここプログラマーズフォーラムという特殊な場においては、ソフトウェアに関 連する知識をお持ちの方が多い。ソフトウェア、コンピュータの用語としては、 「リンク」という専門用語があるために、かなり的確にイメージすることが可能 だと思う。しかし、この「リンク」という言葉は、あくまで専門用語であり、一 般に広く使われる性質のものではない。コンピュータに無関係な人達が、「リン ク」という言葉の意味をどう考えるか想像してみてほしい。(*2)

(想像する)

多くの人にとって、「リンク」という言葉自体が意味不明の3文字からなる片 仮名の組み合わせに過ぎない。あるいは、スケートリンクを想像する人がいるか もしれない。ペアレントという言葉は、リンクという言葉よりは理解できる人が 多いだろう。しかし、ペアレントという区切りに気付かずに、「ペアレン・トリ ンク」と読んでいる人も、結構いるだろう(*3)。

多分「リンク」という言葉から普通にイメージすれば、parent link という言 葉は「親の輪」といった感じ? 親の輪? みんなで広げる「友達の輪」みたい なものだろうか。しかし、ここでは輪というよりは絆といった感じかもしれない。

発言にはそれが公表された時刻により、明確な順序関係があるため、親・子と いうアナロジーが全く的外れというわけでもないと思う。また、意味的にも無理 があるわけではない。しかし、どうも発言に親・子という概念を持ち込むことが、 どうもミスマッチであるような気がして、そわそわするのだ。

    *
ところで、実はペアレントリンクを使う気にならないのは名称が気に入らない からではない。問題はもっと本質的な所にある。

ペアレントリンク機能は、発言間にリンクが張ってあることを前提としている。 リンクというのは、1つの発言から1つの発言への強烈な関連付けによる集合で ある。この関連付けは、NIFTY-Serve ではコメントという機能により実現されて いる(*4)。すなわち、コメント元と、コメント先の関係である。

ある発言Aがあって、それに対するコメントBがあり、またそれに対するコメ ントCがあり、…という関係があれば、この順に発言を表示すると関係がすっき りする。これがペアレントリンク機能の狙いだと思う。

しかし、電子会議におけるコミュニケーションというのは、実際、そのような 過程を経て成立しているのだろうか。

発言者が発言するに至る心理的な過程を考えてみることには意義がある。なぜ なら、ある発言を正確に解釈するためには、その発言が行なわれた背景も的確に 解釈しなければならないからだ。では、電子会議における発言のバックグラウン ドとはどのようなものか? コメントというアイデアは、ある発言を読んだ結果、 他の意見が生み出された、という因果関係のような強い関係として解釈する方法 である。

さて、私は発言と発言の間の連関が、それ程強いものであるとは思えないので ある。強いて言うなら、何か発言者自身の中に世界があり、それに対して送られ てきた他者のメッセージがきっかけ(トリガー)となって、意見となる、といった 解釈をしたいのだ(*5)。

そして、そのトリガーとなり得るのは何か。一つの発言ではなく、それまでに 見てきたもの全てが新たな発言の糧となる、と考えるのである。もしある人が、 ある会議室の1番から100番までの発言を読んで、その上で発言番号100へのコメ ントを付けるなら、そのコメントは、1から100番までの100個のメッセージによ り生み出された新たなアクションである。

ここで一つ流行を取り入れるなら、それらのメッセージの影響力を数値化する には、おそらくファジーな解釈が必要であるといいたい。100番の発言へのコメン トが付いたとする。この発言は、100番の発言からの影響が最も大きかったと思わ れる。しかし、それが全てではない。もしかすると、63番の発言からもかなり影 響があったのかもしれない。NIFTY-Serve はシステムの制約により、コメントの 元と指定できる発言は1つである。しかも、発言間の関係は、完全な関係か、完全 な無関係という1と0の選択でしか有り得ない。複数の発言に対する異なった影響 度による関係などは全く表現できないのである。

このように複数の発言が、異なる影響力をもって関係し合うメカニズムがある のだ。これを私は「縁」と呼んでいる。最近「縁」という言葉が気に入っている ので、何でも縁である(*6)。

ここで最初の疑問への回答が可能になった。ペアレントリンクを使う気になら ないのはなぜか。ペアレントリンクを使うと、多くの縁が切れてしまうのだ。ま た、実際は密接な縁であるはずの発言同士の関係が、疎遠になってしまうことも ある。次の場合で説明する。

  発言番号  コメント  内容

  50                  Aであると思う。
  51        50        私もAであると思う。
  52        50        …という明白な反例があるからAではない。
  53        52        Aであると思う。
ここで、53の発言を書いた人は、50〜52の全てを読んでいる可能性が高い。こ のことは、発言の背景として考慮すべきである。すなわち、53という発言は、50 〜52を読んだ上での発言であると考える。

