混沌の廃墟にて -94-

長いのが先か読みにくいのが先か

1989-12-16 (最終更新: 1996-03-12)

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ASAhIパソコンに「うんざりするパソコン通信」というコラム記事があった。こ れに関する感想を書こうと思う。ただし、この文章中にオンライン・コミュニケー ションで引用して批判(非難?)する事を批判している節があるので、あえて今 回は引用を行わずに感想を書いてみよう。

まず、このコラムの筆者であるQ氏の主張だが、せっかく多くの可能性を秘め ているオンライン・コミュニケーションに対して、非常に狭い解釈を行っている ような感じがした。要すに、「遊び」と考えているらしいのである。電子会議は その名の通り、本来会議として利用できるものだ。これを使って遊ぶのも雑談す るのも、参加する人の自由だ。が、本気で議論したり、その結果により収穫を期 待している人に対して、遊びというのはどうも納得できない。(*1)

気軽に参加するのも神経を削りながら討論するのも、活用には違いない。特に、 自説に対する批判や誤りの指摘が期待できる環境というのは、ネット特有のもの である。人はそれぞれ異なった考え方や感じ方を持っている。自分にとって正し いと思っていることも、他者にしてみれば変かもしれない。考え方の相違を指摘 しあうことは、生きていく上での重要なヒントである。ほかの人が間違っている と思っているのに黙ってやりすごすのは、平和というものではない。

もちろん、自分の誤りを指摘されるのがいやだとか、批判されるのは気に入ら ないという人が発言を見合わせる、それはそれでよい。また、批判と言ってもマ ナーはある。にもかからわず、いきなり罵倒だけしてどこが悪いのか書かない、 そのようなコメントがあることも事実である。脅迫めいた電子メールを送る人が いるのも事実である。しかし、これは電子会議をagora(*2)として利用することを否 定する理由にはならない。

    *
次に、Q氏は未読メッセージがたまると読む気がしないと主張している。これ は全く正しい。しかも、簡単な解決方法もある。読まなければよいのだ。正確に 言えば、読みたいものだけ読めばよいのだ。これはQ氏の主張と一致する。しか し、Q氏はBBSでは斜め読みできないと主張しているようだが、私に言わせる と、少なくとも NIFTY-Serve においては、そんなことはない。実際私は、NIFTY- Serve の電子会議は3つの方法を使って斜め読みしている。

このような機能をセンターが用意するのは、電子会議に快適に参加してもらう ためには重要なファクターだと思う。この点、NIFTY-Serve は非常にがんばって いる。しかし、いま一つユーザーにコマンドが浸透していないような気がしない でもない。

まず、RTN というコマンドを使って未読発言のタイトルだけ表示し、興味があ れば、MORE>というプロンプトがでている時に、#100, 103 のように直接数字で 指定して、その発言の内容を表示する方法がある。これは、いわゆる「喫茶店」 のような軽い会議を流す時によく使う。

2番目は、BRN というコマンドを使う方法である。未読の発言のタイトルが一 つずつ表示され、その都度 READ(Y/N)> と尋ねてくる。リターンキーを押せば内 容は表示せずに次のタイトルを表示する。Y を入力すれば内容を読むことができ る。

この2つの方法には、タイトルの付け方によって、有益な情報を読み飛ばして しまう危険がある。そこで、私は次の方法を使うことが多い。(*3)

とりあえずページ制御を有効にした状態で、未読発言を全部表示するのである。 これは電子会議で会議室を選んでリターンを押すだけでよい。すると、1ページ 表示した所で MORE>というプロンプトが出る。1ページざっと見ると、タイトル だけの時とは違って、かなり正確にその内容は把握できる。興味がなければ S と 入力すれば、残りはスキップして次の発言の最初の1ページ分が表示される。

