混沌の廃墟にて -123-

ネットワーキングにおけるロールプレイング状態

1990-06-07 (最終更新: 1996-04-16)

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少し前に、あるネットワークで没個性化状態における攻撃性とネットワーキン グに関する発言があった。このネットワークでは、実名参加を義務付けている (と書いたら、どこか名指しているようなものだが)。(*1)

没個性化状態とは心理学の用語なので、語感で判断すると誤解があるかもしれ ない。簡単に言うと、何か行動をする場合に、相手に対して自分の行為であるこ とがわからない場合を言う。逆に、自分が何か行動した時に、相手が行為者を特 定できるような場合は、個性化状態と言う。

その発言の論旨を、私は次のように解釈した。

これに対して、いくつか考えたことがある。その前に、なぜわざわざ FPRG で 意見を書くのか、元の発言に対して発言するのが筋ではないのか、という疑問が 必ずあると思うので、説明しておく。(*2)

理由は簡単だ。私は実名では発言できない立場なので、実名義務の課せられた ネットワークでは、読むことしかできない。これが、なぜその場で反論しないか の理由になると思う。なぜ実名で発言できないかは、私の関知する範囲ではない ので、現在の日本の社会を構築した人に尋ねてください。:-) もう一つの疑問… なぜ FPRG でその反論を書くのか…に対する回答だが、少なくとも現在の FPRG は、実名の義務はなく、仮名で参加する人が比較的多いという雰囲気が特徴にな っているので、これらの問題を検討するのは有意義であるという判断があったか らだ。

    *
1) コミュニケーションという内容を検討すると、没個性化状態の実験(ジンバ ルドー実験※と呼ばれている)をそのままアナロジーとして考えるには問題があ る。没個性化というのは、「誰がやったかわからない」という状態が期待できる 環境での行動である。「誰」という解釈が実は難しいが、仮に、相手が仕返しす る相手をどのような手段でも特定できない状況と考えてみる。
※ジンバルドー実験というのは、要するに、相手に「**参上」と名乗ってガ ンを飛ばしてから殴りつけるより、目隠しした相手に対して黙って殴りまくる方 が力が入るというものである(ちょっと違うかもしれない)。

もし guest ID が用意され、自由に発言できたり、本当の意味で完全に匿名で 発言できる環境が用意されていれば、このアナロジーは成立する。しかし、ネッ トという世界の中では、SDI00344という ID が割り当てらた途端に、「誰か」と いう存在を逸脱し、ではなくてSDI00344 という特定の人物に変化してしまう。 このような疑似人格が存在する世界を、相手が目隠しして待っている状態とみな してようだろうか。コミュニケーションが本質的に発言以外の武器を持たないと すれば、そうではないと言える。なぜなら、もし SDI00344が誰かに対して言論に よる攻撃をした場合、その相手は SDI00344 に対し、反撃することが可能である からだ。

オンライン・コミュニケーションは、電子メールなどをのぞけば one to them のコミュニケーションである。ここで、one に相当する側が期待しているのは、 自らをアピールするということで、すなわち、自分の意見を述べる、という点が 重要だと思う。「誰が言ったかわからない」発言を掲示することを期待する人は 確かにいるかもしれないが、おそらく自己主張をする限りは、「自己の発言だ」 ということが識別できる情報が必要になると思われる。

そこで、ハンドルというものが登場するのである。これは、実社会で用いられ る「本名」に対して、オンラインの世界で個人を特定するための識別子となるも のだ。このような識別子を持って発言する場合、心理学で実験されてきた「没個 性化状態」とは、かなり違いがあるのではないか。

つまり、ハンドルというのは、完全な没個性ではなく、ある意味では実社会の 自分とは分離させつつ、新たに社会的な個性を取得するためのものである。いわ ゆる「匿名ネット」と呼ばれているものであっても、ハンドルも ID も表示され ないという場合は極めて少ない。そこで、区別のために、これを没個性化状態と 呼ばずに、ロールプレイング化状態と呼ぶことにする。1) への反論は、いわゆる 匿名ネットワーキングを、没個性化状態に単純にあてはめるのは疑問である、と しておこう。

