混沌の廃墟にて -93-

俺達に過去はある

1989-12-06 (最終更新: 1996-03-10)

[↑一覧] [新着] [ホームページ]


FPRG(*1)では、本人から発言削除の要請があった場合は、無条件に削除するという ローカルルールがあるという前提で、話を進めたい。
    *
発端は、先日ある人が FPRG の電子会議上で「使いにくいシステムだ」という 発言をした所へさかのぼる(該当発言は削除要請があったため、既に消滅してい る)。ここでは、コメントの付いた発言が発言者により削除できない事を指して 「使いにくい」と評価したと解釈した。

そこで、電子会議上の発言について私見ながら意見を述べたい。

私は、「オンライン・コミュニケーションとは提供されたメディアスペース上 で多対多のコミュニケーションを実現すること」と主張してきた。この主張は今 も変わらない。重要な2つの単語が造語なので、これをまず解説しよう。

オンライン・コミュニケーションとは、いわゆるパソコン通信のことである。 何度も書いた事なので申し訳ないが今一度繰り返させていただくと、「パソコン 通信」という言葉は、いかにも「パソコンを使っている」という印象を与え、ワー プロ通信をしている人の中には「パソコン通信」という言い方を好まない場合が あることをふまえて、わざと「パソコン」という単語を含まない用語を使うこと にした。「通信」と「コミュニケーション」は同義のようだが、「コミュニケー ション」の方がやや人間の能動的な意志を感じさせるような印象もあると思い、 この言葉を選択している。ここで、「パソコン通信の本質はコミュニケートする ことだ」という仮定があることに注目していただきたい。

メディアスペースとは、電子会議・電子掲示板のようなユーザーが自由に利用 できる媒体を指している。これは、不特定多数の読者が期待できるという意味で 既存メディアとの互換性を保ちながら、場合によっては編集・選択操作の全く介 在しない生の自己表現がそのまま掲示されるという画期的なメディアである。通 常のメディアの場合は、読者参加のコーナーは編集者によって選択されたものだ けが有効になる点に注意してほしい。メディアスペースでこの選択行為を省略で きた理由は、電子メディアによって選択行為まで読者の判断に任せることができ るシステムを構築できたからに他ならない。※

私は、ネットワーキングへのアクセスチャージはメディアスペースの利用料金 と解釈している。「発言者が課金されるのはおかしい」と主張する方も中にはい らっしゃるが、私としては全くおかしくないと考えている。発言できるという事 も含めてサービスなのである。課金されたくない場合に沈黙を守る権利は常にユー ザー側にある。ただし、運営側が発言者に対してチャージをかけないと言うのは、 それはそれでよろしい。これは単に発言を促進するための手段に過ぎず、メディ アスペースの本質とは関係ない。

ここまでが私論ながら前提である。本論に移ろう。

    *
電子会議というのは、メディアスペース上の公開討論である。討論を実現する ためには、議論の筋道を確保することは重要なことだ。ここでは、それはコメン トという形式で実現されている。

仮にコメントの付いた発言が削除されると、どのような影響があるか。議論の 筋道が途中で切れることにより、後から読む人が混乱することが予想される。オ ンライン・コミュニケーションにおいては、全員が同時に発言を読むわけではな い。TV や新聞はある意味では同時に聴衆に情報が伝達するわけだから、 数日以上のタイムラグが発生するというのはオ ンライン・コミュニケーションの特徴と言えるだろう。

ここで注意してほしいのは、迷惑するのが後から読んで混乱した人だけに留ま らないことである。後から読む人は、削除された発言に対するコメントを、「訳 がわからない」と解釈するのだから、そのコメントを書いた人に対して「訳のわ からないことを書く人だ」と誤解する可能性すらある。

また、コメントが付いていない場合でも、一旦発言した内容は即時多数の人に 読まれているだろう。すでにその発言を読んだ人が、コメントを作成・推敲して いるかもしれない。私自身、コメントを作って登録しようと思った時には元の発 言が削除されていた、という経験が何度かある。これは、他の発言者に対する迷 惑である。

このように、発言削除は多くの人に対して迷惑になる可能性を持つと考えれば、 発言削除は極力避けるのが望ましいだろう。そのために、発言は慎重に行うべき である。発言が読まれた後で削除しても、すでに読まれてしまったという事実は 否定できないのだから、一旦公開された発言は、雑誌や新聞に投書した発言と同 様、回収することは不可能だと思った方がよい。

    *
従って、発言が削除できないシステムは、メディアスペース上ではそれなりの 意味があると思う。特にコメントが付いた場合はそうである。

しかし、人間のやることだから、注意したにもかかわらず失敗することも多い。 幸い、オンライン・コミュニケーション上のメディアスペースは、雑誌や新聞と 違って、一旦発言した内容を一気に訂正したり、取り消すことが非常に簡単に実 現できる。ペーパーメディアだと、回収して訂正して再発行という事実上不可能 な手順が必要になるのだ。そこで、救済措置のための機能として、 NIFTY-Serve のようにコメントが付いていない発言を発言者が削除する機能が用意されている ことは多い。(*1)

また、このような機能実現は、ヒューマン・インターフェースの上からも重要 だろう。

    *
さらに、FPRG では発言者の意思・判断を、最大限に尊重したいと考えている。 これが、最初に書いた「無条件に削除…」の最も大きな理由である。

従って、FPRG では発言者は(私を含めて)常に発言を削除できるという特別の 状態にあるが、ここで一つ心に留めておいて欲しいことがある。自分の発言を常 に削除できるといういうのは発言者の権利の最大限の拡張だから、それに対する リスクは各自で負って欲しいということだ。

つまり、頻繁でなくとも、何度も発言を取り消すような人に対しては、他の人 がどのように判断するか考えてみて欲しい。この点、私自身も非常に反省すべき ことは多いし、私自身の今までの行為から考えて、そのように評価されても仕方 ないと思っている。このような評価を覆すには、今後の行動で気長に自己主張す るしか解決の方法はない。いや、あるいはもう取り返しはつかないかもしれない のだ。

自分の過去は一旦事実となってしまうと undo できない。私が書くと説得力が ないが、これから発言しようとする人は、私のような失敗をしないよう、十分気 をつけて欲しいと思う。

※注
 ここで、メディアスペースとして BBS のような電子メディアのような想定があ るような印象を与えるかもしれませんが、私のイメージしているメディアスペー スというものは、駅の伝言板や喫茶店に置いてある落書きノートのようなものを 含めて、単に媒体となる仮想空間を指すものです。ただし、自由に発言できるこ とは前提としています。一般のマスコミ等のようなメディアはスペースではなく、 あらかじめ情報の埋まったものと解釈しているのです。


補足

(*1) 当時FPROGのGOコマンドはFPRGだった。

(*2) 「とめ」という技がある。コメントをとにかく付けて、すぐに削除してしまう。コメントが削除されても、一旦コメントが付いた発言は、もはや発言者が削除することはできない。

(*3) よく覚えてないのだが、この「注」はデータライブラリへ転載時に追記したのかもしれない。少なくとも今書いたのではない。


    COMPUTING AT CHAOS RUINS -93-
    1989-12-06, NIFTY-Serve FPROG mes(4)-404
    FPROG SYSOP / SDI00344   フィンローダ
    (C) Phinloda 1989, 1996