混沌の廃墟にて -106-

フォールトトレラントな文章

1990-02-16 (最終更新: 1996-06-09)

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DynaBook の内蔵モデムを使って1か月以上経過した。買った直後は保証書に店 名が記入されていないことに気付いたりして、不安だったが、すこぶる順調であ る。まれに回線がいきなり切断されるが、これは OMRON の外付けモデムでもあっ た現象なので、内蔵モデム特有の症状とは思えない。(*1)

このモデムには、LINE のコネクタのみ付いている。雑誌の記事にも、東芝製の DynaBook 内蔵モデムに PHONE のコネクタがないことを指摘されていて、一見不 便であるような印象を受けるかもしれないが…。

デスクトップとして使うと、DynaBook の威力が半減すると独断し、あえて DynaBook は移動するという前提で考えよう。(*2) すると、移動時にモジュラケ ーブルをどのように処理するか、これは一つのポイントになる。モジュラケーブ ルをつないだままで外出するのは、やや無茶なので、移動時に DynaBook のモデ ムからケーブルを差し替える必要があるのは当たり前。さもなくば、ワイヤレス のモデムを用意しなければならない。

まず、内蔵モデムに仮に LINE と PHONE 端子があるとして、接続してみる。

    (NTT) <--------> DynaBook <-------* 電話機
                    LINE    PHONE
<- や -> は、差し替えが必要な所、-* は通常はつないだままにしておける所 である。このように、移動時に3カ所の差し替えが必要になる。ただし、DynaBook を使っている時に突然電話をかけたくなった場合、差し替えずにそのまま電話を 使えるというメリットがある。

しかし、東芝製の内蔵モデムには実際 LINE 出力しかない。だから、例えば次 のように接続すると、手間はどうか。

    (NTT) <--------> DynaBook
                LINE

          <--------* 電話機
この場合は電話をかけたい時に、DynaBook を一旦物理的に回線から外し、電話 機を接続するという手間が必要だ。これでも、移動の時に3か所もプラグを着脱 しなければならない事は同様だが、もし DynaBook 側の接続はつないだままにす る気があるなら、2か所の差し替えですむのだから、この方が手間がかからない のではないか?

ただし、電話を通常に使いつつ DynaBook を室内で使うような場合には、その 都度差し替えることになるので、かなり不便かもしれない。

    *
私の現状は、毎日〜隔日のペースで DynaBook を持ち運び、しかもアクセスは 毎日、という感じである。こうなると、上のいずれの方法でも、かなり面倒だ。

そこで、私は電気屋へ行き、モジュラジャックの二又ソケットを買ってきた (500 円もあれば手に入ると思う)。これを使って次のように接続している(こ ういうのは、いけない事なのだろうか?)。これなら、着脱必要なのは一カ所と なり、しかも DynaBook に接続している所だけ取り外しすれば、持ち運びできる ので、面倒さは半分以下になるし、DynaBook を接続したままで普通に電話をかけ ることもできる。

    (NTT)*---*二又ソケット*----------> DynaBook
                    *               LINE
                    |
                    +------* MD2400F *------* TEL
                        LINE    |   PHONE
                                |
                        RS232C  +------ PC286U
--> の所は、DynaBook を使う時だけ接続するので、普段は何もつながっていな い宙ぶらりんの状態である。ソケットから DynaBook の間を接続するケーブルは、 必要以上に長いものを使うことがコツだ。
    *
相当長く続いたので自分でも驚いているが(*3)、「混沌の廃墟にて」は、私に とって唯一ラフに表現できる機会である。その他の発言は、表現にかなり気遣い しているのに比べて、ここでは自由に表現できるので肩がこらないため、続いて いるのかもしれない。

オンラインで見かける文章は多種多様だ。ほとんど喧嘩か冗談かわからないも のや、身近な友人相手の対話のような文体から、かなりかしこまった印象を与え るものまで限りない。文体は、個性に依るものだから、書き手が自由に選択する 権利がある。だから、先ほど「表現に気遣いして」と書いたが、そのような必要 があるのか、という疑問をお持ちの方がいらっしゃるかもしれない。しかし、こ れはコミュニケーションという意味を考えれば、至極当然のことである。

point to point で通信を行う場合、どのような信号をどう解釈するかはプロト コルによって厳密に定義されている。センターマシンから端末へ情報が伝達する シーンを想像しよう。センターマシンは定められた規定に従って、自分の持って いる情報を回線に送り出す。回線を通じて端末は情報を受け取り、規定に従って 解釈する。