    *
2) 次の論点は、攻撃性である。没個性化状態と同様に、ロールプレイング化状 態においても、攻撃性は増加すると予想される。これは、実際にロールプレイン グゲームを試みる人が無謀な攻撃を好み、パーティーを全滅させる場合が多いこ とからも類推できる。:-)

つまり、最悪の場合であっても、ネット上から抹殺されるというリスクさえ負 えば、攻撃に容赦ないという考え方も成り立つかもしれない。

では、2) に関しては異論なしかというと、そうではない。ロールプレイング化 状態の特徴は、攻撃性だけではないからだ。もう一つ重要なのは、没個性化状態 でも同様だと思うのだが、実名行動よりも積極的な行動が可能になったり、また は世間体というものを気にせずに、自分の考えている通りのことを述べることが 楽になる、そのような効果がないか、ということだ。

もし、この発言自身、元の発言に対するコメントとして意義のある内容だと仮 定するならば、元の発言が「実名義務」のあるネットで行われたことによって、 このコメントが付くという機会を失ったことも考慮すべきである。しかし、実名 義務のある場所に仮名で発言することはできないから、この事実に気づくことは 極めて少ないかもしれないが、「実名参加義務」によって、このような発言が掲 示されるチャンスが阻害されていることが、この例によっても明白である。

さて、元の発言で「匿名のコミュニケーションは実名主義よりも、さらに険悪 になる」という予想が提起されている。これを、ロールプレイング化したコミュ ニケーションの場合に検討してみる。私の経験では、仮名による論争と、この某 実名主義のネットの論争とは、いいレベルの勝負である。文字だけの戦いとして は、飽和しているのかもしれない。ある程度の険悪な議論になってくると、どん どん参加者が離脱する傾向があるから、おそらく、これより険悪な議論というの は、実現が難しい域なのではないか、と思う。(*3)

ネットワーク社会は、実在社会の縮図だろうか。私は、ネットワーク社会は、 実在社会をコピーしてバージョンアップしたもののように思える。決して縮図で はなく、新しい世界なのである。私は、よく、「私にとっては、オンラインの世 界の方が現実であり、実社会は虚構(*4)なのだ」と主張するのだが、理解しても らえることは少ない。

    *
3) この点は全くその通りだ。オフラインミーティングに積極的に参加すること は、他の意味でも十分意義があると思う。まだ現状では、オンライン、オフライ ンという異なる環境では、異なった雰囲気のコミュニケーションが可能なのだか ら、チャンスを逃すべきではない。

が、私には、よそ行きの服がない。


補足

(*1) 銀河通信。

(*2) 当時はまだgo commandがFPRGだった。

(*3) この時は、銀河通信における実名公開前提の激論と、ハンドル可能であるFPROGでの激論を比較してみたのである。私の見た限り、どう考えても、銀河通信の方が、はるかに険悪だった。今なら、例えばハンドルで発言できるNIFTY-Serveと、原則としてハンドルが嫌われる(そうでないという主張もあるようだが、現実的には合致しないとしか思えない)fjニュースグループの議論、例えばfj.news.usageの投稿を比較してみればよい。

もちろん、NIFTY-Serveとfjは単純に比較できない。なぜなら、NIFTY-Serveは管理者が存在し、会員規約によって誹謗中傷が禁止されている。管理者は自己の判断で発言をネットの中から抹消することができる(ちなみに、NIFTY-ServeでSYSOP削除になった発言の大部分は、誹謗中傷とは無関係であり、むしろ、営利目的や複数会議室に同一の内容を掲示するようなもの、あるいは会議室間違いのために移動した残骸である)。

(*4) 実名という服を来ることを強制され、面白くなくても笑うことを強制され、言いたいことがあっても沈黙を強制され、…


    COMPUTING AT CHAOS RUINS -123-
    1990-06-07, NIFTY-Serve FPROG mes(5)-387
    FPROG SYSOP / SDI00344   フィンローダ
    (C) Phinloda 1990, 1996