混沌の廃墟にて -135-

Human-Human Interface

1990-10-26 (最終更新: 1996-02-11)

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駅には、なぜか売店があることになっているが、先日そこで飲み物を買おうと したのだが…。

何で知ったのか忘れたが、ラーメン屋台殺人事件というのがあったそうだ。実 話である。まず、イライラしたサラリーマンが帰りに屋台のラーメンを食べよう と思った所から話が始まる。

このサラリーマン氏、かなり不機嫌だったらしく、全く無関係のラーメン屋に 向かって、八つ当たり半分かどうかは知らないが、こともあろうに「ラーメン作 れ」と言ったのだそうだ。たまたまこのラーメン屋もすごく機嫌が悪かったのが 不運。「ラーメン作れ」という言葉にムカッときたラーメン屋は、何とサラリー マンを包丁で刺してしまった。サラリーマンは刺された所が文字通り致命的で、 死んでしまったのである。

この事件を「運が悪い」で片付けるのも一理あるかもしれない。不運が重なっ たのは確かである。しかし、最初にサラリーマンが「ラーメンください」と言っ たとしても、やはりこのような悲劇になったのだろうか。いくらラーメン屋の機 嫌が悪いといえども、刺し殺されることはなかったのではないか。この点、サラ リーマン氏は軽率だった。「機嫌が悪い」という感情を安易に他人に伝染させた のが直接の敗因であるとすれば、もう一つの敗因は、社会が戦場だということを 忘れてしまったことである。

最初の話に戻る。で、私は売店のおばさんに、「**ください」と言った。飲 み物の名前はどうでもいいので忘れたことにする。すると、売店のおばさん、こ れを聞くとかなり嫌そうな顔をして「はあ?」と言ったのだ。(*1)

これが普通なら相当ムカっとくる所で、仮に私が包丁を持っていたら刺し殺し ていたかもしれないが、残念ながら私は板前ではなく一介のプログラマーだから 包丁は持ち歩いていない。ここで喧嘩しても遅刻するだけだし、むしろこれは 「混沌の廃墟にて」のネタになるな、と考えて、文案を練りつつ、もう一度「* *ください」と言った。今度はちゃんと聞こえて、飲みたいものをちゃんと手に 入れることに成功した。

何と買い物をした上に、ネタまでできたのだから、この戦いは勝ったと思って よいだろう。:-)

    *
さて、このあと買うものがあって、途中下車することにした。そこで、改札で 定期を見せて通ろうとしたら、駅員が

「ちょっと」

と言って、手首を掴んだのである。しまった、見破られたか。(^_^;) というの は冗談で、すわ有効期限切れか? いや、10/25 まで期限はあった筈。大昔の話 だが、定期を買う金がちょっと足りないので、給料日までなんとか耐えてようやく 買えたということがあったのだ。 この名残で有効期限が 10/25 になっている。とすると、この駅員は、なぜ私の 手首を掴んだのでしょう?

「はい?」

ところがこの駅員は、ちらっと定期を見て手を離すと、何もなかったように次 の客が出ていくのをチェックし始めるのである。さて、私は全然訳がわからない ので、もう一度、「はい?」と言ってみたが、無視されたので、これは勝手に外 に出てよいのだろうと判断し、買い物に急ぐことにした。

この時は、客に向かってもう少し言い方があるだろう、という気分になったの だが、もし、この改札口が自動改札だったら、機械が間違って通せんぼした時に、 私は激怒するだろうか、と考えるのに没頭してしまったので、それどころではな かった。最近東京は自動改札化が急ピッチで進んでいる。自動改札機はなぜか知 らないが関西の方が普及しているようだ。

自動改札機は、要するに磁気情報を読みとる装置である。磁気が何かの拍子に 乱れるようなことがあると、たちまちエラーになる。実際、ちゃんと切符を買っ たのにエラーにされた事は何度もあるし、それで通せんぼになると、うーむ、と いう気分にはなる。

が、別に自動改札に向かって、「何だ、それが客に対する態度か」だとか、 「失礼じゃないか」と思った経験は、まだない。これが単に相手が機械だから、 という問題ではなく、あるいは、自動改札を設置した駅の責任者に対しても、 「こんなエラーの発生する機械を設置して、何のつもりだ」と思うことは、ない のである。

というのは私の話であって、世の中には自動改札に向かって「なんだその態度 は」と激怒する人がいるかもしれないし、それを設置した責任を駅長に追求する 人もいるかもしれない。が、なぜか私の場合、機械相手だと、「失礼」という概 念自体ぴんとこないような気がする。

自動改札の読みとりエラーで足止めされたのに比べたら、「ちょっと」と言っ て確認の後に黙々と作業を継続するあたりは、今設置されている自動改札機に比 べたら、よくできた機械並の処理能力はある訳で、逆に感心してもよいのかもし れない。という事を考えているうちに目的地に着いてしまった。

    *
毎度のネタだが、今だにオンライン・コミュニケーションだと、じかに対面し た時に比べて表情が伝わらないから、意思がなかなか伝わっていないような気が するといった声を聞くのである。感想も毎度で恐縮なのだが、私に言わせるとこ れは逆である。例えば対面した人がにこにこしていたからと言って、本当に相手 が穏便なことを考えていると断定できる理由になるだろうか? 「なんだと、こ の店員は! もう少し物の言い方を考えろ!」と思いつつ、にっこり(やや顔を ひきつらせて?)「**ください」と言う人間がいるかもしれない。