ここで、情報とはデータそのものではなく、データが持っている意味のことで ある。例えば、センターが送り出したJIS漢字文字列を、端末側がシフトJISとし て解釈したら、訳がわからなくなってしまう。この場合、データとしては正しく やりとりしているが、意味解釈を誤解している。

文章も、やはり情報の伝達のための手段である。しかし、大きな問題がある。 文章をどのように表現するかは、書き手の自由だし、それをどう解釈するかは、 読み手の自由なのだ。そして、読み手は多数いるのである。

もし私が自己紹介の発言に対して、

やあ、**、参加どうも。最近何か面白い事はないかい?
といったコメントを付けたらどうか。フォーラムの雰囲気をアットホームにし ようと考えれば、このようなコメントも有りかもしれない。これは、私の自由の 範囲で勝手に選択してよいことである。しかし、初対面の人に対して、このよう になれなれしく話しかけるのは、ずいぶん失礼ではないか。あるいは、自己紹介 した人が「ここの SYSOP は礼儀知らずだな」とか、「無作法だな」と思わないか?

もし、

**さん、ご参加ありがとうございます。いきなりで失礼ですが、最近面白 いことなど、何かありませんか?
とコメントならどうか(「ありませんか」という表現がややひっかかるが)? これでも「まったくいきなりで失礼な奴だ」と思う人はいるだろうが、最初の例 に比べたら、どうだろうか?

文章をどのように読むかは、読む人の自由なのだが、表現には暗黙のルールが ある。例えば礼儀とか、作法と呼ばれるものである。「やあ、参加どうも」より 「ご参加ありがとうございます」の方が丁寧に見えるのは、単に人々がそう決め ているからにすぎない。もし、「やあやあ」という雰囲気の会議に「どうも恐れ 入ります、拙者**と申します…」という感じで入ってきたら、かえって変な人 だと思われるかもしれない。ケースバイケースである。これがコミュニケーショ ンの難しい所である。

単に書き方に気配りするだけで多くの人に「無礼だ」と思われることを避ける ことができるにしても、そのような表現を選ぶのは書き手の自由である。ただし、 選んだ結果は、発言者がリスクを負うべきだ。発言者の表現が失礼・無礼だと解 釈された時に、「私は失礼なつもりではなかった」と弁解しても、読み手が失礼 だと思った事実を曲げることはできないのである。まして、「私は失礼なつもり で書かなかったのだから、失礼と思わないでくれ」というのは、それこそ失礼で ある。:-)

逆に読み手の立場から考えてみる。解釈の仕方は読み手の自由と書いた。だか ら、極論すれば、一般に無礼でないとされる表現を無礼だと思っても何ら差し支 えない。しかし、その他大勢の人に伝わっている情報を、独自に解釈することに より感じることができないなら、それは読み手のリスクである。自分だけが取り 残されてしまうのである。

まとめると、書き手には表現の自由があり、読み手には解釈の自由があるが、 「どのような表現はどのように解釈するか」という暗黙のルールもある。このルー ルは厳密ではないかもしれないが、意志を伝えるという大目標達成のためには、 無視しがたい規則である。書き手はこの規則を無視する自由があるが、それに対 して大勢に誤解されるかもしれないというリスクを負う。読み手にもこの規則を 無視する自由があるが、それに対して自分だけが大勢が理解していることを理解 できないというリスクを負う。

ならば、もし一般的な解釈を期待しないだけの覚悟があれば、本当に好き勝手 な文章を書くこともよいだろう。ただし、その意図が誰にも理解されないかもし れないし、誤解されてもやむを得ないのだ。「混沌の廃墟にて」は、そういうリ スクの上で書かれた文章なので、その割に反論が少ないのがどうも気になる。(*4)


補足

(*1) ここに出てくるのは初代DynaBook、つまりJ3100-SS001である。

(*2) 最近の使い方として、省スペースを実現するためにデスクでブックパソコン を使うという方法もある。ブックパソコンのパフォーマンスがデスクトップに比 べて遜色なくなったためだ。ただし、高解像度でWindowsを広い画面にして使う、 という場合にはCRTの場所が必要になるのでデスクトップのメリットがある。

(*3) 1996年6月現在で250回程度。

(*4) もう一つ、隠しメッセージが結構あるという特徴もある。何か知識がないと 理解できないようなパロディや、洒落の断片などだ。リアルタイム会議で誰かが 「人間なんて」と言うと、すぐに「ららららー」という突っ込みが入るという類 である。


    COMPUTING AT CHAOS RUINS -106-
    1990-02-16, NIFTY-Serve FPROG mes(5)-142
    FPROG SYSOP / SDI00344   フィンローダ
    (C) Phinloda 1990, 1996