    *
Q氏の指摘でもっとも疑問を感じたのは、書き込みの長さに対する指摘である。 Q氏は2画面を越えるのは非常識であると指摘している。私には、その長さを越 えると非常識となる根拠が理解できなかったので、理論上反論することができな いのだが、感覚的には反論したい。私は発言が何画面になったとしても、その長 さが非常識であるとはあまり思わない。それより、むしろ問題は内容ではないか。

話がそれるが、原則として簡潔な表現が望ましいことは言うまでもない。だが、 オンライン・コミュニケーションに参加するのは作家や新聞記者のように作文慣 れした人だけではない。文章を書き慣れていない人もいることを忘れてはならな い。「時間がないので、長い手紙になったことをお許しください」という有名な 言葉がある。言いたいことをうまく表現できないとつい文章が長くなることもあ る。

文章を練ることに挫折して沈黙にするよりは、言いたいことを書くという意志 の方がずっと大切ではないか。もし自分の発言を他の人に読んでほしいなら、読 む人のことを考えておくことは非常に大切なことである。だが、最悪の場合でも、 読む人のことを考えて黙ってしまうよりは、読む人のことを考えずに発言してし まう方がまだましだと私は思う。ただし、この場合は読者に非常に悪い印象を与 える危険がある。そして悪い結果になるかもしれない点も理解しておくべきだ。

また、長い文章ほど読み飛ばしやすいことは、考慮しておく必要があるだろう。 短い文章の最も大きな利点は、それがどんなに無意味でくだらなく下手な表現で あっても、とりあえず読んでもらえることである。読んでしまってから、「なん だ、こんな発言読まなければよかった」と思っても、また短い発言があったら読 んでしまう。短時間なら我慢できることは多いのだ。のど自慢に出る時には5秒 で終わる長さの歌を用意すれば、必ず最後まで歌えるに違いない。 でも鐘がなるかどうかは別の問題だ。

長い文章は読みにくいと主張する人もいる。 そういう人も、世に名作と言われている小説 の類は、非常に長いものでも熱中して読んでしまうの ではないか。 してみると、私は文章の読み安さは、長さとはあまり関係ないと考えている。 もともと、読みにくい文があって、それが単に長いだけなのである。

(さて、もはやこの辺りを読んでいる人は、誰もいなかったりして…)

    *
最後に、Q氏の意見で最も的を射ていると思ったのは、大手のネットワークに なかなか接続できないことへの不満である。(*4) これはもっと大声で言うべきことだ。 「電子メールは好きな時に読めるので…」という宣伝に夢と希望を抱いてIDを 手にした人は、電話がつながるまで延々と再ダイヤルしなければならない現実を 知った時、一体何を思うだろうか。これぞ文明へのアンチテーゼであると思うの だが、皆が慣れてしまうと異様転じて常識になってしまうのも、世の常なのかも しれない。

・参考文献、ASAhIパソコン No.28, 1%1/15 合併号、p.102、「ハンドマ イク/うんざりするパソコン通信」


補足

(*1) 当時、電子会議の会話に対して「どうせ遊びだから」のような言動をする人がいた。今もいるかもしれない。ただ、当時はその言動に対して「人が真面目に議論しているのに遊びとは何だ」と非難されることもあった。

(*2) agora: アゴラ。古代ギリシアの人民大会。市民が直接参加する討論場。

(*3) 当時は2400bpsで接続する時代だった。従って、その場で読み飛ばすという操作は、接続時間の短縮となり、その結果課金の節約にもなったのである。現在(1996年)はメッセージが3000バイト/秒でやってくる。インタラクティブな操作をしていては、とても割に合わない。とにかく全部手元のログに入れてから読む方が節約になる。

(*4) 再ダイアルに10分以上かかることは日常だった。


    COMPUTING AT CHAOS RUINS -94-
    1989-12-16, NIFTY-Serve FPROG mes(4)-454
    FPROG SYSOP / SDI00344   フィンローダ
    (C) Phinloda 1989, 1996