だから、読者も53を読む前には、50〜52を読んでおくことが望ましい。そうす ることにより、発言者の立場に近付く。53をより的確に理解できる。というのが 私の主張である。しかし、この場合は幸いペアレントリンクで表示しても同じ順 序である。

しかし、ペアレントリンクを指定すると、読む順序が変化する場合が多い。そ うでなければ、わざわざ機能を追加する意味がない。次の例。

  発言番号  コメント  内容

  50                  Aであると思う。
  51        50        私もAであると思う。
  52        50        …という明白な反例があるからAではない。
  53        51        Aであると思う。
ここで問題になるのは、53という発言は、52の発言が読まれた後で書かれたの か、それとも52を読む前に書かれたのか、ということである。

52は51の後に書かれている。51まで読んだ人が53を書いて登録する間に52が書 かれたということも有り得る。コメント関係という情報だけでは、53が書かれた 背景は判断不可能だ。53は51へのコメントだから、51に対して共感した結果とし ての意見であることはわかる。しかし52で明白な反例が示されていることが重要 である。52を読んでなお51に共感したのと、52を読まずに単に51まで読んで共感 したのとでは、差が大きすぎるのだ。このような発言時刻の差によって読者の解 釈の幅が必要以上に広がることを避けるために、この発言はどこそこまで読んで 書いた、と最後に書き加える人がいる。これは誤解を避ける意味で貴重な情報で ある。「52まで読んで書きました」と書いてあれば間違った背景を想像する余地 はない。

発言の背景を誤解されるのを避けるために、52へのコメントとすればよいでは ないか、と考える人もいるかもしれない。しかし、53は51への共感を表現したい のだとすれば、やはり51へのコメントとするのが妥当なのだ。

ペアレントリンクを使ってこれらの発言を表示すると、50-51-53-52という順で 表示される。53は51へのコメントだから、52より先に表示されるのだ。この順に 発言を読むと、53を読んだ時点で、読者は52という意見を知らない。従って、53 がもし52を読んだ後に書かれたものだったら、背景を誤解した状態で53を読まさ れることになる。

ペアレントリンクで読みたくない理由は、まさにここにある。

逆の場合も考えておこう。53の発言は、52を読む前に書かれたとする。この前 提で50〜53をこの順序で読む。すると、53の発言を読む時点で、読者は52を読ん でしまっている。これは53の発言者とは異なる背景である。この場合、53の背景 を解釈し損なう可能性はあるか。これはある。

しかし、先程の場合に比べると、危険ははるかに少ない。なぜなら、読者は53 を読んでいる時点で、これは52を読んでから書かれたのか、それとも52を読む前 に書かれたのかを考えることができるからである。そういう事が実際にしばしば あるから、誤解しないで済むことが多いのだ。

    *
コミュニケーションは煮込んだ魔法の鍋からひとすくいの薬を取り出すような ものである。そこは回りのすべてが予想の付かない形で影響し合うカオスの世界 である。どれがどこに関係しているかわからない所にコミュニケーションの面白 さがあるのだ。

もし、その名前のわかりにくさ故に、ペアレントリンク機能を使わない人が多 いのだとすれば、実はそれは不幸中の幸いなのかもしれない。

名前はどこでもものをいう (フィンローダ)


補足

(*1) ペアレントリンク機能というのは、発言を表示する時にスレッド優先で表示 する機能である。

(*2) WWWの流行は同じ過ちを犯している。リンクリストのあるページは多い。リ ンクと言われても最初のうちは何だか分からない人も多い。では何と言えばよい かと考えると結構難しいので、これはリンクでいいような気がする。

(*3) 日本人は4文字単位で切るのが好きな性質を持っているらしい。

(*4) 恐ろしいことに、コメント関係のことを「コメントリンク」ではなく「コメ ントチェーン」と呼んだりすることがあり、さらに事態を難解にしている。

(*5) シンクロニシティは、これで説明ができるのではないか。共通背景がある所 にトリガーをかけると似たような結果になっても不思議ではないからだ。

(*6) 南方熊楠の影響と思われる。

※この発言の後に自らコメントした内容によれば、上記の議論には本質的な問題 が一つ含まれているが、あえて黙っている、ということである。何だっけ? :-)


    COMPUTING AT CHAOS RUINS -174-
    1992-06-11, NIFTY-Serve FPROG mes(3)-249
    FPROG SYSOP / SDI00344   フィンローダ
    (C) Phinloda 1992, 1996