これはインターフェースを潤滑にするためのプロトコルと考えてよいだろう。 この種の作法が日常生活においては極めて多い。挨拶というのは典型的なものだ。 買い物をすると、店員が「ありがとうございました」と言われることがある。本 当にありがたいと思っているかどうかは知らない。これは単なる挨拶だから勢い だけかもしれない。

「どうもすみません」だとか、「恐縮ながら」というのは常套句に近い。「す みませんでした」と書いてあるからと言って、相手が本当にすまないと思ってい るのか、単に場を繕うために、とりあえずそう書いただけなのか、解釈は困難で ある。従って、オンライン・コミュニケーションは難しい、と早合点するのだろ う。

実際の対面コミュニケーションだと、これに表情が加わる。だから理解しやす い、というのは早計だ。 「相手の表情は本心である」ということを前提にしているのである。 ここが盲点である。本当は本心でないのかもしれないのだ。 事実を無視して本心だと思い込むことによってのみ、表情は 理解の助けになる。いやな奴だと思っていても、にっこりわら って挨拶した経験はないだろうか? 特に、日本人は無表情の smile が得意だと 言われているが、相手が穏やかそうだというのは要注意である。

もちろん、コミュニケーションという意味では、わざと相手が感情を隠そうと しているのだから、外部に出てきた表情そのものを、とりあえず素直に解釈して おけばよいのかもしれない。さて、機嫌が悪くても、「こんにちは。今日もいい 天気ですね、はりきってアクセスしましょう (^_^)」という文章を書く人がいる かもしれない…。

    *
最近、某フォーラムで、担当の SYSOP さんが一日に約 300 名、3 日で約 1000 名のアクセスと書いたことがあった。会員数は 8000 名とのことである。これを 読んで、殆どの人は、ふむふむ、とか、なるほど、とか思ったろうか。私は「?」 と思った。そろそろ SYSOP になって 2 年半。

もっとも、SYSOP でなくとも、3 日で約 1000 名なら、一か月に 10,000 名の アクセスになるな、と考えれば 8000 名とは何なのか、という事になろう。もち ろん、重複してアクセスする人が多いはずだから、これでよいのである。

ちなみに、FPRG は、一日に 250 名程度の会員によるアクセスがある。ただし、 一日ののべアクセス回数は 350 回程度だ。つまり、一人で 2 回以上アクセスし ている人が、この差を生む。だから、250 名が一週間で 1750 名のアクセス、に はならない。一週間にアクセスする会員は、およそ 600 名である。回数は、およ そ 2450 回。単純にわり算をすれば、一人あたり毎週 4 回のアクセスと見積もっ てよかろう。(*2)

ただし、会員数によるカウントは、フォーラム会員しか数えていないので、一 時利用者は除いた数である。のべアクセス回数は、一時利用者も入っている。

私がすぐ疑問に思ったのは、「3 日で約 1000 名」という表現である。300 の 3 倍は 900 じゃないか、というような些細なことを問題にしているのではない。 300 の 3 倍がおよそ 1000 でも立派な概算である。プログラマーは場合によって は誤差に寛大…というか、無頓着なのだ。:-) 頭の中は何ビットで演算している のか、興味深いものがある。

特に、これが一般会員の発言ではなく、SYSOP によって行われたという点に注 目して欲しいのである。SYSOP という役目を果たすためには、会員動向を正確に 把握する能力が必要であることは、まず間違いない。すると、3 倍して 1000 名 になるということは、一日 300 名というのは、のべ人数でなければならない。し かし、FPRG でさえも、「のべ 350 回」なのである。このあたりが、どうも納得 できない。

という所まで、とっさに変だと思ったのである。人は数字を見せられると、つ い説得力があるような錯覚に陥ることがある。これを逆手に取ったレトリックに は気をつけなければならない。例えば、「FPRG には 8000 名の会員がいます」と 言えば聞こえがいいが、このうち 6000 名以上が 1 カ月以上一度もアクセスして いないことを知っていれば、数字の空虚さがよくわかる。

そこで、さらに逆のレトリック論破術もあるのだ。

すなわち、道理にかなった論旨なら、数字を出さずともギャラリーを納得でき よう、しかるに数字を出すということは、道理が足りないかもしれない、と考え るひねくれた解釈である。また、自分の発言が説得力がない場合どうするか。デ タラメでもいいから、何か数字を入れておく。読む人は、数字を見て納得するか もしれない。「FPRG の会員のうち 6000 名はアクセスしていない」ということを、 確認できる人がいったい何人いるだろうか。

さて、SYSOP というのは疲れる肩書きだ。しかも、理屈っぽくなりがちなのが、 余計いけない。


補足

(*1) このように書いたら日本中の売店のおばさんが無礼であるかのような印象を与えてしまうかもしれないので、ちゃんと特定できるように書く。京王井の頭線下北沢駅の売店である。なお、改札の件も何線か明示すべきという意見もあるかもしれないが、幸い、この種の事件は多数の路線で経験しているので、あえて書く必要はないと考える。

(*2)つまり、当時のFPROGは一日250人という、似た規模のフォーラムだったわけで、1週間で600名のアクセスであることが分かっているのである。ところが、問題のフォーラムは3日で1000名と言いきったのだ。どうしてそんな差が出るのか? ということである。要するに、このSYSOPは、1日に300回、3日で約1000回と言うべきだったのだ。しかし、意識的にか無意識か知らないが、多数の人が利用しているイメージを与えようとして数のマジックを使ってしまったのである。本当は1000人も使っていないのだ。せいぜい500人程度だろう。


    COMPUTING AT CHAOS RUINS -135-
    1990-10-26, NIFTY-Serve FPROG mes(3)-252
    FPROG SYSOP / SDI00344   フィンローダ
    (C) Phinloda 1990, 1996